第十話 インシデント
翌日、一行は引き続き馬車に乗りリーベイを目指している。
イリヤからの膝枕の申し出は断った。あの夢をもう一度見たいとは思わないので、念のためだ。回復魔法は適宜掛けてもらいつつ、寝たかどうかもわからない浅い睡眠を繰り返して時間が過ぎるのを待った。
その晩、レジールが寝たタイミングを見計らってイリヤを呼んだ。昼間に申し出を断った理由を正直に話すと、イリヤは悲しむような困ったような表情をした。
「それは……間違いなく、私の能力だね」
「やはりそうか」
イリヤ曰く、その死の淵を見る能力というのは、実際にその場面を疑似体験する能力らしい。明晰夢とはちょっと違うのかもしれないが、感覚的にはそれに近い。
「その能力を発動した理由まではわからないが、とにかくそういうことがあった」
「なるほどね。そりゃあ、私の膝枕を嫌がるわけだ」
「すまない」
「謝ることないよ。多分、私のせいだし」
俺は何も言えなかった。
正しいとは言い切れないが、間違っているわけではなかったからだ。
「……でもそっか、私レイトに殺されるんだ」
イリヤの視線は焚き火に注がれていた。
炎の弾ける音がする。
独りの時には心地よかったはずなのに、今は何か言えと咎められているような気分になった。
「変えられるんだろ? 未来は」
俺が魔王化するのを防ぐために。
魔王が二度と復活しないように。
この旅はそのためのものだ。未来を変えるためのものだ。
「……私ね、レイトに言わなきゃいけないことがある」
それ以上は、聞きたくない。
イリヤが言おうとしていることがなんとなくわかってしまったから。でも、イリヤの言葉を制止するための術が無かった。
「私の見た未来が、変わったことはないの」
イリヤとしてはいずれ言わなきゃいけないことだったはずだ。それはそれとして、今このタイミングで言うことなのだろうか。
旅の目的をちゃぶ台返しするような発言を、旅が始まってから言うのは、どうなんだ。
「……悪い、ちょっと独りにしてくれ」
「わかった」
イリヤはそれ以上何も言わず、馬車の中へと入っていった。
気分は良くない。あの夢を見た後よりはよっぽどマシだったが、そうは言っても良くないものは良くない。
俺の未来が変わらないのは、大した問題じゃない。俺が魔王化して勇者に殺されたとて、それで平穏が訪れるなら、魔王が二度と復活しないように出来るのなら、甘んじて受け入れられる。
でも、俺がイリヤを殺すという未来はどうしても受け入れ難い。旅の目的以前の、俺の信条に関わるところだ。
仮にイリヤの見た未来が不変だとして、魔王化してしまっては取り返しが付かないことになる。
(やはり、旅に着いて来ない方が良かったのでは……)
脳裏をよぎるのはそんな考えだ。
賢者の石は、イリヤが今持っている。示し合わせて物理的に距離をおいていれば、俺が魔王になる可能性は低い。無論賢者の石の性質がわからない以上絶対とは言えないが、可能性は低くなるだろう。イリヤを守るために、あえて彼女の側から離れるという選択はそんなに間違っているようには思えなかった。
依頼、もといお願いを途中で放棄する形にはなるが、その方がイリヤのためにもなるはずだ。王都からはそんなに離れていないし、馬車を降りた方が良いのかもしれないな。
「いや、待てよ……」
仮に彼女が言うように一度見えた未来は変わらないものだとしたら、距離を取るという選択を取ろうが関係ないということになるのではないだろうか。
そうだとしたら、むしろ行動を共にして未来を変えるために画策する方が有意義だとも言える。最終的に変わらなかったとしても、ただ嘆いていたのと、足掻いたのとでは雲泥の差がある。俺はやれることがあるなら、やっておきたいタイプの人間だ。
(明日の夜、イリヤと話そう)
なんにせよ、これは一人で決めることではないな。
ソロでの旅とは違って、全てを抱え込む必要はない。二人しかいないのだから尚のこと、話し合うべきだ。
まあ、リーベイまで時間はあるし、ちょっとずつ絡んだ糸を解いていけば良いだろう。
*
翌朝、予定通り馬車はリーベイへと向かっていた。
昨日までは快晴だったのに、今日はどんよりと暗い雲が空を覆っている。
昨日は隣に座っていたイリヤは、今日は対角の位置に座っている。狭い空間だと、どうも気まずい。
「今日は、もう居ないんじゃないかと思った」
意外にも、沈黙を破ったのはイリヤの方だった。
夜のうちに依頼を投げ出すことはできたが、俺の意向は旅の継続である。
「俺は最後まで見届けるつもりだ。……詳しくは後で話そう」
イリヤの表情が少し緩んだような気がした。
