第七話 旅立ち
テラネルの花畑は、さながら真っ白なキャンパスだ。
ちょうど陽が落ちる時分の今、夕焼け色に染まっている。
「やっぱり綺麗だな、この花畑は」
「でしょう?」
イリヤはまるで我が子を褒められたかのように、誇らしげだった。長年丹精込めて育てているわけだし、そういう心持ちにもなろう。
優しい眼差しで花畑を見渡すイリヤを横目に、俺は気が休まらないでいた。
王都には、別に帰らなくてもいい。
だからといって、ここに留まる訳にもいかないだろう。人の住める小屋は一つしかないわけだし。
良い機会だし、世界を放浪してみるのも悪くないかもしれないな。
「ねえ、ちょっと話があるんだけど」
「なんだ?」
話、というのは何だろうか。
可能な限りは応えたいが、賢者の石関連はもう役に立てなそうだし、イリヤに冒険者の知識は不要だろう。となると、勇者の名前くらいしか役に立てそうなものはない。
「話っていうか、お願いなんだけどね」
「俺にできることなら応えよう」
「ありがとう。そのお願いって言うのはね……」
花畑を見ていたイリヤの視線は、いつの間にか俺の方に向いていた。
「私の旅に護衛としてついてきて欲しいの」
護衛。
それが何たるかは、知識としては知っている。
この体たらくとはいえ、竜が相手でもなければ魔物狩りも問題ないだろう。行く宛のなくなった今、受ける価値は大いにある。
「旅の目的は?」
「魔王が二度と復活しないように」
「なるほど。前に言っていた知り合いに会いに行くわけか」
「そう。魔王の復活を阻止できれば、貴方の未来も変えられるかもしれない」
俺が魔王化する未来の回避。
たしかに、それは願っても無いことだ。
「旅、というのはどこまで?」
「ひとまずは西方諸国の一国、ネグラルク公国まで」
「ネグラルク公国?」
「ええ、西方諸国の北側に位置する小国なのだけれど。知らない?」
俺は首を横に振る。
大陸の西側には行ったことがないし、地理に詳しい訳でもない。ネグラルク公国という名前も聞いたことがなかった。
しかし、西方諸国となると勇者という立場上歓迎はされなそうだ。魔族も住まう場所なのだから、魔王の仇討ちが無いとは言い切れない。
「ま、まあ。その国に用がある訳ではないから問題はないはず……」
「何にせよ、最速で西方諸国に行くならガルダ山脈は越えなければな。3ヶ月はかかる旅路だ。迂回するなら1年はかかる」
ガルダ山脈には噂によると翼竜が出るらしい。
リスクを回避するなら、というか並の冒険者ならば絶対に迂回ルートを選ぶ。翼竜に遭遇しなくとも、山々の険しい路を通るのだけで一苦労だ。
「私はできれば、安全な方が。でも、1年も護衛を勤めてもらうのは、気が引けるかな」
「いや、そこに関しては問題ない。どうせ王都に戻ったってやることはないしな」
「じゃあ! お願いは、受けて貰えるってことでいいのかな?」
イリヤのそれは、あくまでお願い。
冒険者ギルドを介した依頼ではない。
別に、金に困っている訳でもないし、それはいいとして。俺にも不幸な未来を回避できるというメリットはある。
でも、俺は護衛の任務を受ける気にはなれなかった。
「あ、そうだ。返事を聞く前に、ひとつ言い忘れてたことがあった」
今思い出したとでも言わんばかりに、ぽんと手を打つ。 わざとらしい動きだが、イリヤは本当に今思い出したのだろう。
「もしかしたら、レイトのその腕治せるかもしれない」
イリヤの指は、俺の胴の左横を指す。
本来なら、左腕のあるべき場所を。
「本当か? 欠損は上位のさらに上、最上位の回復魔法でないと完治できないと聞いたことがある」
俺が扱えるのは中位の回復魔法まで。
回復はポーションに頼りっきりだったが、当然欠損を治せる物でもなく。高位の回復魔法が使える人だって、1人か2人しか知らないほどなのに、本当に治せるのだろうか。
