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 順調そうに見えても、研究は行き詰まっていた。

「器材が足りない。この顕微鏡は簡易的なものなんだ。本来、光魔法顕微鏡は大掛かりでスペースを取るものだ」

 簡易的とはいっても、携行できるサイズである程度の画像取得ができるものであるから、通常の大サイズの顕微鏡と値段と同等の高額な代物だ。さらには、各調整と発射角度の安定を自動で行う機能がついているため、より高額となる。


 高性能の顕微鏡は、魔力充填が必要だ。研究費のほかに生活費もいる。

 自分よりも大分年下のカレルやチエムが農作業を手伝って糧を得ているのに、甘えているのはいけないと感じる。


「また薬をつくって売りに行く?」

「そうだな」

 頷いたアルノはため息交じりに言った。

「レファートやエルミラたちがいたらな」

 同じような台詞を以前も聞いたことがあるリシェルはそっとアルノに視線をやった。


「それって誰? やっぱり学者さん?」

「アルノの知り合いならうだつの上がらない学者だろう」

 ティコにアルノが答えるよりも先にチエムが言ってにやにや笑う。

「彼らは優秀な学者たちだぞ」

「へえ、じゃあ、そいつらも称号ってのを持っているのか?」

「彼らは博師だ」


 優れた学者に与えられる称号には「叡師、賢師、博師、修師、学師」がある。現在、叡師の称号を持つ者はおらず、賢師は十人に満たない。

 アルノがそう説明すると、チエムが目を丸くする。

「すごいじゃん!」


「そういえば、アルノは修師なんだよな」

 カレルは薬屋の主に身分証を見せていたことを憶えていた。

「記憶力がいいな」

「ぼんやりしていると、いいように利用されるだけだからな」

「アルノも研究ばかりじゃ生きていけないぞ」

 アルノが褒めるとカレルが必要に迫られてのことだと肩をすくめ、チエムがにやにや笑う。


「チエム、アルノさんは学師よりもひとつ上の称号をもらっているのよ。十分にすごいわ」

「それもそうか」

 学院を失意のうちに卒業したリシェルが言うものだから、それ以上はからかうことはできずにチエムはあっさりと引く。

 彼らはリシェルの経験から、優秀でもなんらかの(つまづ)きがあれば認められることはないと知っているのだ。


「いや、あの身分証は今のものではなくて、」

「なんだよ、偽造身分証だったのか?」

「のほほんとしていながらやるじゃん!」

 アルノが説明しようとするも、カレルとチエムがはやしたてる。

「違う、」

「なんですって?! アルノって、学者さんじゃなかったの?」

 エニーが参戦しててんやわんやになる。

 アルノはなんとか、大学の学者というのは本当だと理解させることができた。


「アルノさんはすごい学者さんよ。だって、わからない人間にわかるように説明できるって、とてもすごいことよ」

「アルノ、すごいよね」

 擁護するリシェルに、ティコも同意する。


「そんなアルノよりもすごい博師がいたら、確かに研究も先に進みそうね」

「ああ。それだけではない。レファートは多才でな。必要な資材を迅速に準備してくれるんだ」

 エニーが話の軌道を戻し、アルノはそのフォローに既視感を覚える。

 研究費を得るためには、素晴らしい研究ができるだけでは足りない。出資者に理解させなければならない。

「なんなら、研究が金を産むようにする発想が必要だ。つまりは現代の錬金術というわけだな」

「錬金術師にはパトロンはつきものだものね」

 エニーが大きく首肯する。

 中には錬金術師を囲って逃げ出さないようにした富豪もいた。

「学者も苦労してんだな」

 チエムが同情の表情を浮かべてアルノの背中をたたいた。


「エルミラは光魔法の繊細な扱いに長けている学者だ。彼女は顕微鏡の発展に大いに貢献している」

「へえ、女の学者さんがいるんだな」

「うん。とても優秀な研究者だよ」

 以前出てきた名前に、リシェルはやきもきする。前はそれを、女性の身でありながら優秀な研究者だということに対してだと思っていた。でも、今はそれだけではないと自覚している。


「そういえば、メイニはどこ?」

「あれ、本当だ、いない」

「庭でスライムと遊んでいるんじゃないのか?」

 ティコがふと気づいて声を上げ、ほかの面々も室内を見渡し、チエムが結論づける。

 そのメイニがスライムを一匹抱えて戸口に立った。

「おきゃくたん、きたよ!」

「お客さん?」

 リシェルが玄関に向かい、やがて男女をひとりずつ連れてやってきた。

「アルノさんを訪ねて来たそうなの」

 リシェルの後からまず、長身の男性が入ってきた。


 ダークブラウンの髪、キャメル色の瞳のくっきりした顔立ちの美青年だ。見目好すぎてためいきが出ると言われる容姿に、「すげえ、こんな人、初めてみた」「ランディよりもずっと格好良い」などと子供たちがため息交じりにささやきあった。


