第十四話 アクシデント
その日の夜中、俺はドアを蹴破りそうな勢いのノックで目を覚ました。
久々にベッドで快適な睡眠をと思っていたところを妨害されて、黙っていられるほど聖人ではない。無視を決め込もうかと思ったが、あまりにノックがうるさいので仕方なくベッドから這いずり出る。
開錠し、ドアノブを捻ると、そこにはホテルマンの姿があった。騒音の規模的に、何か事件でも起きたのだろうか。イリヤを起こさないよう、一度部屋の外に出る。
「…………何だ」
「良かった! お客様、早く避難を!」
ホテルマンが危機感を煽るように声を荒げるもんだから、意識がしゃっきりとした。
既に避難指示を受けたと思しき客達が廊下でパニックに陥っている。大量の荷物を抱えた客が右往左往しているせいで、とてもじゃないが避難できるような状況ではない。
「何があった?」
「それは言えませんが、とにかく避難を!」
まどろっこしい。
非常事態の接客マニュアルで事件の内容を話さないようにとでも指示されているみたいだ。多分そうなんだろうから、彼を責めるまい。
「俺はこういう者だ。何か手伝えることはあるか?」
冒険者カードを提示する。
こんな時のための地位だ。
「これは……! 失礼しました。Sランク冒険者の方とは存じ上げず……」
「構わない。何があったか教えてくれるか?」
「はい、端的に申し上げます」
ホテルマンは周囲を見回した後、俺だけに聞こえるように言った。
「西門に、はぐれ翼竜が出現しました」
「翼竜だと!」
つい、声が大きくなってしまった。
慌てて手で口を塞いだが、近くにいた客に聞こえてしまったのか、ますます混乱が広がってしまった。
「お客様!」
「すまない。迂闊だった」
しかし、リーベイまで翼竜が降りてくるとは全く想定していなかった。はぐれ、ということは一体だろうが、アレは一体でも災害級だと聞く。
目の当たりにしたことはないが、人伝に聞いた話では、一晩で街一つが消え去ったとか。数日で国が滅んだとか。とにかく危険な魔物であると脅されてきた。
「そういうことなら、俺のことはいい。他の客のところに回ってくれ」
「承知しました。ですが、お客様はどうなさるのですか?」
「俺は俺のやるべきことをやるだけだ」
俺はひとまず部屋へと戻った。
まずは、イリヤを起こすところからだ。気持ちよさそうなところに忍びないが、声を掛ける。体を揺らす。布団を引っぺがす。
「……起きねえな!」
余程旅の疲れが溜まっているのか、もともと寝たら起きないタイプなのか。どちらにせよ、おぶって逃げようにも片腕だけでは支えきれないし、とにかく起きてもらわねば困る。
「かくなる上は……」
背に腹は変えられぬ。
あまり取りたくはない行動だが、やるしかない。
俺はイリヤの手を握った。
「……レイ、ト」
緩んでいた表情が強張っていく。
イリヤの能力、死の淵を見る力。
こんな使い方をしたくはなかったが、効果は覿面だった。何をしても起きなかったイリヤが、目を覚ました。
「あれ……夢か。って、どうしたの? そんなに焦って」
「街に翼竜が出たらしい」
「……翼竜?」
寝ぼけ眼を擦りながら、状況を確かめるように俺の言葉を繰り返す。
「寝起きのところ悪いが、避難しよう」
「……うん」
なんとか状況は理解できたようだ。
廊下は避難したい客でごった返しているので、窓から飛び降りる。2階の高さ程度なら何の支障もなかった。
「討伐に行くの?」
「まさか。逃げるんだよ」
「そっか」
きっと、ホテルマンは討伐に参加してくれることを見込んで情報提供してくれたのだろう。しかし、Bランクの魔物すら倒せない俺が、翼竜を討伐できるとは思わない。勝てない勝負は挑まない、冒険者の心構えだ。
「流石に人が多いな」
東門に向かう道中は、混乱する人たちで埋め尽くされていた。西から翼竜が来ているのだから、反対に逃げる。考えることは皆同じだった。
「ねぇ、これ大丈夫なの?」
「……多分」
近隣の村からの避難民がいるということも相まって、街が人で埋め尽くされている。このまま停滞していては、避難する前に翼竜が到達してしまうかもしれない。
「この中に戦える者はいないか!」
喧騒を叩き割るような大声が響く。
声の主はわからないが、背中側、つまり西側に立っていることはわかった。
「報酬は弾む! 討伐隊に参加した者全員にだ!」
報酬と言ったって、生きてなきゃ価値はない。
金に釣られる人間がいないとも限らないが、寄せ集めで倒せるような敵ではないのに。
「誰でもいい! 討伐隊に参加できる者は至急ギルドまで!」
それを最後に声が途絶える。
誰一人として、ギルドへ向かった者はいなかった。当然の話だ、翼竜討伐に行くなんて自殺行為に等しい。
「行かなくていいの?」
どういうつもりなのか、イリヤはそんなことを聞いてくる。イリヤは翼竜の恐ろしさを知らないのだろうか。かくいう俺も詳細までは知らないが、生半可な覚悟で討伐に参加隊していいような相手ではないことをわかっているのだろうか。
「行かないよ。俺は戦えない」
能力的にも、意思的にも。
戦いたくない。
こんなところで、死んではいけない。死なせてはいけない。
「そっか。レイトが行かないなら私も行かない」
言葉とは裏腹に、イリヤは不満そうだった。
