19
なにかと男性陣の話題に上るエルミラだが、あくまで共同研究者だという態度を貫いていた。
唯一、アルノには熱量をもって接する。
そのため、アルノは男性陣から羨望のまなざしを向けられる。その程度で留まっているのは、ひとえにエルミラ本人とレファートの存在が大きい。
「わかるわ。逆らっちゃだめな人だものね」
察しがよいカリスタはそんな風に言った。
エルミラの登場に、リシェルはむきになった。今まではアルノとともにひとつのノートを覗き込み、あるいはスライムの観察をしながらあれこれと話した。そこへエルミラが加わった。
心情的には、エルミラとアルノを取り合っていた。
「アルノさん、これは、」
「我が師よ、わたくしの仮説をお聞きください」
そして、頻繁にレファートも参戦する。
「師よ、スライムについてご教示願いたい」
少し離れたところでアルノを囲む様子を眺めてチエムが言った。
「子供かよ!」
「いえ、あれはまさしく子供ね」
「ああ、お母さんを取り合う、みたいな?」
エニーの言葉にカレルが返し、「そこはせめてお父さんだろう」とチエムが突っ込む。
子供っぽい争いは、後からやってきたティコの勝利に終わった。
「ねえ、アルノ、ここ、教えてくれる?」
「ああ、いいぞ。机に向かおうか」
リシェルとエルミラ、そしてレファートという性別も年代も異なる者たちに矢継ぎ早に声を掛けられ、じりじりと距離を詰められるものだから圧迫感を覚えたアルノはティコを促してそそくさとその場を後にした。
「リシェルはなんだか、その、機嫌が悪いのか?」
アルノは後になって、自分がなにかしでかしたのかとカリスタに聞いてみたが、まじめな顔でそんなことはないと即答される。
「あんなに活き活きしているじゃない」
「うん? そうなのか?」
「そうなのよ。そうね、みんなあなたに構ってほしいのだから、褒める頻度を上げたらいいんじゃない?」
カリスタの言に、アルノはティコの頭を撫でてやった時、リシェルたち三人が羨ましそうにしていたのを思い出す。
半信半疑で、機会を捉えて同じように三人を褒め頭を撫でたら、とても嬉しそうにした。
リシェルはともかく、レファートやエルミラまでもが喜ぶとは思わなかった。
アルノに褒められたからであって、他者から頭を撫でられるような真似を三人は許容しないのだとは、当の本人には思いもよらない事実だった。
「アルノ、これなあに?」
研究室へは子供たちも入室を許可されていたが、勝手に器材や素材に触らないように言い含められていた。そして、必ず研究員がいることが条件づけられた。
中には無知な子供がうろうろしているのに顔をしかめる研究員もいたので、建築されたばかりのころは興味津々であったカレルとチエムはあまり出入りしないようになった。
けれど、リシェルとティコは違った。
ティコは初見の器材を見つけてはアルノに質問しまくった。その隣でリシェルはとにかくメモを取り続けた。初めて見聞きするものばかりの研究室で、鷹揚なアルノに出入りを容認されているのだから、と学べるだけ学ぼうとした。
「これは細胞を破砕する機械だ」
「壊しちゃうの?!」
ティコが驚く。
「中の細胞内小器官を取り出したい場合に使う」
細長いガラス管に細胞と溶液を入れ、管の径と合う太さの棒を押し込むことでつぶす。
「へえ、力わざなんだね!」
「だろう? 界面活性剤で細胞膜を溶かして細胞小器官を流出させるんだ」
「かいめんかっせいざい……」
聞きなれない言葉ばかりだが、ティコは目をきらきらさせて耳を傾けた。リシェルは記録するのに余念がない。
「このときのポイントはあまり強力なものを使わないことだな」
「ええと、細胞、小器官だっけ。それが壊れてしまうから?」
「その通りだ」
「リシェル、すごいね。理解できるんだね」
奇しくも自分と同じことを考えていた五歳のティコは当然、アルノよりも背が小さい。だから、頭に手を置きやすく、アルノは自然にティコのうすい金髪を撫でていた。
それを、レファートとエルミラの高弟コンビが羨ましそうに眺めている。
「くっ! エルミラ様の羨望の眼差しを受けるなんて。子供だとて許せん!」
「レファートさんもエルミラ君もアルノ君に褒めてもらいたくて仕方がないからな!」
エルミラのしもべを自称する研究員にピートが朗らかに言う。
そんなレファートやエルミラ、そしてピートをはじめとする研究員もいつの間にかアルノに近づいている。
「この細胞を破砕する際に注意する点は低温で行うということだ」
「そうでなければ、細胞小器官が分解してしまう」
「なるほど。壊す必要はあるけれど、やりすぎてはいけないということね」
レファートとエルミラも口を挟み、リシェルがそういうことかと得心がいく。
