第三話 夢一夜
どれほど眠っていただろうか。
ソファで目を覚ました俺は、気だるい体をぐいと伸ばす。
(体感だと半日くらい眠っていたみたいだが……)
窓からは陽が差し込んできている。
感覚を頼りにするならば、もうじき昼という時間帯。ちょうど毎日リズに起こされる時間くらいだ。
「あら、起こしちゃった?」
起きた俺に気づいた魔女がにこりと微笑んでくる。どうやら彼女は机の周辺を片付けていたらしい。直接起こすのは気が引けたのか、わざわざ近くで物音を立てて起こそうとしたようだ。
優しいのは間違いないんだろうが、なんというか……いや、これ以上はよそう。
「……自然に目が覚めた」
「そっか。あ、もし喉乾いてたらそれ、飲んでね」
目の前には昨日、魔女が用意してくれたティーカップが置かれたままになっていた。ただ、紅茶は淹れなおしてくれたのかほんのりと湯気が立っている。
「いただくよ」
思い出したように、喉の渇きを自覚する。
暖かいお茶をずずいと流し込んだ。ほんのりと苦くてすっきりとした味わいが、口の中に広がる。親しみのある味だった。
「美味かった」
魔女はそれを聞いて満足げな様子だった。もしかしたら、彼女は茶を嗜むのが趣味なのかもしれない。家の中でも付けている三角帽とローブを除けば、元いた世界にいるような心地だ。
「……」
「……」
出会って間もないことと、協力関係という形式的な関係になったこと。知らないことばかりなのに、どこまで会話を深掘っていいのかわからない。
魔女も魔女だが、俺も伊達に11年ソロをやっているだけのことはある。ゆえに沈黙が気まずいという感覚は健在であった。
「一度、王都に帰ろうと思う」
魔女の目の前であーだこーだと思考を巡らせたり、テラネルを眺めながら耽ったりもいいかもしれないが、少し魔女の目の届く範囲から逃れたいというのがあった。
単に、完全に信用するのは早計だというだけの話だ。スケールの大きい話が故に、慎重にならなければならない。
それに、昨晩はリズの酒場に行けなかったしな。今後は、行く頻度が極端に減る可能性もある。一応、それは伝えておくべきだろう。
「そう」
魔女は肯定も否定もしなかった。
身支度という身支度もないので、すぐに魔女の家を出ることにする。去り際に、魔女は一枚の紙切れを手渡してくれた。
「これは?」
「地図よ。現在地がわかるすぐれものだよ」
一見すると、ただの古びた地図だった。それは粗悪というわけではなく、ただ劣化の激しさゆえのものである。
紙には魔法陣を描くと同じどす黒いインクで周辺の概略図が書き記されていた。理屈はわからないが、現在地を把握できるということらしい。
「ありがとう」
これで帰り道に迷うこともなければ、再訪に手こずることもない。ありがたく、受け取っておいた。
「また近いうちに来るよ」
「そう。待っているわ、いつまでも」
軽い挨拶で済ましたのに、戦場に赴く夫を見送る妻みたいなアンサーをもらった。魔女は自分の言ったことに遅れて気づいたようで、ハッと息を飲む。
俺が呆気に取られていると、魔女は「冗談よ」と悲しそうに笑った。鈍い俺でもわかることだが、これはいわゆる大切な人の面影を見たというやつだ。
こんな時俺に言えることは、一つもない。
「……じゃあ、帰るよ」
魔女はただ、頷くだけだった。
もっと気の利いたことが言えれば良かったが、そんな甲斐性があればパーティのひとつやふたつ、とっくに組んでいる。
こうして、俺は魔女の家を後にした。
相変わらず幻想的なテラネルの花畑の脇を通り抜け、来た道を辿るように帰路につく。魔女曰く、テラネルの花畑を介さずとも小屋には辿り着けるらしいが、せっかくだからと光景を目に焼き付けてから帰ることにしたのだ。