「師よ! ご無事で何よりです」

 非常に堂々とした美青年はアルノの姿を見たとたんに、すがりつくように椅子に座る彼の傍らに跪いた。


「学長からおひとりで放逐されたと聞いたときはひねりつぶしてやろうと思いましたが、なにごともなく、安心しました」

 座ったアルノに切々と訴えるさまはまるで生き別れた親に再会した幼子のようだ。容姿や雰囲気からすれば、子供の方がアルノにふさわしかったけれど。


「崖から落ちたけど、大したけがもなかったしなあ」

 チエムが茶々を入れた。彼はすぐにそのことを後悔した。

「崖から、落ちた?」

 低い低い声を出してゆらりと立ち上がる。

「あのクソ学長、やはりひねりつぶす」

 地獄から這い上がってくるような不穏極まりない声音に、子供たちが震えあがる。


「落ち着け、レファート。この通り、平気だから。それより、君に会えてちょうどよかった。実は頼みたいことがあって、」

「はい、承りました」

 アルノが言うと、雰囲気を一変させ、レファートが掌を胸に置き、恭しく一礼した。


「まだ、なにをするか言ってなかったよな?」

「師が望むものならなんでも叶えてみせます」

 あっけにとられて思わず漏らしたのはカレルだが、レファートはアルノに向かって言った。


「我が師よ、わたくしにもお手伝いすることはありますか?」

 玲瓏たる声とともに入ってきたのは、こちらも長身の女性だった。黒く長くまっすぐに流れる髪、鮮やかなピーコックグリーンの瞳、高いほほ骨の知的な美人だ。

 あまりのうつくしさに、アルノとレファートを除く者たちは息を忘れて見とれた。

 彼女は女性初の博師の称号を得た。だが、まず取りざたされるのはそのうつくしさだった。

 彼女は死神と呼ばれていた。あまりの美貌に息を忘れる。息の根が絶えるということからそう称された。


「エルミラもいっしょだったのか。君たちの力が必要だと実感していたところなんだ」

「「お任せを」」

 声がそろうも、類稀な美貌を誇る男女は視線を合わせようとしない。


「なあ、いっしょに来たみたいだけれど、もしかして、ふたりは仲が悪いのか?」

 後頭部で両手を組んだチエムがずけずけと言い、がら空きになったわき腹をエニーに肘打ちされ悶絶する。

 ティコはリシェルにしがみついて成り行きを見守っている。


「まあな」

「わたくしたちはライバル同士だから」

 レファートもエルミラも平然としたものだ。なお、なにで張り合うのかといえば、どちらが師匠の一番弟子かという点である。

「ああ、確か、どちらも博師なんだっけか」

 カレルがアルノから聞いた話を思い出す。


「師よ、わたしのことを思い出し、お話してくださっていたのですね!」

「光栄なことにございます」

「あれ? ちょっと待ってくれよ。なんで、修師のアルノのことを博師のあんたらが師匠呼ばわりするんだ?」

「師が修師?」

 チエムの言葉にレファートが片眉を跳ね上げる。

「まさか。我が師は賢師だぞ」

 エルミラは男性のような硬い口調で話す。


「うっそだあ!」

「はぁ?!」

「えっ?!」

「どういうこと?」

「待って、賢師って、十指に余るほどしかいないって」

 リシェルが自分で言ったことに呆然とし、後の言葉が続かない。


「こんなのほほんとした兄ちゃんが?」

 チエムが言ったとたん、その首根っこをレファートがひっつかみ持ち上げ、頭をエルミラがむんずとつかむ。

「師に対してなんと不敬な」

「悪い子供には仕置きが必要だ」

「痛ぇぇぇぇぇっ! 放せ! 放せよ!」

 じたばたするも、レファートもエルミラもびくともしない。


「放してやってくれないか」

「「かしこまりました」」

 アルノが言うと、声をそろえて答え、すぐさま実行に移す。解放されたチエムはふたりから距離を取ってカレルの後ろに逃げ込む。


「でも、アルノ自身が修師の身分証を見せていたんだぞ」

「リシェルが言う通り、賢師の数は少なくてな。目立つといけないから、ああいう場面では修師の身分証を見せるようにとレファートが用意してくれたんだ」

 カレルにようやくアルノは訳を話すことができた。今までなにかと機を逸していたのだ。

「それって、どちらにせよ偽造身分証じゃあ……」

 言いさして、エニーは賢明にも口をつぐんだ。チエムが受けたお仕置きを思い出したのだ。


「権力者が知恵を独占しようとするのは古からあることだ」

「不老不死を求めるがあまり、錬金術師を囲い込み、軟禁していたこともある」

「こういうときは息が合うんだな、このふたり」

 そのふたりの連係プレーでお仕置きをされたチエムがこっそりつぶやく。


「待って! じゃあ、リシェルは賢師の学者さんと共同研究をしているってこと?」

「おお!」

「すげえな、リシェル!」

 エニーが気づいたことに、カレルとチエムが喜びに沸く。


「「共同研究?!」」

 レファートとエルミラが低い低い声を出し、リシェルの方を見やる。キャメル色とピーコックグリーン色のそれぞれの瞳には羨望と嫉妬がありありと宿っていた。

「なるほど。このふたりはお師匠さまをとても尊敬していて、その上、誰よりもお師匠さまに認められたいのね」

「子供か!」

 ふだんはなにかといがみ合うエニーとチエムも、なかなか息が合う様子を見せる。


「レファートもエルミラも素晴らしい学者だよ」

「師よ!」

「我が師!!」

「リシェルも素晴らしい研究者だ」

 感激するレファートとエルミラに即座にアルノが付け加える。

「……師がそうおっしゃるのなら」

「認めないわけにはいきません」

「案外、ちゃんと手綱を取れているのね」

 渋々ではあるが、尊敬する師の言葉を受け入れるふたりに、エニーが感心する。


 大勢が集まった部屋でも、会話が途切れ沈黙が訪れることがある。その最中鳴った、くう、と可愛らしい腹の音は、みなの耳に届いた。

「おなかちゅいた」

 スライムを腹に押し付けたメイニが切なげにため息をつく。スライムがなだめるように、ふるふると震えた。




「めいにがたいへん!」

「わあ、たいへんだ!」

「「「たいへんだ!」」」

「めいに、どうしたの?」

「またあつい?」

「おなかすいたって」

「わあ、たいへん!」

「おなかがぺったんこになる」

「うごけなくなっちゃう」

「「「たいへんだ!」」」




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