第二話 ヒーロー・ミーツ・ウィッチ
占い師と出会った翌日、俺は北の森を訪れていた。
いや、占い師ではないだろうから、暫定占い師としておく。
気がかりなのは俺の正体を知っていた事だ。
俺が勇者であると知っている人間が居ないわけじゃないが、知っている人物があんな形で接触するとは思えない。
となると、どこからか情報を仕入れた人間が俺を嵌めるためにここに誘ったか。あるいは人間じゃなく、魔族の生き残りという可能性もあるか。
「うーん、わからん」
考えても答えは出ない。
ならば、罠だとしても誘いに乗るしかない。
「相変わらず不気味なこった」
魔族領に近いからだろうか、魔獣と思しき邪悪な気配がそこら中に広がっている。数年ぶりに携えた長剣に手をかけながら、ずかずかと森の奥へ進んでいく。
占い師は行けばわかると言っていたが、一向に魔女のもとへ辿り着く気配がない。今更になって騙されたのではないかと不安になってくる。何せ怪しげな占い師からの誘いなのだ、俺を誰の目にもつかない場所で襲うなんて可能性も否定できない。
一層警戒心を強め、さらに奥へ奥へと進んでいく。俺の感覚が正しければ、森の中心あたりまで来ただろうか。まだ真昼間だというのに霧が濃く出ていて、視界がぼやけている。
全盛期なら盗賊如きに引けは取らない自信があったが、この体たらくでは複数を相手取れるとは思わない。特に片腕がないというのは集団戦闘において極めて甚大なデメリットをもたらす。
「……」
歩くにつれて霧はますます濃くなっていく。目前の木一本がやっと見えるか見えないかという濃霧だ。既に周囲の魔獣の気配は消えている。すなわち、魔獣も近寄らない危険地帯ということだ。
方向感覚も鈍り、もはや前に進めているかも定かではない。培ってきた感覚だけを頼りに進む。ただひたむきに進んでいくうちに、やがて開けた場所へと出た。
「なんだ、ここは……」
白の世界を抜けた先、視界に飛び込んで来るのは、またもや白。
目を凝らすと穢れを知らない純白の花が、あたり一面を覆い尽くしていた。視界のずっと端までをも埋める勢いで咲き誇っている。
「雲みたいだ」
そう、言うなれば空で揺蕩っていた雲が地上に降りてきたような光景だ。
雲の上の世界、まさに天国にいるのではと錯覚するほどの美しさである。
「素敵な感性ね」
背後から透き通った声が聞こえる。
花畑に目を奪われていたとはいえ、声をかけられるまで一切の気配を感じなかった。
振り返ると、そこには一人の若い女がいた。黒を基調としたローブと三角帽。元いた世界ではおよそ典型的な、魔女の姿だった。
「魔女か?」
「そう。私はこの森に棲む魔女。貴方は?」
「俺はレイと言う。数年前まで勇者をやっていた」
「へぇ、貴方が今の勇者なのね」
俺の顔を見るため三角帽で隠れていた顔から端正な顔があらわになる。見ると飲み込まれてしまいそうな黒い瞳が特徴的だった。元いた世界では普遍的だった黒目も、この世界にすっかり馴染んだ俺にとってはいたく魅力的に見えた。
「……今の?」
「ごめんなさい、なんでもないの」
歴代の勇者と面識があったのだろうか。
見た目だけの年齢でいえば俺の一回り下くらいだが、この世界で容姿は存外宛にならないものだ。
例えば長耳族なんかは幼なげな顔で100歳越えてますということもある。必要な場面以外で年齢の話をするのはトラブルのもとになりかねない。
「貴方、私を見ても驚かないのね」
「そりゃあ、俺も同じような色だしな」
一般的に、黒髪黒眼は異端の象徴である。
良い意味でも悪い意味でも、目立つ色なのだ。
「そっちこそ、俺の腕を見ても驚かないな」
「まあね、そういう人をたくさん見てきたから。貴方のも、名誉の傷なのでしょう?」
「そうだ」
欠損を治すのはこの世界の並外れた力を以てしても難しい。今でこそもう慣れたが、初対面の相手にはそこそこの割合で驚かれる。
「ところで何故、貴方はこんな所へ?」
「ちょっと、占い師に唆されてな」
「占い師?」
「ああ、実は昨日道端で──」
魔女に俺がここに辿り着くに至った経緯を説明した。
魔女はしばらく何かを考える素振りを見せた後、
「なるほどね」
と言った。
思い当たる節があるのか、想起するような素振りを見せる。
「確かに、私は貴方の未来について教えることができる。だけど、簡単に教えられるものではないの」
やはり、一筋縄ではいかないか。
占い師とどんな縁で繋がっているのかはわからないが、名前を出せば通るわけではないのだろうか。
あるいは、無理難題に等しい対価を要求されるとかもあり有る。引退こそしたが、魔女にとっては勇者という存在自体に価値があるかもしれない。
「どうやったら教えてくれるんだ?」
「んー。私が話すにたる人物だと判断したら、教えてあげるわ」
「それは、どういう……」
「さあ、私に着いてきて」
魔女はいたずらな笑みを浮かべながら、花畑の外周に沿って歩き始める。
