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 アルノを慕って集まった人々のうち、最も目立つのはレファートとエルミラだ。

 レファートは見目好すぎてためいきが出ると言われている。

 エルミラはひそかに死神と称されている。あまりの美貌に息を忘れるからだ。息の根が絶えるということから不穏なあだ名がついた。

 ふたり揃ってちょうど均衡が取れるとは、師匠の談だ。


 レファートはアルノのこととなれば熱くなるが、それ以外については淡白で、物事を理路整然と進めていく。

 アルノはエルミラの息が止まるうつくしさよりも、その技能、努力に着目した。エルミラは師の前でだけは学者でいられた。もうひとり同輩のレファートがいるが、彼はライバルである。学問の上でも師の関心を集める上でも、競い合う関係だ。


 アルノはリシェルたちと相談し、スライムの特異的な性質をそのふたりにまず明かすことにした。

「スライムは最下層の生物とみなされていますが、どの生物にも見られない特異的な性質を持っていたのですね」

「それに着目されるとは、さすがは我が師だ」

「リシェルがこれまで研究してきたお陰だよ」

 賢師の称号を持つ学者にそう言われ、リシェルは思わず肩を縮めた。


「賢師はそうやすやすとなれるものではない。師が提唱した仮説は、誰もが理解することができなかった。けれど、後に重要なものであることが判明したのだ」

 修師の称号を迅速に得たアルノは、誰も考えもつかないこと、突拍子もない仮説を立てた。

「今の常識では考えられないことだ。だからといって、それが間違っているとは限らないだろう」

「だが、あまりにも現実的ではない」

 多くの学者はそう反論した。


「今見えているものがすべてではない。実はまったく見えていないかもしれない」

「そのとき、ああ、この人は見えないものを見ようとしているのだなと思った」

 レファートは当時を思い出してしみじみ言う。

 そのとき見えているものだけにとらわれず、見えないものも見ようとする。そのとき重要なのは、現状の材料だけでは不足部分が多すぎて、あまりにも似つかないものが予想図となってしまうことだ。

 だから、他人からすれば突拍子もない仮説を立てるのだ。そして、突拍子もなく思えるものが、実は真実であったりするのだ。彼はほかの人間には見えないものが見えている。


 同時に、華々しい成果を上げているアルノは地道な研究を根気強く続けた。

「知ることは楽しいから」

 生物学はまずは観察が大事だ。対象と環境の双方を綿密に調査しなくてはならない。

 生物は自然環境との関係性によって大きく変化するからだ。つまり、季節や天候に大きく左右される。日付、時間、天気のほか、気温、湿度、気圧、明暗などの条件を詳細にしておく。


 アルノは学者たちがやって来ても、研究の傍ら、子供たちに教え続けた。

「手を少し濡らして風の速さと風向きを知るんだ」

「こうやるの?」

「あ、結構わかる」


 ふとした拍子に思いつく仮説は、たいてい粗い論理だ。

「ミルクに沈められ、ところどころ顔を出している感じかな。だから、一部分しかわからない。全体像はまったく見えてこなかったり、漠然としている。なんとなく輪郭だけはわかるときもある。問題は、その状態で決めてしまっては、予断となってしまう。そうなると、これから発見すべき全体像が歪んでしまう。それでは、正解にたどり着くことは難しくなる。ミルクの海から顔を出した部分をどんどん増やしていく。見えている部分をつなぎ合わせ、あるいはすぐそばの見えない部分を引き上げていく。そうして、徐々に全容が浮きあがってくる」