テラネルを存分に堪能した後、白く濃い霧をの中を勘を頼りに直進する。しばらく歩くと、やがて森のざわめきが聞こえるようになってきた。魔獣ひしめく森のざわめきは、魔女の棲家の静けさの後にはあまりに騒々しかった。
間もなくして、濃霧を抜けた。しかし、抜けた先に広がるのは、またまた白の世界だった。
「なぜ……」
雪だ。
白雪が木々に化粧をし、地面を埋め尽くしていた。
雪自体はそう珍しくない。ゼファイルでも冬になれば積もるくらいだし、ここ北の森ではより多くの雪が降る。ただそれは、冬になればの話であって、今は初雪まであと3ヶ月はあろうかという時期だ。
「……寒いな」
服装は、薄手だった。防寒対策などしているはずもない。てっとり早く体温を暖められる炎魔法も、こんな森のど真ん中で使うわけにはいかない。亜空間には防寒着も入っているだろうが、どこに入っているかはわからない。
となると、残る選択肢は限られてくる。考えるよりも先に、体が強硬策へと乗り出していた。
*
「案外、いけるもんだな……」
肩で息をしながら、抜けてきた森を振り返る。
俺が導き出した行動は、走ることであった。かつて感覚を鍛えようと目を瞑ったまま森の中を駆け回る修行をしていたのが功を奏した。雪が積もっていようが、目前に木が来たら避けるだけ。やることに変わりはなかったし、視界がある分余裕があった。
もっとも、ろくに運動していなかったせいで体力はガタ落ちである。息を整えながら、ゼファイルへと向かうことにした。
やがて、ゼファイルの王都が見えてくる。安堵すると共に、不安感が募り始めていた。王都にも雪が積もっていたのだ。
「異常気象……という訳ではなさそうだ」
門兵や通行人の様子からして、至って普通な冬の一日であった。
こんな時期に雪が降ろうものなら、収穫期の作物が全滅し、魔王の祟りだなんだと騒ぎ立てているはずだ。北門をくぐり抜けてすぐ、露天商が売っていた作物も確認したところ、概ね例年通りの価格帯だった。
現状が異常気象によるものでないとするならば、それはすなわち、タイムスリップということではないだろうか。信じがたいが、そうとしか説明がつかない。
「えっ」
すれ違いざま、聞き馴染みのある声に思考が止まった。
足も止めて、振り返る。
そこには、野菜の詰まった紙袋を抱えた赤毛の少女がいた。
「リズ」
俺を視認したリズは持っていた紙袋を放り投げ、俺の胸に助走をつけて飛び込んできた。俺としては1日、2日会わなかったくらいで大袈裟だなと思うところだが、リズとしてはそうじゃないというわけだろう。
「久しぶりだな」
「……久しぶりだな、じゃないわよバカ」
締め付けられる力がいっそう強くなる。
大通りの道端ということもあり、視線もそこそこ集まっていた。
「急にいなくなるから、心配したじゃない……」
「悪かったよ」
しまったな。魔女のところに行く前に、店に顔を出しておくべきだった。その時は魔女のことで頭がいっぱいで、気が回らなかった。
「……こんな場所じゃなんだし、店に行ってもいいか?」
リズは俺の胸に顔を埋めたまま、首を縦に振った。
よほど離れたくないのか、酒場に向かう途中も右腕を掴んで離さなかった。記憶の中のリズはもっとトゲトゲというかツンツンというか、壁があったような気がするのだが。
酒場に着くと、リズは仕入れた材料を厨房に置きにいった。俺はいつもの席についた。
珍しく女将が用事で出払っているらしく、リズはしばらくこの酒場を一人で切り盛りしていたらしい。客が入り乱れる大衆酒場ではないにしても、仕入れから料理接客まで一人で回すのはそう簡単なことじゃないだろう。
それと、何気なく聞いたら俺が来なくなってから3ヶ月以上も経っていたようだ。具体的には、ちょうど100日くらいだと言っていた。
「お待たせ」