嫌な予感がしたが、魔女の言う事に従うべきだろう。少なくとも、占い師に騙された線は無くなった訳だし。集団リンチに遭う可能性も無いと言っていい。
もっとも魔女と戦うことになれば、集団リンチよりも酷い目に遭いそうだ。彼女には魔王に匹敵するほどの力があると踏んでいる。悟られないように警戒しつつ、魔女の後に着いていく。
「この花はね、テラネルというの」
「テラネル……」
「そう、テラネル。この純白の花は人間の寿命よりも長く咲き続け、この花が咲く地に安寧をもたらすと言われている。でも、ひどく脆くて触れればすぐに枯れてしまう」
見たことも聞いたこともない花だ。話を聞く限りでは人目につくところでは自生できないだろうし、さしずめ幻の花といった立ち位置か。
「だからわざわざ外周を歩いているのか」
「本当は上空を飛んで行きたいところなんだけど。テラネルはどんなに些細でも一度魔力を吸うと花が散って実がなってしまうの。そうして、一度実のなったテラネルは二度と花を咲かすことがない」
「儚いな」
「そう。数百年かけて形成されたこの花畑も、壊れてしまうときは一瞬。だから申し訳ないけれど、貴方の魔力を封じさせて貰ってる」
「……本当だ」
全く気づかなかった。
いつ使えなくなったのかと思考を巡らせると、思い当たるのは、あの白い霧。魔獣の気配を感じなくなったのも、霧が魔力を遮断したからではないだと思うと合点がいった。
それにしても、先ほどから状況判断をおろそかにしすぎだ。魔女が敵だったら、間違いなく瞬殺されていた。
「でも、安心して。私は貴方に危害を加えるつもりは微塵もない。だから、警戒を解いて?」
心のうちを見透かしたように魔女は言う。
言われるがままに警戒心を解くというわけにもいかないが、魔女に敵対の意思がないのなら、剣をしまうくらいのことはできる。
ホルダーから長剣を外し、収納魔法を使おうとして、そういえば魔力を封じられているのだったと気づく。
「あー、魔力が使えないって不便だな……」
ふふっ、と魔女は笑みをこぼす。
恥ずかしさに堪えながら、長剣を再度付け直した。
「慣れればそうでもないよ」
聞けば、魔女は普段から魔法を使わないらしかった。
魔女といえば箒にのって自在に空を飛び回ったり、魔法の研究と称してありとあらゆる魔法を打ちっぱなしたりと、自由奔放なイメージだっただけに意外だ。
それを伝えると彼女はまた小さく微笑んで、私は変わり者なのかもねと言う。変わり者かどうか俺にはわからないが、彼女の笑顔は一目惚れしそうなくらいに素敵だった。
「着いたよ」
テラネルの花畑の離れに、木造の小屋が建っていた。外見は何の変哲もない素朴な小屋だが、周囲に張られた結界のおかげで安全は担保されているらしい。
「ささ、入って」
「お邪魔します」
魔女に促され、小屋に入る。
あたりに散らばった魔導書と、乱雑にまとめられた魔道具。机には広げっぱなしのスクロールには書き途中の魔法陣が刻まれていた。
ソファに積まれていた本を端に寄せ、空いた隙間に腰を下ろした。俺が一息ついている間に魔女は来客用のお茶を用意していたらしく、厨房から出てきた魔女はポットとティーカップを2つを持っていた。
「散らかってるのは気にしないで。その、滅多に客なんて来ないから……」
部屋が荒れている事に関してとやかく言うつもりはない。言うまでもなく俺もそっち側の人間だ。むしろ、魔女という常軌を逸した存在でも部屋は散らかるんだなと親近感が湧く。
「一人で住んでいるのか?」
「ええ、そうね。今は一人で暮らしてるわ」
今は、という含みのあるいい方からして、かつて誰かと住んでいたことがあるのだろう。魔女はその人物を脳内で想起しているのか、どこか懐かしそうな目をしていた。
やはり、歴代の勇者……と考えるのは無粋か。
魔女という存在は往々にして長生きをする。この世界における、というか目の前にいる魔女がそれにあたるかどうかはわからないが、寿命の関係で親しい人に先立たれたなんてことがあるかもしれない。
「あー、それで。どうやったら認めてくれるんだ?」
話題を変えようとして言葉足らずになってしまったが、魔女は意図を汲み取ったようで難しい顔をした。
元よりその話をするために来たのだ。魔女もそれをわかっているだろうに、この話題には触れたくないような素振りを見せる。ここまで来て、「貴方には教えられません」なんて言い出しそうな雰囲気だ。
「ごめんなさい」
暫しの沈黙の後、魔女は謝罪をした。
深々と頭を下げて。
「何故謝る?」
「……私は貴方を騙した」
どうやら俺は騙されたらしい。
考えうる択が多くてどう騙されたのかはわからない。酒を言い訳にするつもりはないが、どうにも頭の回転が鈍っている。
今目の前にいるのは魔女ではないナニカ。
俺を殺すための演技。
未来を教えるつもりはない。
そもそも俺の未来を知らない。
次々と可能性が思い浮かんでは、疑問符に変わっていく。何故、何のためにそんなことをするのか。
(俺が勇者だから? 魔王を殺したから? 俺を実験台にするために? 俺を殺すために?)