「確証は無いけれど、試してみる価値はある。どうかな? 改めて、お願いを受けてくれる?」
確証はなくとも、治る可能性があるなら是非お願いしたいものだ。
「……でも、やはり護衛は出来れば受けたくない」
それが、俺の正直な心境だった。
「それは、何故?」
その問いには明確に一つの答えがあった。
脳裏を掠めるのは、10年前の記憶。
まだ、俺がこの世界に勇者として召喚されたばかりの頃のことだ。その出来事は、俺がソロでやってきた所以でもあった。
「……嫌なんだよ、目の前で死なれるのが」
何の力も無くて、誰も守れなかったあの頃よりは格段に強くなっている。
だからといって、人の命を預かるというのは、やはり怖い。失ったらもう二度と取り戻せないのが、どうしようもなく怖いんだ。
「それだったら安心ね」
「何が安心なんだ?」
「だって私、不老不死だもの」
俺は今きっと、間抜けな顔をしている。
不老不死。
歳を取らないし、死なない。そんなもの、御伽話だ。
前世の俺なら笑い飛ばしていたに違いない。
でも、ここは異世界。目の前にいるのは、魔女。
不老不死だとしても、そうおかしくはない。
「ははっ、そうか。不老不死か。確かにそれは安心だ」
「それにね、レイトにはわからないかもだけど、私結構強いんだから」
そういえば、すっかり忘れていたが警戒心を剥き出しにしたイリヤは俺に匹敵する、もしくはそれ以上のレベルのオーラを放っていた。実践経験の程は定かではないが、純粋な強さだけでいえばかなりの手練であるに違いない。
それに加えて不老不死ならば、目の前で死なれることはない。
俺の不安材料はイリヤを前にして完全に霧散したわけだ。
「どう? 依頼を受けてくれる気になった?」
護衛の依頼を受けたくない理由も無くなった。
それに、腕を治せるかもしれないというのも気になる。
「一つ、条件がある」
「何?」
「戦闘は俺が担う。ひいては、あくまで護衛と依頼主という立場でなら、その願いに応えよう」
「わかった。じゃあ、決まりね。西方諸国までの護衛として、よろしくね。レイト」
「こちらこそ」
俺が手を差し出すと、すぐさまイリヤは握り返してくれる。つい癖で握手を求めてしまったが、イリヤの能力のことを考えると、触れるのは控えた方が良いかもしれない。
「なあ、イリヤ。やっぱり、手が触れる度に死の淵を見るのは嫌だろう?」
「あー、バレちゃってたか」
「占い師なのに水晶を使わなかった時点でな」
「うぐっ、それは確かに……」
ついさっき握手した時も顔を歪めていたし、間違いないだろう。手が触れる旅にそんな思いをするのは、想像するだけで気が滅入る。
「でもね、大丈夫。むしろ、私のこの能力が発動するたびに覚悟が決まるんだ」
「覚悟?」
「うん。嫌な結末なら絶対に回避させたいって思うし、良い結末なら守りたいって思う。結末ってのはそう簡単に変えられるものじゃないから、余計にね」
「そうか」
今のところ、俺の未来は変わっていないようだしな。
イリヤと行動を共にすることで変わるかとも思ったが、そう甘くはないらしい。何がきっかけで変わるかもわからないし、逐一確認するメリットがない訳ではない。
「話も纏ったところだし、今日は小屋に戻ってもう寝ようか。明日の朝一番に発とう」
「わかった」
片道1年の長旅が決まった。帰りのことも考えると、少なくとも2年は王都に戻って来れない。というか戻ってくるか、わからない。柄じゃないが、挨拶くらいは済ませても良いかもしれないな。
明日の朝イリヤに頼んで少しだけ王都に寄らせてもらおう。
*
小屋で一晩明かし、翌朝。
俺たちは片道1年の旅路にしては軽装で、旅を始めた。
