第五話 はじめての依頼
朝一番、ノアと共に北の森へと発った。
俺は収納魔法のおかげで身軽だが、ノアは自身の体よりも大きいバックパックを背負っている。その小さな体には昨日渡したショートソードが帯剣されていた。
「昨晩はありがとうございました」
「ああ。あの後はよく寝れたか?」
「もうぐっすりでしたよ」
「なら良い」
ノアに合わせて歩くことを考慮すると、北の森まで行く頃にはもう陽が高く昇っているだろう。寝不足で挑むには険しい距離である。
「結構積もってますね」
「歩きづらいか?」
「そうですね、かなり。スノーブーツでもあれば良かったんですが……」
隣国につながる街道は流通のために整備されていることが多いが、何せ向かっているのは北の森だ。足跡一つなく、雪は積もりっぱなしである。
「レイトさんは、足取りが軽そうですね」
「まあな」
「これが経験の差……って、なんかレイトさんの足元だけ雪溶けてません?」
「溶かしてるからな」
「どうやってるんですか! それ!」
ノアは横から少し後方に下がり、俺の足跡を辿るように歩き始めた。足元へ視線が注がれているのが、見なくともわかる。
「炎魔法を応用しているだけだ」
「炎魔法ですか? 念の為確認なんですけど魔法って魔力によって起こる現象のことですよね?」
「そうだ」
「魔法を行使するには詠唱が必要だと教わったのですが……」
詠唱。
魔法とは切っても切り離せない関係にあるものだ。この世界では、魔法は詠唱あるいは魔法陣を介すことで発動できるという常識が浸透している。
詠唱も魔法陣も、魔法を使うためのトリガーになっているが、別にそれらを介さずとも魔法の発動自体は可能である。
そんなことを駆け出しのノアに教えても良いのだろうかとも思ったが、誰が言い始めたのかもわからない誤った常識に囚われるよりかはいいだろう。
「正確に言えば、魔法を発動するのに詠唱はいらない。一方で、どんな状況下でも詠唱をすれば魔法を発動することができる」
「……なるほど?」
言葉で説明しても伝わりづらいか。
当たり前だと思っている常識を覆すのもまた、理解を遠ざける要因になっていそうだ。
「ノアは魔法が使えるか?」
「少しなら」
「使えるならいい、試しに何か魔法を撃ってくれ」
「わかりました」
俺が頷くと、ノアはいそいそとリュックから杖を取り出した。
木製のシャフトに、杖先には小さな赤い宝石が付いている。赤といっても、賢者の石のように毒々しい深い紅ではなく、橙に近いような明るい色だ。低ランクの魔物の魔石であろう。
「行きますよ」
「ああ」
「揺蕩う風の精霊よ、今此処に集いてそよぐ風とならん。【微風】」
初歩的な風魔法である【微風】は風の塊を形成し、放出することで一点に風を起こす魔法だ。
下位、中位、上位、極位、最上位とランク付けされる中で下位に分類される魔法である。
杖先から放たれた風の塊は、まだ固まりきっていない雪を巻き上げ、すぐに霧散した。
「基本的なところは問題ない。今度は杖無しでやってみろ」
「杖無し、ですか?」
「そうだ。できるか?」
「ええと、はい。使えなくはないんですけど、でも……不安定といいますか」
「それでいい」
ノアは不安げに杖をリュックに戻すと、右手を突き出し、魔法発動の体勢を整える。
一呼吸おいてから、先程と同様に詠唱を開始した。
「揺蕩う風の精霊よ。今此処に集いて……」
異変があったのは、詠唱の終盤。
掌で形成され始めていた風の塊が突如として瓦解する。
「……ダメでした」
「途中で魔力がコントロール出来なくなったな。何故杖の有無でこのような差が生まれると思う?」
「杖がないと魔力の供給がうまくいかなかったので、えっと……だから、杖が魔力を集めやすくしてるとか、ですかね?」
「その通りだ」
魔法を形成するまでに魔力を保てなければ、それは魔法として発動しない。
杖の先端には大抵魔石が付いている。その魔石に魔力を供給し続けることと、掌という面で魔力を一箇所に集めようとするのでは難易度に雲泥の差が生まれる。
「詠唱と杖はどちらも導火線のような役割を果たしている。つまり、仕組みとしては魔法発動のサポートだ」
「サポートですか?」
「そうだ。魔力が制御できれば詠唱や杖が無くとも魔法の発動は簡単にできる。ただ、掌に魔力を集中させることは、意外と難しい」
だからこそ、初心者は魔石のついた杖を持ち、詠唱を唱えて魔法を使う。それが悪いことだとは思わない。魔法を扱える人間が増えたのは、間違いなくそれらの普及によるものである。
しかし、一刻を争う場面、不足の事態で杖や詠唱が使えない場面は必ず生まれる。そんな時に無詠唱で魔法が使えれば生存率は跳ね上がるだろう。
