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アルノとレファート、エルミラが中心となって、学者たちはスライムの細胞組織を染色と固定をする薬剤を模索した。
もちろん、ここでもメイニは大活躍だ。
「チュライム、だいじょうぶ? あ、だめ、なんだかぴりぴりちゅるって!」
「よし、この薬剤は不可だ」
「記録します」
ピートと同格の修師の称号を持つハンクが記録を取る。
「まさかの自己申告。こんなにスムーズに試薬できるなんて、メイニ君のお陰だな」
動物にはどんな風に感じるか克明に伝える術はない。人間でも、幼ければ難しい。曖昧なことを伝達することができるのは、人間特有のものである。魔物の中には知能が高いものがおり、これを可能にすると言われている。
「へへーん」
メイニが四角い大きいおじさんを見上げてほほを緩める。
スライムに嫌われがちなピートはだが、メイニには好かれていた。だから、きっと、たぶん、そう遠くない未来にスライムからも好意を寄せられる、かもしれない。
メイニからスライムを受け取ったカレルやチエムがリシェルの元へ連れていく。光魔法を充填させることで、自己回復能力を亢進させる。
エニーとティコがまだ試していないスライムを連れてくる。
メイニが新たなスライムにそっと小さな手を乗せる。
「こっちはなんともないって!」
使命感にあふれたきりっとした顔つきでピートに報告する。
「よし、この薬剤は可だ」
「記録します」
ハンクはピートと同年代の男性ではあるものの、学師の称号を得られなかったことを気にしていた。
学師は優秀な成績で納めて大学を卒業し、数年以内でそれなりの成果を出した者に与えられる称号だ。
「俺は卒業後、すぐには結果を残すことができなかったんです」
「それでも修師の称号を与えられたんだ。ハンク君の研究が認められたということだ」
ハンクの背中をピートが叩く。学師を取れなかったことを後々まで悔やむ人間はそこそこいる。
「そうなんですけれどね。でも、上には上がいるものですね」
ハンクの視線はアルノとレファート、エルミラに向けられる。
「あの領域はもう人知を超えているのではないかとわたしは思うぞ」
「俺ももっと論文を書かないと。世間をあっと言わせるようなやつを」
「おう、書け書け。学者は論文を書いて認められてこそだ。いやあ、アルノ君が論文を出すと、そのたびに学界が沸く。今度はどんなのを出してくるか、今から楽しみで仕方がない」
ピートが四角い眼鏡のブリッジを指で押し上げながらにやける。
「ピートさんは修師なのに、アルノを君付けで呼ぶんだな」
チエムが不思議そうにする。
「昔の名残というか、そんな感じだ」
修師で足踏みするピートを、学師の称号を得たアルノは風のようにすり抜けていった。
「アルノ本人も気にしていなさそうだしな」
「ああ。昔から称号なんぞには関心がなさそうだった。アルノ君はあっという間に俺と同じ修師の称号を得たかと思えば、博師を得て、賢師にまで上り詰めたんだ。賢師は共同研究者のために受け取ったんじゃないかな」
共同研究者の中に賢師などというとびぬけた称号を持つ者がいれば、箔がつく。それだけで信頼度が跳ね上がるのだ。そうすると、結果を期待して開発費も調達しやすくなる。
「成果が上がるかどうかもわからない研究に莫大な費用が用意されるのは、ひとえにアルノ君への期待と信頼だ。それに応えなければならないのだから、相当なプレッシャーがあると思うよ。あとは、レファートさんの手腕だな」
「ああ、あの人な」
レファートにはさん付けなのだなとはチエムもカレルも思わなかった。
「レファートさんに逆らってはだめだ」
それはこの村に滞在する者たちの共通認識となっていた。
レファートは他者を従わせる雰囲気を持つ。なにより、様々な物品を調達してくる手腕を持っており、みながその恩恵にあずかっているのだ。
「アルノ君が大勢の人間に好かれるのは、彼自身が周囲の人間への敬意を持ち、表しているからだ。彼ほどの人間に認められては嬉しくないはずがない」
言い換えれば、アルノが高く評価されればされるほど、そんな人間から敬意を受けるということになる。人間心理が作用し、アルノの周辺には強固な人間関係が築かれる。
「なにより、アルノ君が発見した細胞の固定法と染色法だ。発明した手法で彼は様々な病原体を特定した。それだけじゃないんだ。固定法と染色法は論文によって情報開示され、他の学者たちもこれを用いて次々に病原体を特定していった」
それはアルノの発見によって、多くの者が救われたのだと言い換えてもいい。
チエムやカレルだけでなく、リシェルやエニーも息を呑んだ。
ふとチエムは気がついて唇を尖らせる。
「その染色法ってのを独占したらよかったのに。そうしたら今頃大金持ちだ」