 ノートに思いついたことを書き、考え付く様々な仮定を加えていく。問題点、疑問点を加味する。

 仮定に問題があったのか。この道筋で違ったのだろうか。あるいは、どこかの地点が誤っていたのか。そもそも、前提が悪かったのだろうか。

 事柄一つ一つが浮かんでは消えていく。その都度、再確認し、あるいは覆る。


 そうして思考の迷路をさまよっていると、ふとほの明るくなっていることがある。次のステージへの糸口が開いている。

 環境の変化によって脳が刺激を受ける。


「だから、散歩や旅行は新しい観点を得るのに具合がいい」

 そんな心構えであったから、大学長に半ば追い出されるようにして大学を出たのだろう。

 大学と同じくレファートが研究や住居の環境を十全に整えつつある。環境は飛躍的に改善される。


 研究のことに意識の大半が占められる傾向にあるアルノに、変化がきざしていた。

 リシェルが重いものを運んでいるのを見て手伝おうとしたものの、アルノには持てなかった。

「アルノ君、僕が持つよ。リシェル君、どこへもって行くんだい?」

 ピートはスライムに嫌われてしまったものの、気の良い学者だった。そして、優秀な学者でもあったから、リシェルは恐縮しきりだ。


「そんなに僕は怖いかね?」

「い、いえ、そういうわけではないんです」

 スライムに嫌われた一件を知るリシェルは慌てるが、ピートは「冗談だよ。共同研究者なんだから、気兼ねすることなんかないさ」

「は、はい」

 学院の教師のような風貌のピートは、その実、もっと上の教育機関の研究者だ。そんな人に共同研究者だと言われ、同等に扱われたことに、リシェルはほほを染める。

「スライムがこれほど面白い生物だったとは。そのスライムにエネルギー供給をできる君は有用な人材だ」


 アルノから見ても、ピートの称賛はリシェルの心に響くものだと分かった。

 いい感じの雰囲気のふたりに、アルノは妙な気持になる。それが具体的にどういう感情なのかは判別がつかなかった。

「俺は下手な冗談すらも言えないしな」

 そういうことではない。そう突っ込む人間、例えばエニーやカリスタは残念ながらその場にいなかった。




「ああ、ありがとう。光魔法顕微鏡の微調整はエルミラの右に出る者はいないな」

 アルノは光魔法顕微鏡の工学的な知識をも持っていたので、物理的な調整は可能だが、光魔法の扱いができない。

「何度も何度もやりましたから。もう目をつぶってもできそうな気がします。我が師は生物学のみならず、工学的な知識の造詣が深い」

「師は学生のころから魔法学を顕微鏡の向上に結び付けることを考案されていたのだ」

 エルミラに我がことのようにレファートが胸を張る。


「俺は発案しただけだ。商人や職人の伝手を持つレファートや光魔法をよく扱うエルミラがともに開発に当たったから生まれたんだ」

 アルノから信頼される弟子ふたりは実に満足げだ。


 そのふたりのうち、同じ光魔法を扱うエルミラに、リシェルは複雑な感情を抱いた。あちらは大学を卒業して称号まで得た女性で、リシェルはせっかく学院に入学したというのに、スライムを使役することしかできないという大きな隔たりがあった。

 リシェルはなんだか悔しくなった。エルミラをすごい人だと分かっていてなお、そんな風に思ってしまう。それはふつうの心の働きで、そう思う人もいれば思わない人もいる、程度のことだった。だが、この年頃のある種の潔癖さが自分への嫌気につながる。


 エルミラを間近にすれば、まず、そのうつくしさに圧倒された。黒い長い髪が肌をより一層白く見せる。なにより、ピーコックグリーンの瞳が生命力にあふれている。

 男性のみならず、女性の視線をも釘付けにした。

 アルノを師と仰ぐエルミラは、他者に対してはそっけないほどの態度を取る。


「美人だから、いろんな苦労があるんでしょうね」

 必要事項を話したらすぐに離れていくエルミラの後姿を名残惜し気に見る男性、という場面を何度か目撃したリシェルが言う。ともに研究をする学者だけでなく、工人や村人、商人の中もいた。