「念のため確認しておくが、まずはゼファイル王国の西部に位置する都市リーベイに向かう。そこからガルダ山脈の麓まで行き、山脈の南部外周をなぞる形で山を越える。ネグラルク公国については途中で情報を仕入れるとして、ひとまず西方諸国に向かうというルートだ」
「ええ、話していた通りね。でも、リーベイに向かう前に王都に行くんでしょう?」
「ああ。ちょっと用事があってな」
誰か知り合いに旅に出ると伝えることが出来ればそれでいい。
「行くか」
「ええ。行きましょう」
俺の魔王化を防ぐために。
ひいては、魔王の存在自体を抹消するために。
世界の命運を分つ旅が、今始まったのだ。
昂る気持ちを抑えながら濃霧を抜けると、雪の降り積もった森が広がっている。
はずだった。
目の前に広がるのは、ほのぼのとした陽気に包まれた春の森。
「……まただ」
タイムトラベル。
前にここに来た時と同じ現象がまた起きたのだ。
「どうしたの? レイト。顔色が優れないようだけど」
並んで歩くイリヤが、体を前傾させて俺の顔を覗き込む。
イリヤはこの現象に関して、何か思うところはないのだろうか。平然としているが、このことを知っているのと知らないのとでは話が変わってくる。
もっとも、何か知っているようであれば先に忠告してくれるだろうし、知らない可能性が高い。知らないなら藪をつついて蛇を出す必要もあるまい。
「いや、ちょっとな。……王都に行くのが気後れするだけだ」
「変なの。行きたいって言ったのはレイトなのに」
「いろいろあるんだ」
実際に気後れするのは事実だ。
リズに関しては、行かない方が良いのではないかと思っている。しかし、ある程度時間が空いた今なら、と迷いが出始めていた。
「……大変だね、人間は」
いつの間にか二、三歩前を先行していたイリヤはギリギリ聞き取れる声量で呟く。
単に俺の耳が良いので聞き取れたが、聞かせるつもりはなかったのかもしれない。その呟きに俺が触れることはなかった。
過去を詮索しないのは冒険者の掟。
依頼主と護衛という関係性なら、余計に。
「イリヤ! 右方向から魔物だ」
ぼんやりとしていたところに、急接近する足音。
間違いなく、魔物の気配だ。イリヤに警戒を促しつつ、ホルダーから剣を引き抜く。
「……ボアか」
気配を隠そうともしない突撃。
木々を薙ぎ倒しながら直線で向かってくる魔物など、猪以外に考えられない。
イリヤに近づかないよう、距離を取る。幸い、狙いは俺のようだ。手負いの獲物を狩るつもりだったかもしれないが、ボアに遅れを取るほど衰えちゃいない。
「……来いッ!」
長剣を体の前で地面と水平に構える。
好都合なことに、ボアの突進の勢いは止まらない。鋭い牙を揺らしながら一点目掛けて突っ込んでくる。
俺はボアに立ち向かうように、地面を蹴る。
「ブモォォォォォ!」
雄叫びを上げたと同時に、ボアは剣と交錯する。
口角から胴体を切り裂く、横薙ぎ一閃。
互いの速度を活かした、流れるような斬撃によってボアは突進の勢いのまま木に突っ込んで静止した。
ボアは一度びくりと動いてから、完全に動かなくなった。
「おお、流石は勇者ですね」
木陰から見守っていたイリヤがひょっこりと姿を現す。
見たところ、無事そうだ。
索敵によって周囲に魔物の気配が無いことを確認して、ほっと一息つく。
「この程度はな。余裕だ」
いくら油断していたからといって、この程度に遅れを取っているようでは護衛は務まらない。
とはいえ、油断は禁物だ。
季節は移ろいで春になっていたわけだし、魔物が活性化してるのは予想できたことだ。想定外の事態に混乱していたというのは言い訳にはならない。
護衛とは、命を預かるとは、そういうものだ。
「すまない、早いとこ解体する」
「ええ、必要なのでしょう?」
「そうだ」
魔物の処理は必ずしなければならない。