「そうだ。リシェルは呑み込みが早いな」
「そんなことないわ。学院では学べなかったことを教われて嬉しい」
「僕も!」
リシェルが活き活きとし、ティコもわからないことが多いなりに少しでも吸収しようとする。
「師は十指に満たない賢師だからな」
「そんな師から学ぶなど、学院はおろか大学でも稀なことだ」
リシェルは学院時代の不遇など吹き飛ぶくらいの僥倖を与えられたのだと、遅まきながらに実感する。
「その賢師に発想の転換とか新たな観点を与えるのが共同研究者ってものよ」
「ああ。ひとりではできることは限られているからな。特に、実験データは無数に必要になってくるから」
「ぐうっ」
サムズアップしてみせる研究者にアルノが同意してみせると、延々と続く地道な実験を思い出したのか、頭を抱える。
「破砕液を等張液にしておく必要がある」
「とうちょうえき?」
「簡単に言うと、濃度を調整するんだ」
リシェルの小さなつぶやきを拾ってアルノが説明する。
「そのほか、破砕液に緩衝液を加えておく」
そして、この液を遠心分離する。
「速度を変えて回すんだ」
「これがその機械?」
「そう。さすがに、器材がなければこの実験はできない」
細胞小器官はさまざまな大きさのものがある。回す速さを変化させることで、大きさごとの沈殿物ができる。
「軽いものは上澄みに残る。この上澄みをさらに速く回す」
これを繰り返すことで、速度によって沈殿物を得ることができる。その沈殿物ごとにさまざまな器官が得られる。
「弱い遠心力から強い遠心力へと変化するごとに徐々に小さい細胞小器官が沈殿される」
「へぇぇ!」
「なるほど。この実験にも物理的知識が利用されているのね」
ティコがため息交じりの感嘆の声を上げ、リシェルが以前アルノとチエムがしていた会話を思い出す。確かに、様々なことを知っていれば、手法が増える。
「そうだ。リシェルは記憶力がいいな」
「それは、」
アルノが言っていたことだからだ。
「これでスライムの細胞を観察する」
レファートの言葉にティコが「え」と声を上げる。
「スライムの体を切るの?」
「なに、ほんのわずかだ」
「どの部位がいいかな」
エルミラが答え、ほかの研究員ができれば体内の主要臓器が好ましいなどと話し出す。ティコの不安そうな顔を見て、アルノはどうしたものかと思案する。
ところが、思いかけず、手に入ることとなる。
「あーっ! だめよう。チュライム、ふんづけてる!」
「えっ? うわっ。気持ち悪っ」
雑用係りとして雇われた村人が遠回りをするのは面倒だとリシェルたちの家がある敷地内の庭を通ったときのことだ。
レファートは住居と研究用の建物を建築した後、リシェルたちの家も手入れをした。新築する話も出たが、リシェルが両親から受け継いだ大切な家だから、補強と改装することとなった。
「パン窯は新しいものにした方がいいな」
最近、火の魔法を用いたパン窯が発明されていた。
鉄製の箱型パン窯で、上段にパン生地を置き、下段に魔石か魔核かを組み込み、そこに魔力を流し込んで焼くというものだ。魔石にしろ魔核にしろ、安価なものはすぐに使えなくなったし、焼きむらができることがままあった。
レファートは当然、最高品質のものをそろえようとした。
「最近調子が悪かったんです」
レファートの言葉にリシェルは不安を言い当てられた気になった。家族との思い出が詰まったもので、それも儚く消え去ってしまいそうに思えた。
「いいのか?」
リシェルが家族との思い出のつまったものたちを大切にしていたのを知っていた子供たちが聞く。この子たちに腹いっぱい食べさせるには、今のパン窯では少々心もとない。
「うん、いいの」
すんなりそう答えていて、自分でも驚いた。
リシェルの心情を慮ったアルノがレファートに相談し、元のパン窯を納屋に移動させることにした。
「パン小屋だ!」
昔はパンを焼くためだけの小屋があったという。
「たまに使ってやるといい。道具は使わなくなるとすぐにだめになるから」
「うん、そうね。ありがとう、アルノさん」
その言葉に万感の思いが籠っていた。
少々浮世離れした学者ではあるが、人の思いを尊重しようという気遣いが胸に染みる。
そういった経緯で、リシェルたちの家の敷地内にも工人が出入りしていた。建築中は建物の周囲に塀を造り、スライムに危険が及ばないように厳命されていた。だが、村人たちは改めて言われていなかった。そして、人が出入りしているのだから自分もそうしていいだろうと思って庭を突っ切った。
工事のせいで敷地が狭くなったため、スライムと遭遇しやすくなっていたことと、所詮最弱の魔物という意識が根底にあったので注意していなかった村人は、スライムを踏んでしまった。
