第九話 魔女の太腿で勇者は死の淵を見た
道具屋の店主は相変わらず無愛想だったが、俺の姿を捉えるなり嬉々として回復薬を売りつけてきた。
近頃魔物が凶暴化しているらしく、回復薬を大量に仕入れたはいいものの、売れ行きはあまり伸びず。在庫を捌ききれずに困っていたらしい。
「レイトは道具屋の未来も救ったね」
と、イリヤが冗談めかして言っていたが、俺が買い占めなければ道具屋は利益は得られそうにもなかったのであながち間違いでもない。
概数にして300個もの回復薬が、収納魔法で亜空間に収容されている。向こう3年はこれで困らないだろう。
かくして、王都でのタスクを終えた俺たちは王都を出て、ゼファイル王国の西部にある都市リーベイへと向かっていた。王都から乗合馬車に乗ったので、あと10日も揺られていればリーベイに着くだろう。
乗合馬車は8人分の席料を払えば貸切に出来たので、喜んで払った。御者は仕方ないとしても、出来る限り人目は避けたいというのがどうしても付き纏う。そんなわけで、広い馬車にイリヤと2人で乗っていた。
「あれだけ買った後に言うのもなんだけどさ、私が回復職を務めても良かったんじゃない?」
「悪くない提案だ。ただ正直なところ、俺はソロのスタイルが染み付いてるから回復薬の方が立ち回りやすい」
極位の回復魔法まで使えるのなら悪くないどころか、是非取り入れたいところではある。今更スタイルを変えて上手くやれるかわからないのもあるし、戦闘は俺が担うという条件で護衛を務めているので断らざるを得なかった。
「そういうわけで戦闘中は基本的に大丈夫だ。余裕がある時か……そうだな、馬車の乗り物酔いを治してくれると助かる」
「乗り物酔いするんだ?」
「……まあ今は問題ないが、長く乗っていると厳しい。昔からどうもダメなんだ、乗り物だけは」
こちらの世界に来る前から乗り物酔いするタイプの人間だった。ただでさえ酔いやすいのに、アスファルトで整備されていない道の揺れに耐えられるはずがない。
「いいこと思いついた」
イリヤはそう言うなり、向かい合っていた位置から俺の隣へと移動する。何をするかと思えば、誘うようにポンポンと膝を叩いた。
「頭乗っけていいよ?」
それは俗に言う、膝枕というやつの誘いだった。
イリヤは時々、距離感がおかしくなるらしい。
「遠慮しとく」
まだ酔ってはいないし、適切な距離感は保っていきたいところだ。
「遠慮しなくてもいいのに」
「気持ちはありがたいが、もう甘えるような歳でもない」
「レイトって今いくつだっけ?」
「27だ」
この世界に転移してきたのが16歳になったばかりの時。
それから、11年と半年が経った。
「27ならまだ全然子どもじゃない」
ざっくばらんにイリヤは言う。
彼女がどれほど長く生きているのかはわからないが、話を聞く限り27歳は子ども扱いできるくらいには生きているようだ。
「子どもって……」
「人間的にはそうじゃないかもしれないけど、1000年生きる長命な種族もいるわけだしね。私はそんなに生きてないけど、それにしたって27歳なんてまだまだ……」
冗談というか出まかせというか、先ほど検問でイリヤを俺の隠し子だと言い張った。見た目としてはあながち的外れでもないが、それはさておき。イリヤとしては俺が子供あるいは孫くらいの感覚で接しているのだろう。
異種族間で感覚の差が生まれやすいのは寿命が異なるからだと、かつて誰かが言っていた。医療の発達していないこの世界では人間の寿命はおよそ60歳。60年のうちの27年と1000年のうちの27年では、それは感覚的な違いも生まれよう。
「そういうイリヤは……」
何歳なんだ?