それに、魔法使いにありがちな隙が多いという弱点もある程度克服出来るようになる。習得して損はないだろう。
「もし習得したいのであれば、話は簡単だ。魔力を自在に操れるようにする練習を積めばいい」
「わたしにもできるんですか!?」
「それはノア次第だが、毎日の練習を欠かさなければそのうちできるようになるはずだ」
俺の経験則でしかなく保証はできないが、若いうちから研鑽を積めば、そう難しいことではないと思っている。
「まずは、杖に頼らず魔法を使いこなせるようになるところからだな。その感覚さえ掴めれば、あとは掌に魔力を集中させる練習をすればいい」
「なるほど!」
ノアは首がもげそうなほどに頷くと、微小な風塊を錬成し始める。
やる気に満ち溢れるのはいいことだが、真横で今にも暴発しそうな魔法を錬成されるのは困りものだ。暴走した魔法を消沈させるのは一苦労なことである。
「その姿勢は素晴らしいが、今は依頼の道中だ。魔力を摩耗しすぎると、いざって時に魔法が使えないぞ」
ノアはハッとして、すぐに魔法を霧散させた。
「そうでした! 帰り道にでもやるとします」
「ああ」
気を取り直して、北の森への道を再び歩き始める。俺の足跡を辿るように、ノアは背後にぴったりとくっついていた。
しばらくして、木々のシルエットが浮かび上がってきた。そのタイガのごとき森からは、立ち寄りがたい禍々しさを感じる。
「そろそろだ」
「やっとですか……結構疲れました」
「無理もない」
何せ、一面に広がるは銀世界だ。
息を呑むような美しい光景かもしれないが、変わり映えはしない。魔物や盗賊に襲われることもなく、ただ歩き続けるには退屈といえよう。
「森に入る前に休憩する。異論はないな」
「はい」
近くにあった大木の根元で休息を取ることにした。先日ここからゼファイルまで突っ走った時に身体的な疲労を感じたが、同距離を歩いてきただけでも少し疲労が滲んできている。
ノアと共に携帯食の干し肉を齧りながら、少し上がった息を整える。
「衰えたな……」
ろくに鍛錬もせず、酒に入り浸っているのだから当然か。死に物狂いで培ったあの頃の強さは、水の泡となったのだ。
「……あの、答えたくなかったら無視してくれていいんですけど、レイトさんって結構すごい人ですよね?」
俺の独り言を拾ったノアは遠慮がちに聞いてくる。わざとぼかして伝えてくるあたり、ノアもなんとなく気づいているのだろう。
「結構すごい、か」
俺が魔王を倒した勇者であることは紛れもない事実。今でも誇りに思っていることだ。まあ、結構すごいと言ってもいい。
ただ、それは功績の話であって、俺自身がすごいのかという話になると素直に首を縦に振ることはできない。
「……昔はそれなりにやれたんだがな。今はもうただの飲んだくれだ」
「そうなんですね」
ノアは別段深入りするわけでもなく、慰めることもなかった。今までの問答は世間話だと言わんばかりで、そそくさと水を飲むためのコップを用意し始めた。
勇者であることをひた隠す必要はないはずなのに、ノアにはどうしてか教える気にはなれない。杖無しで飲み水が生成出来て無邪気に喜ぶ姿を、俺はただ眺めていた。
「ぷはっ。……水魔法で作った飲み水ってまずいですよね」
「ああ。何も含まれていない純粋な水だからな」
「でも、多くの冒険者がこれを口にしていると思うと悪い気はしません」
得意不得意はあれど、魔法を使える者ならば水を生成するくらいの水魔法は造作もない。俺も含め冒険者にとってはこのまずい水を幾度となく飲んできた。
依頼中に飲む水ひとつ取ってみても、ノアにとっては初めてのことで、憧れていた行為の一つなのだろう。
「そろそろ行くか」
ノアが早く森へと入りたそうにしていたので、休憩を切り上げた。依然として俺が前、ノアが後という陣形のまま、進んでいく。
目的地が見えているからだろうか、森の入り口まではあっという間に着いてしまった。
「ここからは魔物が出る。慎重にな」
「はい」
他の季節よりは遭遇率が低いとはいえ、平原に比べれば危険度は段違いだ。
「ここから西北の方に小さな湖がある。そこを目指すぞ」
「湖、ですか?」
「ああ、その近くに洞窟がある。ソモイ草はそこに生えてるはずだ」
「なるほどです」
湖までの道のりは大方把握している。
順調に行けば、1時間もしないうちに着くだろう。
「そういえば、冬の森って来るの初めてです」
「そうか。慣れないうちは歩きづらいだろう」
「どうにもこの雪が大変ですね。これだけ木々が茂っていると、根っこもそこら中にありますし。それに比べてレイトさんはスイスイと進んでますよね、流石は熟練冒険者です」
熟練冒険者か。