中央の盛り上がったところではなく端の方ではあったが、気色が悪いとばかりに地面に擦り付けたため、スライムの体の一部がちぎり取られてしまった。
「スライムが!」
「てめえ、なにすんだ!」
「大丈夫なの?!」
「スライム、しっかり!」
カレルがみなに知らせ、チエムが逃げようとする村人の前に回り込み阻止し、エニーが青ざめ、ティコが駆け寄ってスライムをそっと抱き上げる。
「メイニ、スライムが大丈夫そうかどうか聞いてくれ」
アルノの落ち着いた声が、緊迫する空気を弛緩させた。
「うん。……チュライム、へいきだって!」
「「「「よかったあ」」」」
「じゃ、じゃあ、俺はこれで、」
「待てよ、おっさん!」
「逃がさないぞ」
カレルとチエムが立ちはだかるも、村人は舌打ちせんばかりでふたりを押しやって行こうとする。
「君、スライムを尊重できないのなら、もう来なくていいぞ」
アルノが静かに言い渡した。
「はあ? なんであんたにそんなことを言われなくちゃならないんだよ」
中肉中背で若いアルノを、頭のてっぺんからつま先まで見渡して、村人が嘲笑する。
騒ぎが起こった際、最も的確に動いたリシェルがレファートを連れてやって来るのが視界に入ったカレルとチエムが慌てる。
「おっさん、やめておけ」
「悪いこと言わないから、それ以上は止せ」
スライムも自己申告で平気だというし、顔見知りの村人の身を案じてのことだった。アルノがやって来る前、つまりここまで様変わりするまでには、邪険にされることもあれば、彼らの助けでなんとか食べることができたのだ。一概には言えないが、恩があることには変わりない。
そんな気遣いを知らず、村人の口は止まらない。
「スライムごときがなんだって言うんだ。大体、あんたみたいな下っ端にそんな権限なんてあるのかよ?」
「その方が最も偉大なのだ。その師に対し、なんたる暴言。万死に値する」
地獄から這い出るような低い低い声には、まさに抑えがたい怒りがありありとしていた。
「カ、カトリエン様!」
村人は飛び上がらんばかりだ。
特筆すべき生産物をもたなかった寒村ににわかに物資が増え、豊かになりつつあるのは、ひとえにカトリエン商会の息子であるレファートのお陰だというのが、村での共通認識だった。そのレファートは学者でもあり、なんらかの研究のために立派な建物をいくつも建て、まだつくるという。
村の恩人であり、最も逆らってはならない人間である。
そのレファートが怒りを露わにしたことから、村人は平身低頭で泣いて謝った。最終的には見かねたアルノがとりなしたところ、手の平を返すとはこのことかというほど、レファートがころりと態度を変えた。
村人はなんとか、難を避けたと思った。
だが、すぐに村長から呼び出されて、まだ事態は収束していないことを知る。
村人たちがなによりレファートに恩を感じる理由である魔農具や魔道具をひと揃え貸与された際、締結した契約書にこういった一文があった。
「アルノ・カルフォシスに敬意を払い、その言動を阻害することはまかりならぬ」
「あの、この、一文は?」
「近来稀な素晴らしい学者のことだ。その方の研究と居住の環境に必要なものを整えるための各種契約書だ」
すべてはアルノという学者のために行われているという。
「そう話したはずだが」
「で、でも、そんなに偉そうな人ではなかったし、」
「重大な契約違反だ。お前はしばらく肥料集めをしておけ」
「そ、そんな」
みなが嫌がる汚れ仕事を命じられ、村人は落胆した。
狭い村の中の出来事はすぐに知れ渡る。
大量に貸与された魔農具や魔道具が取り上げられたら大変だ。人は一度楽を覚えたら、以前していた苦労をふたたびしたいとは思わない。
こうして、村中にアルノとスライムには丁重に遇すべし、という認識が根付いた。アルノが親しく付き合うリシェルと子供たちもぞんざいに扱われることがなくなった。
さて、貴重なスライムの検体が手に入ったアルノたちは、細胞を破砕する機械と遠心分離器にかけ、スライムの細胞を研究するのだった。
「破砕液をつくる、つまり細胞を破砕する際には低温で行うのがコツだよ」
「なんでー?」
「液の温度が高いと、加水分解酵素が働きすぎてしまって、細胞小器官を分解しちゃうんだ」
「とけちゃうー」
「いやーん」
「案外、処理中に摩擦熱が発生しちゃうんだ。観察対象がなくならないようにしなければならないんだよ」
「とーちょーえきは?」
「破砕液を等張液にしておく、というやつだね。低張液だと、細胞小器官が吸水して破裂しちゃったり、高張液だと、細胞小器官が脱水してしまったりするからなんだよ」
「わー、よくわかんないけど、すごーい」
「すらりん、かしこいねー」
「ねー、ものしりー」