つい流れで聞こうとして、一度言葉を止める。
「いや、なんでもない」
女性に年齢を尋ねるものではないという身に染みついた教えと、なんとなく知りたくないという曖昧な理由で踏みとどまった。
「なに、私の年齢を知りたいの?」
そう来られると、わざわざ踏みとどまった意味がない。とはいえ話の流れ的にそれしかないのは、イリヤもわかっているはず。からかってものを言っている様子でもないし、素直に聞いてもいいのだろうか。
「まあ、正直気になる」
「あんまり人間には言わないけど、レイトになら教えてあげる。と言っても、正確な年はわからないけど」
イリヤは俺の耳にゆっくりと口を寄せる。
どうやら、耳打ちで教えてくれるらしい。俺にだけ聞こえる声量で、囁くように言った。
「私、もう300年生きてる」
300年。
聞いたはいいものの、あまりその年数にはピンと来ない。理解はしているが、信じられないようなそんな感覚。
例えるなら、この国が建立してから300年経ちましたと言われてるようなものだ。実際にその年月を観測した訳ではないが、疑う余地はない。しかし、事実としては受け入れがたいというか。
「もう、なんか言ってよ」
300年という年月に思考をめぐらせていると、イリヤが不満そうに顔を覗いてくる。
吸い込まれそうな黒い瞳がすぐ目の前にあった。その目には、困った顔をした俺が反射して写っている。
「歳の割に、若いな」
「そりゃあ、ね?」
慌てて失礼ともとれることを言ってしまったが、イリヤは特に気に留めず。むしろ、胸を張って得意げな表情をしていた。
実際には省略されていたが、俺の耳には「そりゃあ、不老だからね?」と聞こえた。
「やはり、それだけ生きてると人間と感覚も違うのだろうな」
「かもね。私には人間の感覚がわからないから違いがわからないや」
「そうだな」
人間の感覚がわからないと言う割には、旅が3ヶ月から1年に伸びるのを懸念していたし、壊滅的な差異は感じない。
賢者の石と魔王のことに関しては、俺も最後まで見届けたいという思いが強いので、この旅が1年から10年に伸びようがイリヤに付き添うつもりだ。仮に100年に伸びたとしても、出来る限りはやり遂げたい。
「この旅で時間は心配材料にはならなそうだ。俺が先にくたばるだろうが、その前には解決出来ているだろう」
「きっとね」
決意もそこそこに、少し気分が悪くなってきた。
王都から少し離れて、道が悪くなってきたからだろうか、酔いから来る吐き気が喉をせり上がってきている。
「悪い、イリヤ。少し横になる」
「大丈夫? 回復魔法かけようか?」
「できれば頼む。これ以上気分が悪くならないうちに寝る」
「じゃあ、どうぞ」
再度、イリヤは自らの膝を叩く。
断った手前忍びなかったが、わざわざ反対側へ行く気力もなく。なし崩し的にイリヤの膝を借りることにした。
細い見た目とは裏腹に、柔らかい感触が頭を包む。
「【下位回復】」
気持ち悪さを洗い流すような、爽やかなそよ風が額に当たる。気分は楽になったが、回復魔法による酔い止めは一時的な効果に過ぎない。何度も回復魔法を掛けてもらうよりは、このまま寝た方がいいだろう。
「ありがとう、イリヤ」
それだけ伝えて、俺は微睡みへと落ちていった。
*
目を覚ますと、俺は魔王になっていた。
なぜ魔王になったのか、どうやって魔王になったのかはわからない。ただ、自分の体が自分のものじゃ無いような気がして、自分の手を見たら醜い姿に変貌していた。
場所は、見覚えがあった。魔王城の最奥にある王の間だ。かつて、俺が勇者として魔王を屠った場所。そこに、俺は今魔王として立っている。
目の前にいるのはイリヤ。
いる、というよりも仰向けで床に転げている。
「イリヤ」
声をかける。
しかし、反応はない。
よく見ると、イリヤは血みどろの状態だった。胸部には見たことも無い禍々しい剣が突き刺さっている。
「……なんだ、これ」
剣を引き抜いて、回復魔法を掛ける。
中位の魔法、【回復】では回復しなかった。
収納魔法で亜空間から最上位の回復薬を取り出し、掛ける。四肢欠損ならば治せると言わしめる最上位の回復薬でも、回復しなかった。
「嘘だろ……」
イリヤは、死んでいた。
おそらく、俺が……殺した。
眩暈がする。
イリヤは不老不死のはずだ。なのに、なんで?