なんというか、時の流れを感じさせる呼び方だ。
「この時期は魔物の活性も低いし、動植物も数が減る。冒険者でも滅多に来ないさ」
「じゃあ冒険者は冬の間何してるんです?」
「そうだな……冒険者にもよるが休暇期間にしたり、街で商売を営んだり、修行に出たり。あとは迷宮に潜る奴なんかもいる」
「迷宮!」
見るからに興奮した様子のノア。
残念ながらこの辺りに迷宮があるという話を聞いたことはない。まあ、言わぬが吉か。
「俺もあまり詳しくはないんだが、人生を捧げて攻略する人間もいる程だ。さぞ冒険心をくすぐるものがあるんだろうな」
「はぁ〜、迷宮。迷宮ですか」
もはや興奮を通り越して恍惚な表情を浮かべている。
とても初心者が挑めるような場所ではないが、それもまた言わないでおこう。もちろん、隠すのを美徳としている訳ではない。単に、何でもかんでも口出しするような人間になりたくないだけだ。
「迷宮は俺もそんなに潜ったことがない。詳しいことはギルドなり冒険者に聞くなり自力で調べてくれ」
「はい!」
ノアの好奇心をくすぐるのもここら辺にしておこう。
魔物が出なかったので、ついうっかり話し込んでしまった。俺の記憶が正しければ、そろそろ見えてくるはずだ。
「着いたぞ。ここがスドゥエス湖だ」
「これは……思ったより小さいですね」
森の中にポツンとある水たまり。
ノアの目にはそう映ったことだろう。実際そうだ。
具体的には……そうだな、6畳くらいか。
「なんでこの規模なのに名前付いてるんですかね?」
「さあな。探してみれば水底に何かあるかもしれないぞ」
名前が付けられた理由はおそらく大洞窟の目印になるからだろうが、わざわざ言ってやるのも無粋だろう。
「洞窟はすぐそこだ。着いてこい」
「はい!」
湖のすぐ側、壁に空く大きな縦穴が洞窟の入り口となっている。
「湖を見た後だと、洞窟がやたらと大きく感じますね」
「穴の大きさもそうだが、この洞窟は何より奥に行くにつれ広がっていく」
この洞窟は一種の迷宮みたいなものだ。
そう表現せざるを得ないが、ノアの好奇心をひくのはあまり良くない。
「忠告だ。光が届かない場所へは行くな」
「入口付近だけ、ということですか?」
「そうだ。ソモイ草は光が当たるところに自生しやすい。必要以上に奥へと進む必要はない」
「わかりました。あの、レイトさんは中まで着いてきてくれないんですか?」
ノアは不安そうに見つめてくる。
思い出すのは、女将の言葉だ。
『レイトト、お願いだ。あの子にはしばらく会わないでやってくれないか?』
ノアの反応を見るにやはり、これ以上協力するのは過干渉になり得るな。依存は良くない。特に、人に依存するのは。
「言っただろう? 俺は用事がある。ソモイ草は依頼書を見ればわかるはずだ」
「そりゃあ、わかりますけど」
「なら、あとは採集して無事に王都まで帰るだけだ。一人でできるだろう?」
「……できます」
「いいか、ノア。冒険者たるもの、一人でできることは一人で遂げねばならない。ただし、頼るべき時には他人に頼らなければならない」
格好つけて箴言のようになってしまったが、冒険者に限らず大事なことだ。
15歳はもう立派な成人。一人の大人として、冒険者として振る舞うために心得ておくべきだ。
「わかりました。肝に銘じておきます」
「まあ、なんだ。程々に頑張れよ」
「はい! 何から何までお世話になりました!」
ノアはこれからもっと強くなる。
王都に帰る頃にはもう新たな力を求めて旅に出ているかもしれない。そしたら、もう会うことはないだろうな。
「それじゃ……」
「あ、あの! レイトさん!」
「なんだ? 改まって」
「最後に一つお願いがあるんですが、聞いていただけますか?」
お願い、か。
当然可愛い少女の頼みとあらば、素直に聞いてやりたいところだ。もちろん、叶えられる願いならば叶えてやりたい。
この場で叶えられるものならいいんだが、時間がかかるものとなると困る。
俺がこの北の森に来た目的は、魔女に会うため。それを遅らせるわけにはいかない。そして、一度魔女に会えば当分の間はしばらくは会えない。
「……内容による。聞くだけ聞こう」
俺が長く考えごとをしていたせいか、仰々しい感じになってしまった。ノアはただ軽い頼み事をするつもりだったのかもしれない。
「その、またどこかで会ったら、一緒に迷宮潜りましょう!」
「ああ、約束する」
二つ返事で約束してしまった。
まあ、いいか。
何ヶ月、何年、何十年先になるかもわからない約束でも、きっと果たす時が来る。その時の俺がそれに報いればいいのだ。
ノアが洞窟に入るのを見送る間もなく、俺の足は魔女の方へと向かっていた。