一瞬にしてフル稼働した思考回路は防衛本能からくるものであった。目の前にいる不気味な存在から自分を守るための思考。
「何が目的だ」
自分でも驚くほど低い声が出た。
いつの間にか剣柄に手が伸びている。
彼女は殺気を向けられてもなお、表情一つ変えずにいる。しかし、肩は小刻みに震えていた。
その気になれば衰えた俺など一捻りにできるだろうに、恐怖を抱いているとでもいうのか。
「賢者の石、という言葉に聞き覚えはありませんか?」
賢者の石。
あらゆる金属を純金に変えたり、不老不死になれたり、不治の病を治すことが出来るというアレだ。元いた世界の、さらにはフィクションの知識しか無いが、理を超越した事象を引き起こす代物……。
無論、この世界においては初めて聞く単語だ。
「…………ない」
下手に元いた世界の知識で知ったかぶるよりは、この世界の賢者の石とやらを知るべきだ。ここは知らないふりを通すのがいい。
「それがどうかしたのか?」
「貴方は今、賢者の石を持っている」
「俺が?」
「ええ、おそらく」
魔女はこくりと頷いた。
魔女の目的は依然としてわからないが、賢者の石絡みであることは確定した。
(どうする……)
賢者の石に、心当たりはあった。
魔石袋に入っているであろう、深紅に輝く小石。それすなわち、魔王の魔石だ。
それがきっと魔女の言う、賢者の石に該当するだろう。莫大な魔力量を内に秘めていながら、あれだけ小さいのも、普遍的な魔石と異なるものと考えれば説明がつく。
問題は、賢者の石を素直に渡すべきかということだ。目の前に立つ女のことを、俺はまだ信用できていない。今は温和だと言えるが、賢者の石を渡した途端豹変するかもしれない。だが、俺が賢者の石を持っているというのは既に割れている。ここで抵抗するのも魔女の逆鱗に触れる可能性があった。
「確かに、俺はお前の言う賢者の石とやらを持っている。そのうえで再度聞く、何が目的だ?」
「…………私は貴方を助けたいの」
魔女の黒い瞳が俺をまっすぐに見つめていた。
……嘘は言っていないようだ。
とはいえ、おいそれと賢者の石を開け渡すわけにはいかない。
俺が返答に困っていると、魔女は諦めたように、あるいは決心したかのように表情が固くなった。
「私は生き物の死の淵を見ることができる」
死の淵を見ることができる。
つい最近どこかで同じようなことを聞いた。そう、水晶を使わない謎の占い師。
「死の淵の占い師……」
「最初は、騙すつもりはなかったの」
魔女は苦虫を噛み潰したような顔をする。
なんとなく、話の顛末がわかった。
どこかの筋から俺が賢者の石を持っているという情報を入手、占い師に身分を偽装して接触した。どうにかして賢者の石を手に入れるつもりだったが、俺の死の淵に思うところがあり、わざわざ森の奥まで招致した。
ということだろう。
「合点がいった。その死の淵とやらには賢者の石に関係があると?」
「……おそらく」
煮え切らない返事だった。
どうやらそこは、魔女にもわからないらしい。
ただ、魔女はそんな未来を回避するべく、こんな場を用意してまで助けようとしてくれたということだ。
「すまない。少し早まったみたいだ」
剣に伸びていた手を引っ込める。
端から魔女は善意で行動していたという訳だ。異端の存在だからといって警戒しすぎていた。
「謝るべきは私の方よ。貴方が警戒するのは当然だわ」
ふっ、と張り詰めていた緊張の糸が解けた。
回りくどいやり方だったのも、彼女なりの配慮だとか事情があるわけで。つまり飾らない言葉で言えば、この魔女はとてつもなく不器用だったのだ。それがわかった途端、警戒心は霧散した。
「ところで、最後に一つ質問いいか?」
「ええ、もちろん」
「賢者の石を手に入れてどうする?」
魔女は露骨にこの話題を避けていたように思う。何より、魔女がほんの一瞬顔を顰めたのが物語っている。だからこそ、ここで聞いておかねばならないと思った。
「貴方になら話してもいいかもしれない」
魔女は逡巡したのち、そう一つ前置きをした。