「そうね。ちょっと親切にしたら、自分に気があるからだと舞い上がっちゃう男性って、案外いるものね」

 肩をすくめるカリスタに、笑顔で挨拶しただけで、「自分の女」扱いされたことのある学院生活のことを思い出したリシェルが苦い表情を浮かべる。


 そんなふたりはだから、その下世話な会話が耳に入ったとき、迅速に行動した。

「白い肌に散らばる黒い長い髪がたまらない」

「あの取り澄ました顔を歪めさせたい」

「なんと言っても、たゆんたゆんな胸がいい」

 そういった会話を、すぐ隣を歩いていくエルミラに聞こえよがしにするのだ。

 リシェルとカリスタはさっと目を見かわし、エルミラに向こうへ行こうと促す。

 当のエルミラはふ、と鮮やかなピーコックグリーンの瞳を(すが)める。

「男社会はこんなものだ。学問の世界は男性ばかりで、恋愛を楽しむ暇を惜しむものだから、近場にいる女性を話題にして衝動をやり過ごそうとするんだ」

「そんな人たちの自己都合にいいように利用されるこっちはたまったものではないわ」

 カリスタが腕組みをする。


 リシェルはエルミラに対して、同じ女性なのに博師の称号を持つ学者であることやアルノに師事していることについて、複雑な思いを持っていた。

 けれど、彼女が置かれた境遇を知り、同じ女性として大いに共感した。やはり学院でも女生徒に雑用が押し付けられがちだったり、順番を後回しにされたり、といった事象は多々あった。


 さて、庭でスライムと遊ぶメイニが三人のやり取りを見聞きしていた。

「チュライムをわたちてくる!」

「え?」

「スライムを?」

「うん!」

 メイニはスライムを二匹抱えてせっせとエルミラを揶揄した者たちの元へと向かった。


「はい!」

「え?」

「お嬢ちゃん、なにかな?」

 男性陣はスライムを差し出す子供に戸惑うほかない。

「チュライム、ぷるぷるちているのよう」

「そ、そうだね。ぷるぷるだね」

「ね、これでおんなのこがいなくてもだいじょうぶ!」

 メイニが自信満々で言い放つ。

 リシェルとカリスタ、そしてエルミラはあっけにとられた後、噴き出した。


 学者たちは幼子の曇りなき眼差しで見上げられ、たじたじとなる。視線を交わし合い、ばつが悪そうにす、と逸らす。

 下世話な会話も、純粋な子供の前ではできなかったのだ。

 だが、中には猛者がいた。


「もめば、たゆんたゆんが味わえる?」

 スライムを凝視しながらごくりと生唾を飲み込む。

 開いた両手の指をなにかを掴むかのように動かす仕草、なによりギラギラした目に気圧されたメイニが半歩後退る。

「だめよう。らんぼうにあつかっちゃあ、だめ! チュライムにきらわれちゃうわよう」

「き、嫌われる?!」


 スライムは今や重要研究対象者である。しかも、信頼関係が重要になってくると予想されていた。学者たちはそっと扱うようになっていたし、工人や村人たちにもくれぐれも丁重に接するようにと話していた。出資者であるレファートからのお達しだ。


 固まったまま動かなくなった同輩を横にどかし、学者がメイニの傍らにしゃがみ込む。そっとスライムに触れる。

「おお、確かに微細な震えが伝わってくる」

「この微細な震え方の違いが分かれば、メイニ君ほどではないにしろ、スライムの考えていることが分かるようになるのでは?」

「おじさんたち、ようやく女性から離れてくれたわね」

「スライムの振動を感じとる方向に行ったのだ。研究への意識が勝ったんだろう」

 カリスタとエルミラが笑いをこらえながら言い合う傍らで、リシェルが噴き出した。




「おおきなにんげんがつかもうとする」

「いやーん」

「わー、にげろー」

「めいにがだめっていってくれた」

「わあ、めいに、すごーい」

「ありがとー」

「「「ぷるぷるぷる」」」




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