リズはとんぼ返りで戻ってくると、向かいの席に腰を下ろした。普段のリズなら尋問でも始まりそうな状況だったが、今日のリズはしおらしい。俺もなんと声をかけていいかわからず、ただ沈黙が流れるばかりだった。
「…………あのさ」
暫しの沈黙の後、先に口を開いたのはリズだった。
「レイさんって、その……勇者なんだよね?」
「まあな」
記憶が正しければ、リズに直接言ったことはない。だが、女将や付き合いの長い常連はそのことを知っている。もちろん、誰かが吹聴したからといって、俺に咎める権利はない。
酒場ということもあり、いずれ情報が耳に入るだろうとあえて言うことがなかっただけだ。
「やっぱ、そうなんだ……そっか、勇者かぁ」
リズはそれだけの問答で一人納得したようだった。
「一応さ、何してたのか聞いてもいい?」
魔女、賢者の石、不可解な時間の流れ。どれも話せることではなかった。
リズは酒場の看板娘だ。不用意に話して、巻き込むわけにはいかない。店員と客、長い付き合いだろうが、一線を画す必要はある。
俺は首を横に振ることしかできなかった。
「あはっ、そうだよね。なんか、心配して損した気分」
底抜けに明るい声だった。作られた笑顔は少し歪んでいた。目尻には水滴が溜まっていた。
強がっていることくらい、俺でもわかった。
だが、なんと声をかければいいのかは、わからなかった。
「……そろそろ仕込みしなくちゃ」
思い出したようにリズは言う。
開店までは少し余裕がありそうだったが、引き止める理由もなかった。
「店が空いたらまた来るよ」
「気持ちは嬉しいです。けど、一人だと忙しいから無理に来なくても大丈夫……です」
これは嫌われたかもしれないな。
「そうか。またしばらく来ない時期があるかもしれないが、必ずまた来る」
そう言って、俺はリズエットの酒場を後にした。
雪に包まれたゼファイルの冬は、凍てつくように寒かった。
*
リズエットの酒場へ行くに行かれなくなった俺は、ギルドの横にある大衆酒場へと赴いていた。
冒険者業が衰退しているというのに、こちらは人でごった返している。この耳を劈くような喧騒も、平和の象徴と思えば、それほど悪いものではなかった。
端に空いている席を見つけ、ひとまず腰を下ろした。すかさず店員が注文をとりに来る。
「ご注文は?」
「麦酒を1杯」
「いや、2杯だ。麦酒を2杯頼むよ」
野太い声が俺の声に被さる。
相席は構わないが、もう少し遠慮というものを覚えて欲しいものだ。
「麦酒2丁ですね! 少々お待ちください!」
ちらりと声の主を盗み見ると、座るのにどかん、という効果音がつきそうなほどの巨躯だった。今時、椅子に収まりきらないほどの体躯なんて珍しい、しかも女なら尚のこと。そんなことを呑気に考えつつ、視線を顔まで上げる。
「……女将」
良く見知った顔だった。
そうだ、女でこの巨躯という時点で気づけたはずだ。いや、リズが用事で数日出払っているというから脳内で勝手にゼファイルにはいないと思い込んでいた。だから、すぐに気づかなかったんだ。
「何故ここに?」
「ふん、リズエットのためさ」
答えにはなっているのかもしれないが、その意図が俺にはわからなかった。自らの酒場をほっぽり出して、こんなところにいることのどこがリズのためになるのだろうか。
「お待ちどうさま!」
忙しなくホールを巡回する店員が、先程頼んだ麦酒とお通しのナッツを置いていく。
「まずは、飲もうじゃないか」
「ああ」
理解が追いついていないが、ひとまず酒を流し込むことにした。この刺々しい苦味はもう慣れ親しんだ味だ。
「最近はどうだい?」
早くもジョッキを空にした女将は、ナッツを摘みながらそんなことを聞いてくる。
俺も続いて一気に飲み干し、店員にもう一杯ずつ注文した。
「まあ、いろいろあった。詳しくは言えないが」