「魔王が誕生するのを阻止するためよ」
確かに魔王にとっての賢者の石は魔族にとっての魔石と同じ役割を果たしていた。つまり、魔女の言い分を鵜呑みにするのであればこういうことになる。
「賢者の石で魔王を誕生させることができる……」
裏を返せば、魔女の言うように賢者の石がなければ魔王は誕生しないということだ。
頭に血が昇っていくのがわかった。
だって、今俺が持っている賢者の石のせいで俺は様々なものを失ったということじゃないか。俺は魔王討伐の過程で数えきれないほどのものを失ってきた。もちろんそれで得たものもあったが、それ以上に失ったものは大きかった。その元凶がここにあるというのに、どうすれば落ち着いていられよう。
「それは、真実なのか?」
「ええ。私もこの事実に辿り着いたのはつい最近のことだけど、間違いないわ」
怒りは募るばかりなのに、向く矛先がなかった。魔法が封じられた今、亜空間から引っ張り出してきて破壊しようとすることさえできない。そもそも怒りをぶつけたところで、失ったものが帰ってくるわけではないのだ。
怒りを滾らせる度に魔女がびくりと肩を震わせるのを見ると、怒りを抑えねばと思った。なんとか自制心を取り戻し、心を落ち着ける。
「待て。さては勇者に殺されるって……」
冷静になって考えてみれば、死の淵の占い師もとい魔女は、俺が勇者に殺されると言っていた。察するに魔女の見た未来では、俺が魔王になっている可能性が高い。
何がどうなって賢者の石を使う道に落ちてしまうのかはわからないが、過程はともかく魔女にはその末路が見えたという。
「そういうことになるわね」
魔女の思惑がはっきりとわかった。彼女は嘘偽りなく、ただ俺が魔王へと堕ちる未来を変えたいのだろう。
「……状況はわかった」
「それで、さっきの質問は「賢者の石を手に入れてどうする?」だったよね」
「ああ」
「私は賢者の石を破壊あるいは封印したい、と考えている」
「できるのか?」
「私には出来ないけれど、知り合いが」
知り合い、か。
そいつが信用できるかも確かめておきたいが、渡した後に関しては後回しでいいとして。
俺としても金輪際魔王が復活しないのであれば、それに越したことはない。ならば、目の前の魔女に託すのも悪くないと言える。俺が魔王化するという情報を提供してくれたのには感謝しているしな。
「ちょっと時間をくれ。状況を整理したいのと、魔法が使えなくては賢者の石を取り出すこともできない」
「そう。私も待つのは構わないわ。それに、亜空間ほど安全な場所はないしね」
それはその通りだ。
魔法で亜空間に収納されている限り、術者しか干渉することはできず、それが感知される恐れもない。術者が死ねば、中身はこの世界のどこかに分散するといわれているが、俺ならそう簡単にくたばることもない。ないはずだ。
「いいのか? 俺が本当に賢者の石を使うかも知れないぞ?」
「それは困るのだけど、貴方は絶対にそんなことしないでしょう?」
そう言い切られてもな。
確かに俺が使うことは誓ってないだろうが、これは魔女から信用されていると見ていいのだろうか。
「まあな」
「そう、良かった」
魔女は魔王の復活を阻止したく、できるなら俺の未来も変えたいと。未だ得体の知れない存在ではあるが、敵か味方かで言えば、間違いなく味方と言える。信用できるかと問われると、唸ってしまいそうだが。
「俺も魔王の復活は阻止したい。それに、魔王にはなりたくない。そういうわけで、ここは一つ協力関係といこう」
「話が早くて助かるわ」
俺が手を差し出すと、魔女は白くて小さい手で握り返してくれた。力を込めれば壊れてしまいそうな、まるで雪のような手だった。
「なんだか世界の真理を覗いた気分だ……」
魔女の存在に、賢者の石、魔王復活の仕組みと、俺が魔王になる未来。
一度に扱うには濃すぎる内容のせいで、どっと疲れが押し寄せてきた。魔女に対する警戒も薄れ、安心したせいか眠気まで襲ってくる。
「眠いの?」
透き通った優しい声が聞こえたところで、俺の意識はぷつりと切れた。