会話はそれ以上続かなかったが、今はこれだけで十分だろう。俺もイリヤもそんなに喋るのが得意な方ではないが、意図は伝わっているはず。
少し吐き気を催してきて横になった、ちょうどその時。
馬の嘶く声が馬車の中に響いた。続けて、馬車が大きく揺れる。
「どうした、レジール!」
「レイトさん、緊急事態です! ロンデルウルフの群れが!」
「了解! レジールは客室に避難しろ」
まずいな、ロンデルウルフか。
しかし、なんでこんな真っ昼間に……しかも生息地はもっと西側のはず。
「俺は外でロンデルウルフを対処する。イリヤはここで待っててくれ」
「大丈夫? レイト」
「ああ、問題ない。すぐに片付ける」
一刻を争う事態だと、馬車の外に飛び出る。
ロンデルウルフはB級の魔物。個体としてはC級相当だが、何せ相手は群れだ。数的不利はどうしようもない。
「多いな……!」
馬車は既にロンデルウルフの包囲網に捕まっていた。
視界に収まるのでおよそ、10頭。馬車を挟んで反対側にもおそらく同数ほどのソントウルフがじりじりと詰め寄ってきているはずだ。20頭の群れは、かなり大きい。
迷わず剣を抜く。一体あたりにかける時間を少なくするべく、魔法も並行して使う。
「【炎纏】」
剣から炎が燃え盛る。
ロンデルウルフ討伐の定石は、群れのトップを叩くことだ。しかし、現状のようにロンデルウルフは円状の包囲網を作って獲物を仕留めるという習性を持つ。傘連判状よろしく、トップがどの個体かを見分けるのはほぼ不可能と言って良い。逃げ場の無くなっていく中で、虱潰しに倒していくのが最善だ。
「グルルルルルァ!」
真正面にいた個体が飛びかかってくる。
体に鋭い爪が届くすんでのところで、燃える剣を頭頂から一気に振り下ろす。突っ込んできたロンデルウルフは真っ二つに割れた。
まずは、一頭。
焼き斬られた仲間を目の当たりにしたロンデルウルフたちは萎縮するどころか、血気盛んに敵意を剥き出してきた。
一頭、また一頭と飛びかかってきては、斬られてゆく。
少し数が減った後、ロンデルウルフ達は一度動きを止める。そして渦潮のように中心ににじり寄りながら、回転し始めた。
(……来るッ!)
鋭爪を獲物に突き刺さんと矢のごとく飛んでくるロンデルウルフ。先ほどと異なるのは、二頭同時ということだ。
一振りでは仕留められないが、焦らず一頭をいなした後、もう一頭の突進を剣で受け止める。勢いを殺すだけでダメージは与えられないが、受け止めた剣は燃えていた。
「【炎塵】!」
纏っていた炎が収束し、小爆発を起こす。
剣に接触していたロンデルウルフは木っ端微塵に弾けた。
「【炎纏】」
すかさず、炎のリチャージ。次の攻撃に備える。
既に六体は斬った。しかし、ロンデルウルフは全く戦意を喪失しない。防戦一方でなんとか凌いでいるが、馬車を挟んで反対側の防御はゼロに等しい。注意が向いている今、一気に片付けるしかない。
周りにも被害は及ぶがやむを得ない。魔法のレベルを中位に引き上げよう。
「レイトさん! 反対側が!」
魔力を集中させようとしたタイミングで、レジールの叫ぶ声が聞こえる。
(馬車にロンデルウルフが飛びかかったのか!)
先にそちらを片付けようと馬車を飛び越えて反対側へ移ろうとして、気づく。
背後に気を取られた隙を突いて、ロンデルウルフが三頭飛びかかってきていた。
「しまっ……」
上半身を捻りながらの逆袈裟斬り。
炎を纏った剣は一体を斬り裂き、もう一体の腹を掠め、その奥にいた個体には届かなかった。
「ぐぁぁッ!」
焼かれるような痛みが右足を迸る。
ロンデルウルフの鋭爪が太腿の肉を剥ぎ取っていた。
「【炎弾砲】ッ!」
精度を欠いた中位魔法は、俺の肉を剥ぎ取ったロンデルウルフの僅かに横を通りすぎた。食い破った俺の肉を吐き捨てたロンデルウルフは飛び退いて、再び輪の中に加わる。
(クソッ……! 勘が鈍ってやがる)
久々に味わった痛みと、魔法の連発に体が着いて来れていない。急いで亜空間から回復薬を取り出し、応急処置を施す。肉の再生には時間がかかるが、これで出血死することはない。
「レイトさん! これ以上は耐えられません!」
レジールの声がうるさい。
そうだ、今すぐに反対側の対処をしなくては。
多量の血が流れているせいか、頭がぼんやりとしてきた。
手負いの獲物を狩るべく、ロンデルウルフは矢継ぎ早に襲いかかってくる。しかし、頭数が減りすぎたのか多くても二頭同時で、捨て身で突っ込んではこない。
一頭はなんとか斬り伏せたが、啄むような攻撃を防ぐので手一杯だった。
「まずい……」
寄りかかった馬車がぐらぐらと揺れている。
もうこれ以上は耐久が持ちそうにない。
(間に合うか……!?)