俺の体感では、あの日ゼファイルを発ってから1日くらいしか経っていないのだが、実にいろいろなことがあった。
死の淵の占い師とやらに出会い、俺の未来を知り。魔女と出会い、賢者の石の存在を知り。挙げ句の果てには、タイムトラベルだ。
こんな大衆の場では、どれもいろいろあったとしか言いようがないほどの出来事だ。女将もそれを察してか深くは聞いてこなかった。
「あの食い倒れてた坊主がねぇ。大きくなったもんだよ」
懐かしむように女将は言う。
俺が勇者として精を出し始めた頃から、それが女将の口癖になっていた。
「あの頃は世話になった。まあ、今も世話になっているが」
「そうさ。それについて話しておきたくてね」
「……リズのことか」
もっと深酒をしてから話すのかと思っていたが、思いの外早く踏み込んできたな。
「あの子、つい先日15歳になったんだ」
……そうだ。
リズの誕生日は正確に覚えていた。そのうえで、まだ3ヶ月はあると余裕をこいていた。
でも、あれから100日が経った今、その日はもう何日も過ぎている。
「しまったな……」
この世界では15歳になることがどれほど大きな意味を持つのかは知っている。俺は年齢的に成人の祝いをしたことがなかったが、リズが成人になった時くらいは盛大に祝ってやろうと思っていた。
「今からでもリズのところに行ってくる」
「ダメだ!」
女将はぴしゃりと言い放ち、立ち上がった俺を制止させた。
「……レイト、お願いだ。あの子にはしばらく会わないでやってくれないか?」
女将が頭を下げた。
俺を食い倒れ坊主だと謗るあの女将が、お願いだと言った。こんなこと、初めてだ。
「麦酒2丁! お待ちどうさま!」
空気を読まない店員が、机に麦酒の満杯に入ったジョッキを置いていく。
俺はへたり込むように、椅子へと座り直した。
「それも、リズのためか?」
「賢いお前さんなら、わかるだろう?」
女将はリズのために酒場を留守にしていると言った。俺を会わせないようにするのも、リズのためだと言う。
まだ酔いの回っていない頭で考えれば、なんとなく話の流れはわかった。要はこういうことだろう。
「リズを自立させるためか?」
女将はリズの15歳という節目に、彼女を一人前にするための試練を与えている。数日前からリズひとりで酒場を切り盛りしているという状況も、そう考えれば合点がいった。
「そうさ。あの子ももう大人になる時期だ。お前さんがずっと傍にいるってんなら、話は変わる。でも、そういうわけにもいかないんだろ?」
自惚れじゃなければ、リズは俺に懐いていた。依存、と言ってもいいくらいだ。
俺が毎日酒場に通うのであれば、女将はそれでいいようだが、今後魔女と関わるうえでゼファイルにいない期間は必ずうまれる。
ならば、依存先のいないこの機会に自立させてしまおうという女将の行動は至極真っ当だ。
「……わかった。その願いは飲み込む。ただ、こちらからのお願いもひとつ聞いてくれ」
人目のつきづらいように、こっそりと収納魔法を使う。亜空間から引っ張り出したのは、東の国で栄誉を讃えて贈られるブローチ。
翠緑の魔石に銀飾をあしらった重厚感のあるそれは、リズが大人になったら渡すと、かつて約束していたものだった。
「これを、リズに渡してやってくれ」
「わかったよ」
ブローチは女将の大きな手におさまった。
直接祝ってやれないのは残念だが、俺もリズや酒から離れるいい機会になるかもしれない。
「それと、女将にはこれを」
取り出したのは、中身が半分になった金貨袋。
今までリズエットの酒場で飲み食いしていた代金だ。多少色は付いているが。
「じゃあな」
ジョッキになみなみ注がれた麦酒をぐいと流し込み、酒場を後にした。女将が後ろで何やら言っていたが、それが俺の耳に届くことはなかった。