「我がゴッドフリート大学の学長もそう指示したよ」
だが、アルノはそうしなかった。
「俺ひとりができることはそう多くはない。他の人の力によって、より早く病の原因をつきとめることができる」
そうしたら、より多くの人が助かる。
アルノはそう言って学長の指示を退けたのだという。
年長組の子供たちはなんとなく察した。アルノはあまり学長から良く思われていないだろうと。村の中で肩身の狭い思いをしていた彼らは、雰囲気を敏感に察する能力を身に着けていた。
そしてその考えは当たっていた。
「学長からしたら、せっかく自分の大学に所属する学者が大発見をしたんだ。それによって大いに大学のためになることをしようとした」
だが、当のアルノが首を縦に振らない。
「アルノ君は細胞の固定法と染色法の発明で博師の称号を得て、それを用いてさまざまな病因を特定したことが評価されて賢師の称号を得たんだ。つまり、学長からしてみれば、称号欲しさに論文を発表したとなる。大学の利益よりも自分の利益を優先したとみなしたんだ」
「学長って人も称号を持っているの?」
ティコが尋ねると、ピートが人差し指を立てて指し示す。
「そこだよ。学長もまた、当時アルノ君が得たのと同格の博師の称号を持っていた。同格だからこそ、ある意味学長には目障りだったのだろうな」
自分の制止を振り切って論文を発表したことで、同格の称号を得た。さらには、その発明で進めた研究によって格上の称号を得た。
年長組の子供たちは「ああー」という顔をした。
それはまずい。学長という立場としても、博師という学者としても、いろんな意味で、アルノは「目障り」だろう。
「アルノ君は学長よりも相当若いしな」
「今もアルノは若いじゃん」
「博師になったときはもっと若かったんだよ。だから、アルノ君に嫉妬した。しかも、その発明を活用した研究がまたすごくてね。論文が世に出れば賢師も視野に入る。学長もそれが分かっていたから、一層阻止したかったんだろうな」
年長組の子供たちはさもありなんと頷く。
年少組のうち、ティコはアルノがなにか大変なことになっていたのかと不安そうな表情をし、メイニはスライムと遊んでいる。
ティコは姉から「大丈夫よ。だって、アルノにはレファートさんがついているんだもの」と聞いてようやく安堵した。
ティコもまた、レファートの手腕と師への傾倒ぶりを読み取っていたのだ。ティコが引っ込み思案でなければ、レファートとともに「アルノはすごい」という話で盛り上がれたことだろう。
「過去にいた天才たちはみんな若くしてその才能を発揮していたんだよ」
ピートの言葉に、それまで黙っていたハンクがぴくりと片眉を跳ね上げた。それに気づかず、ピートは続ける。
「大体二十代前半か半ばで賢師になっていたな。その中じゃあ、アルノ君は平均だ。でも、それは名だたる天才たちの中での話でね」
学長はその範疇に大きく外れていた。そして、目の前にそれを可能にする学者がいる。
「そりゃあ、嫉妬するな」
「だろう。学者とはいえ人間だ。食べて寝て排泄もする。感情もある」
それもそうだと年長組の子供らは頷いたものだ。
「アルノ君は少々感性が人とは違ったんだ」
アルノはこう言ったのだという。
「わくわくするじゃないか、ってね」
「わくわく?」
子供らは面食らう。
リシェルには瞳にスターサファイアの輝きを宿す姿がありありと浮かんだ。染色法をアルノが発明したと知ったときのことを思い出す。アルノは確か、器材の調整に余念がない様子だった。彼にとってはすでに発明したことよりも、その先に進むことの方に関心があるのだ。
「俺では考え付かないことを見つけてくれるかもしれないだろう? その人の知見を知ることができるかもしれない。その人の学問を追体験できるかもしれない。こんなに贅沢で素晴らしいことはない」
アルノにとってはそれがかけがえのないものなのだ。
ひとりができることはひとりぶんだ。だが、二人集まれば二倍。
「もうふたり加われば二の二乗だ。四人加われば二の四乗だ、と言ったそうだよ」
「ニノヨンジョウってなに?」
「十六のことだな」
「待って。ふたりとふたりに四人を足したら八人じゃないの?」
カレルの問いにピートが答え、エニーが混乱して声を上げる。
「掛け算だからな。足し算じゃない」
「なるほど。単純に増えるのではなくて、倍々になるということね」
「よくわからん」
リシェルが得心がいったと頷き、チエムが首をかしげる。
「集まればそれだけ物事が進む速度は飛躍的に向上するということだ」
アルノはそれが組織というものだという。
「だいじょうぶ?」
「うーん、なんかぴりぴりするー」
「ぷるぷるじゃなくて?」
「ぷるぷるしておく?」
「「「ぷるぷるぷる」」」
「こっちはおっけー」
「ぷるぷるしておく?」
「「「ぷるぷるぷる」」」