なんで、死んでいるんだ。なぜ、どうして死ぬ必要があった。何があって、俺はイリヤを殺したんだ。
吐き気がする。
気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。
気持ち悪いのに、吐けない。
「ああ、クソ……」
何のために旅を始めたんだ。
俺の魔王化を防ぐためじゃないのか。
魔王が二度と復活しないようにするためじゃないのか。
何一つとして、達成できてないじゃないか。
*
——イト、———きて———レイト。
ぼんやりとする頭の中で、俺を呼ぶ声が聞こえる。
透き通るような声だ。
さっきまで聞きたいと望んでいた声。
「起きてってば、レイト」
意識がはっきりと覚醒する。
頭にはまだ、太ももの感触があった。
「……すまない」
気怠い体を起こす。
イリヤが回復魔法を掛けてくれたのか、吐き気はそこまでなかった。だが、あんな夢を見たせいか、気分がすこぶる悪い。
「大丈夫? 魘されてたけど」
「ああ、体調はそんなに問題ない。そっちこそ、大丈夫か?」
「私? 全然平気だけど……?」
「そうか、ならいい」
とにかく、アレは現実ではなかったようだ。
一安心したところで、馬車が止まっていることに気づく。
「もう陽が沈んだから今日はここまでだって、レジールさんが」
レジール、御者の名前か。
小柄な猫人族の青年だった。
「なるほど」
もう、そんなに時間が経っていたか。
長いこと膝枕をしてもらったようだった。どこかのタイミングでお礼でもしないとな。
馬車から降りると、あたりはすっかり暗くなっていた。
レジールと話した結果、今日はここで一晩明かすことになった。
春先ということもあって、夜になると肌寒い。御者が気を利かせておこしてくれた焚き火に当たるくらいが気温としては丁度良かった。
「晩ご飯にしよう」
「そうね」
旅の間でもご飯は、どうしても簡易的なものになる。収納魔法で物量的な余裕はあるが、調理する手間と時間的な拘束は避けたいところである。
亜空間から鉄製の鍋を取り出し、中には今朝倒したてのボア肉を人数分、それからスパイスとなる香草を入れ、水を注いでまとめて火にかける。
あとは黒パンと呼ばれる、黒麦を用いたパンが主食だ。この黒パン、長い冒険者生活で慣れたが、お世辞にも美味しいとは言えない。
ボア肉の煮込みはまだ柔らかいし、クセはあるがスパイスで多少は軽減できる。干し肉が主な食事なので、煮込みはちょっとした贅沢の部類だ。
「美味しそうな匂い」
焚き火のそばで待っていたイリヤと、それから馬車の点検を行っていたレジールを呼んで、3人でボア肉と黒パンを平らげた。あまり言葉は交わされなかったが、決してギスギスした雰囲気ではなかった。
「夜中の見張りは任せてくれ」
腹が満たされ、一息ついた後。
睡眠は昼間のうちに十分に取ったので、夜中の護衛は俺が名乗り出た。反対する者もいなかったので、言葉の通り俺は護衛をすることになった。
「じゃあ、よろしくね」
「よろしくお願いします」
イリヤは客室で、レジールは荷台で寝るらしい。それぞれが、馬車に入ったのを目視してから近くにあった切り株に腰を下ろす。
パチパチと焚き火の燃える音だけが聞こえる静かな夜、考え事をするには最適の環境だった。見張りとしての役割は果たすよう、最低限の注意はする。
(やはり、考えるべきことはあの夢か……)
夢にしてはやけにリアルだった。
視界も感触も、まるでその場にいるかのような。剣柄の硬い感触は確かにあったし、生臭い血の匂いまでした。
ふと、一つ思い当たる節があった。
もしかすると、あの夢のようなものはイリヤの死の淵を見る能力と同じ現象が起きたのかもしれない。
だとすると、俺はイリヤの死の淵を見たということになるのではないだろうか。もちろん、俺にそんな能力はないはず。
「だが、辻褄は合う……」
見れた理由はわからないが、可能性としては考えられる。一応理由を考えるとすると、イリヤに長い間接触していたから見れた、というとこだろうか。
ただイリヤの能力の発動条件はおそらく、手が対象に触れることだと思う。俺が無意識下に触れていて、ということも考えられるが、まさか本人に聞くわけにもいかないし、何より俺の手が触れたから発動する能力ではないはず。
(……これ以上は、考えてわかることでも無さそうだな)
独りで考える時に重要なことは、考えごとのやめるタイミングを見極めること。俺は夢に関して考えることをやめた。
明日になってから、イリヤに聞けばいいだけのことだ。どうせ、リーベイまではあと数日かかる。馬車に揺られている間なることも無いので、話す機会は十分にあるだろう。