とりあえず、イリヤとレジールに危害が加わらないようにするのが最優先だ。
ならば、得意な系統ではないが別の魔法で。
「凍てつく氷の精霊よ、今此処に」「────【氷瀑】」
俺が魔法を放つより先に、氷魔法が発現した。
馬車の向こう側に、無数の氷柱が地面から突き伸びている。
「何が……」
ぼうっとする頭で状況を整理する。
発動したのは俺じゃない。
間違いなく、レジールでもない。
だとするなら、この魔法を撃ったのは……。
「……イリヤ」
半壊した馬車の中から、気絶したレジールを肩に乗せたイリヤが降りてくる。
俺は思わず、顔を逸らしてしまった。こんな情けない姿を見られたくなかった。イリヤは今、どんな表情で俺を見ているのだろう。
「残りは逃げ出したみたいだね」
「群れのトップが死んだんだろう。ロンデルウルフはそういう習性だ」
残党は一匹狼として生きるか、別の群れへと加わる。本来は仕留めるべきだが四方に散ったロンデルウルフを追うのは難しい。
「あ、雨……」
イリヤが呟くとほぼ同時に、水滴がぽつりぽつりと降り始める。
「一旦、馬車に戻ろう」
右半分が消し飛んだ馬車でも、雨を凌ぐのには役立った。荷台に気絶したままのレジールを寝かせ、左半分の残った客室に俺とイリヤは並んで座っている。戦闘で流れた血を洗い流すみたいに、雨はひとしきり降り続けていた。
幸いなことに死人は出なかった。喜ぶべきことだ。
馬は逃げ出してしまったようだが、戦闘には巻き込まれなかった。
「とりあえず、その足治すよ」
「ああ、頼む。俺の魔法と回復薬では時間がかかりそうだ」
「じっとしててね。【超回復】」
みるみるうちに肉が復活していく。
上位の回復魔法を詠唱無しで使うイリヤ。やっぱり、俺とはレベルが違う。
「……ごめんなさい、約束守れなくて」
「イリヤが謝ることではない。俺が不甲斐ないばかりに、こんなことになった。こちらこそ、申し訳ない」
何が、「戦闘は俺が担う」だ。
イリヤが魔法を放っていなかったら、守りきれなかったかもしれない。誰かを守りながら戦うことがどれだけ難しいことか、身をもって理解していたはずだ。それなのに、こんな……こんな情けない姿を見せることになるなんて。
「でも、言った通りでしょ。私は死なないって」
「ああ、そうだな」
イリヤがそうしたように最初から広範囲の魔法で蹴散らしていれば、こんなことにはならなかった。一人で迎え撃つならまだしも、背に守るべき人間がいるのだから、立ち回りのミスは否めない。
たった一回のミスでも、死んだら終わりだ。
今回はたまたまイリヤの機転で助かったが、次はない。
「……俺は、弱いなぁ」
5年のブランクがあるとか、左腕がないとか、そういう言い訳以前の問題だ。
自分の力だけでなんとかしようとするのは、この状況において相応しくない。それをしっかりと理解していなかった。
「レイトはさ、なんでソロに拘ってるの?」
心臓をギュッと掴まれたような気がした。
イリヤは雨で霞んだ地平線をぼんやりと眺めるように遠くを見ている。
「言わなきゃダメか?」
「ダメってことはないよ。ただ、やっぱり気になっちゃって」
雨が上がるまで、あるいはレジールが起きるまでの雑談のつもりだったのかもしれない。
イリヤの能力に関することとか、俺の未来に関することとか、これからの旅についてとか、話すべきことはいろいろあったけれど、そういう先の話は雨の時にするもんじゃない。どんよりとした天気の時には、どんよりとした過去の話、ということなのだろうか。
「それを話すには昔話をしなくちゃならない」
「いいよ。レイトが話し終えるまで、最後まで聞くから」
そこまで言うなら、話そうじゃないか。
こんなにも情けない姿を見られたのだから、もうこれ以上失うものはない。
「じゃあ、話す」
俺は棚の奥にしまい込んでいた記憶を引っ張り出す。
俺がソロで魔王討伐を掲げるようになったきっかけは、思い出すのも憚られる負の思い出だ。
「この世界に来てすぐのことだ——」