私だけでも行く、とでも言いたげな様子だった。俺とパーティを組んでいなかったら、すぐにでも向かっていただろう。
イリヤは行っても戦力になる。B級の魔物を一撃で蹴散らせるその魔法で、翼竜に立ち向かえる。もしかしたら、倒せるかもしれない。
「……レイトは、レイトだもんね」
それは、あえて俺を怒らせるための発言だったのかもしれない。なんとか討伐へ参加させるために。
レイトじゃなく、レイなら。
人類の希望たる勇者ならば、真っ先に討伐に向かっていただろうから。
「そうだ。俺はただのしがない冒険者、レイトだ」
情けないと思っただろうか。幻滅しただろうか。
この行動で、パーティを解消されるかもしれない。
でも、これで良かったはずだ。このリーベイという街を見捨てでも、生存率の高い方を選ぶべきだ。何も、間違ったことはしていない。
「しかし、全く動かないな」
「そうね」
避難民の群衆は全く動かない。
堅牢な城壁と狭い門は確かに防御に適しているが、避難するにはあまりにも不向きな造りだ。魔物に襲われることは想定していても、翼竜に襲われることは想定していなかったのだから仕方ない。
「みんな、疲れ始めてる」
深夜ということもあり、避難しようと東門に集まっていた人達はもはや理性を保つのに限界が見え始めていた。
数珠を手に神頼みする老婆も、祟りだと嘆く老爺も、泣き叫ぶ子供も、その子供をあやす母親も、黙ってじっと待っている青年も、恐怖で震える少女も。
種族、老若男女問わず、皆疲弊している。
(このままでは、まずい)
ここで停滞していれば、翼竜から逃げられず、群衆丸ごと全て呑み込まれるのがオチだ。
だが、討伐に行って、勝てる算段はない。そもそも、翼竜の実物を見たことはないのだから、算段がつくはずもないのだが。
だいたい、飛んでいる竜に人間が叶うわけがない。剣も届かなければ、魔法も的中しづらい。防御だって、上から一方的に炎を吐かれるだけで一貫の終わりだ。
唯一勝ち目があるとすれば魔法でちまちま削る戦法だが、それでは魔法使いが捨て駒になる。とてもじゃないが、イリヤを参戦させることはできない。
「レイトは、翼竜が怖いの?」
「俺は……」
怖いさ、怖いに決まっている。ここにいる全員がそうだ。でも、それを言葉にしてしまうのは、そうだと認めてしまうのは、俺にはできなかった。
心の中の勇者レイがそう思わせたのか、ただのちっぽけなプライドか。自分でもよくわからなくて、言葉に詰まった。
「私はね、とっても怖い。箒に乗って逃げ出しちゃいたいくらい」
俺の答えを待たずして、意外にもイリヤはそんなことを言った。真っ先に討伐に向かおうとすら、思っていたはずなのに。
「でもね、思い出したんだ。あの村のこと」
つい、数日前。
ロンデルウルフに襲われたという村のことだろう。
死んでいた村を甦らせたのは、イリヤだ。
亡くなった人を生き返らせたわけでもなければ、村の被害を修復したわけでもない。一晩中、騒いだだけだ。それでも、村には活気が戻った。
「それが、どうかしたのか?」
「私ね、その時に思ったんだ」
酒を飲んで、村人と肩を組んで思ったこと。
側で眺めていただけの俺には、わからないことだろう。俺は黙ってイリヤの言葉に耳を傾けた。
「……みんな、生きてるんだって」
それは、あまりにも当たり前なことだった。
でも、不老不死の魔女にとっては、身近な感覚ではなかったのかもしれない。
「私の目の届くところで、誰かに死んで欲しくない」
イリヤの言葉は、考えを変えるのに十分すぎるほど響いた。
俺は、俺たちが死なないことを最優先としていた。そのためにリーベイを、この街の人を見捨てることを厭わなかった。
イリヤは不老不死だと言っていたけれど、あの日見たイリヤの死の淵をどうしても忘れることができなかったからだ。
これ以上誰かを失うのが怖かった。イリヤを失うのが怖かった。だから、逃げるべきだと考えた。
「俺は……レイトだ。レイはもう、居ない」
「そう、だよね……」
イリヤは悲しそうな顔をする。
俺ひとりでは翼竜を討伐できるほどの力はない。度量もない。
俺は今、ただの冒険者だ。
でも、それと同時にイリヤのパーティメンバーだ。
「だから……一緒に討伐しよう、イリヤ」
「……え?」
生き延びるためなら、間違いなく逃げるべきな状況。
イリヤは冗談めかして箒で逃げようと言っていたが、箒に乗れば人混みを越えて、城壁を越えて、軽々と街の外まで逃げることができる。
逃げるのは簡単だ。見捨てるのも、簡単だ。でもそうやって目の前の課題から目を逸らし続けていれば、いつかはその皺寄せが来る。ロンデルウルフに襲われ、痛感したはずだ。
俺は俺の出来ることを着実にやっていかなければならない。そしていつかイリヤと二人で目的を成し遂げるために。そのために、今ここで翼竜を討伐するのだ。
「俺ひとりの力じゃ無理だ。力を貸して欲しい」
「うん!」
俺は今、ひとりじゃない。
心強いパーティメンバーがいる。
「行こう」
俺たちは群衆を掻き分け、西へと向かった。
ここにいるすべての人を救うために。
数珠を手に神頼みする老婆も、祟りだと嘆く老爺も、泣き叫ぶ子供も、その子供をあやす母親も、黙ってじっと待っている青年も、恐怖で震える少女も。
全員まとめて、救うのだ。