主に2点、肉体と魔石の後始末はギルドによって義務化されている。
肉体は、魔物のアンデッド化を防ぐために。
そして魔石は、魔物の発生を防ぐために。
どちらにせよ、屠った魔物を放置してはいけない。
「【火球】」
肉を削ぎ落とされたボアの亡骸はみるみるうちに炎に包まれていく。
こうしていると、魔王と対峙している時のことを思い出す。確か、あの時は魔王討伐までの長い旅路に思いを馳せていた。
今はただ、ボアを荼毘に伏しているだけだ。思いを馳せることも、ない。
「手慣れてるわね」
「俺は勇者である以前に冒険者だからな」
塵となったボアの中から、拳より一回りは小さい魔石を回収し、腰巾着にしまう。これで、後始末は終わりだ。
「待たせたな。行こう」
「ええ」
幸いなことに、森の中で遭遇した魔物はボア一体のみだった。依頼で魔物狩りをしているわけではないのだから、遭遇しないに越したことはない。冬眠明けの魔物は気性が荒く、イレギュラーな行動をすることも多いから運が良かった。
「混んでるわね」
「時期が時期だ。春先には魔物も人も増える」
王都の検問には長蛇の列が出来ていた。
雪解けと共に行動を始めであろう商隊がメイン、数は少ないが冒険者と思しき人物もいる。春先のこの時期は国を跨いで移動する者も多くなる。
「お主、最近見かけんと思ったら……何故こんなところにおるんだ」
列の最後尾につけると、ちょうど俺の後につけた人物に声をかけられる。振り返ると、そこにはいくつかの酒樽を抱えた、ふくよかな炭鉱族がいた。
「ガードルド。久しいな」
「そうじゃのう。リズエットの酒場を出禁になったとは聞いておったが、まさかこんなところで会うなぞ思わんかった」
改めて出禁と言われると、なかなか心に来るものがある。しかし、知り合いに会えたのは僥倖だ。王都による目的が1つ達成されたようなものである。
「ところで、そちらのお嬢さんは?」
「あー、彼女は……」
まさか魔女であるというわけにもいかないし、ここは依頼主の、と表現するべきか。
「依頼主のイリヤだ。訳あって俺が、護衛の任務を受けている」
「はじめまして、イリヤです。以後お見知りおきを」
「ガードルドじゃ。王都で酒屋を営んでおる」
ガードルドは手を差し出す。握手を求めているのだ。
俺が制すよりも先に、イリヤは喜んで手を握り返す。
触れてしまった。
イリヤの表情を見ることは、怖くて出来なかった。
「護衛と言っておったが、お主らはどこまで行くつもりじゃ?」
「西方諸国のネグラルク公国までよ」
「ふむ。ネグラルクとな……」
「知っているのか、ガードルド」
思わず口を会話に口を挟む。
そういえば、ガードルドはガルダ山脈に棲まう種族の出身だ。以前に、そんなことを聞いたような記憶がある。
「すまんが、聞いたことがない。しかし、お主らもわかっておろうが、西方諸国へ向かうとなると、ガルダ山脈を越えねばならん」
「ああ。だが今回は迂回して行くつもりだ」
「なら、いいんじゃ。どうにもここ数年のガルダ山脈では翼竜の数が増えているらしいからの」
翼竜の増加か。
やはり、迂回ルートを選択して正解だったかもしれない。
「時に、レイト。迂回して行くとなると、しばらく王都には帰らんのか」
「そうなるな。誰かに俺のことを聞かれたらそう答えといてくれ」
「よいのか? お主が言わなくて」
「ああ」
偶然ガードルドに会ったから決めたのではない。元々誰か一人知り合いにに会えばそうするつもりだった。
「次の方! こちらにどうぞ」
いつの間にか列を進んでいるうちに先頭まで来たようだった。検問の衛兵から声がかかる。
「じゃあな、ガードルド」
「元気でな」
ガードルドはそれ以上、何も聞かず、何も言うことはない。
イリヤがぺこりとお辞儀をすると、ガードルドは逞しい髭を撫でて笑った。




