ウェイバー・カドリックの覚醒
どうして、思うように動けないんだ。
こんなことをしたいわけじゃないのに、体が自分の意思では動かせない。
あの女に出会ってからと言うもの、私の体は何者かに乗っ取られたかのように指一本ですら言うことを聞いてはくれないのだ。
リディアはあの日以来私に近寄らなくなったし、たまに会えたかと思えば私は私で思ってもない言動をリディアにする始末。
気味が悪い。
胸糞悪い。
忌々しい。
恐ろしい。
「ウ、ウェイバー様」
私より遥かに小さい体を更に痛ましく縮こまらせ、リディアは震えている。それなのに、どうして手を伸ばしてやれないんだ。
「……わ、私と……」
甘く蕩けるような垂れたシルバーグレーの瞳は、今や痛ましいほどの悲壮感に満ち溢れ、透き通った涙が目尻からポタリと流れ落ちていく。
ああ、その後に続く言葉なんて言わなくても分かってる。私が悪いことなんて百も承知だけれど、それでもどうか言わないで、聞きたくない。愛しい君の口から聞きたくないんだ。
「婚約を……破棄、してくっ、くださっ……い」
―――いやいやいやいや、そんなの無理に決まってんじゃん。
俺がどんっっっっだけ‼︎‼︎今まで紳士気取ってリディを甘やかしてきたか分かってんの?リディは物静かで怖がりだから、大きい音とか大柄の男とか嫌いだし、それに合わせてなるべく静かに、丁寧に接してきたのに。そもそも、セイドン伯爵はリディを溺愛してるから手を繋ぐどころか、必要以上に触れることさえ婚約破棄をチラつかせながら禁止されてたんだぞ‼︎‼︎‼︎それを何年も耐えて耐えて耐えて耐えて‼︎‼︎‼︎やっと‼︎‼︎やっと結婚まであと少しってとこだったんですけど‼︎⁉︎
―――ふっざけんじゃねーよっ‼︎‼︎‼︎誰が乗っ取ってんだか知らねーけどさっさと俺から出て行けクソが‼︎‼︎‼︎
「―――っ」
怨念と言うべきか、意志の強さと言うべきか、とにかく思い切り舌を噛むことに成功した私は動きの悪い片腕をそれはもう必死に動かし、リディアの涙で濡れた小さな頬に触れた。
次の瞬間、嘘のように体が軽くなっていく感覚がして、身軽になった体は間にあったテーブルを飛び越えてリディアを逃さないように抱き上げた。
「え、あっ、きゃぁ」
「リディア、リディアリディアリディアリディリディリディリディリディリディリディ‼︎‼︎‼︎」
「は、はい?」
「婚約破棄は絶対ダメだ!そんなことをしたら私は死ぬ‼︎‼︎絶対に死ぬ‼︎‼︎直ぐに死ぬ‼︎‼︎なんなら今死にそうなくらいなんだ‼︎‼︎俺を死なせたくなければそんな恐ろしいこと言わないでくれっ‼︎‼︎」
取り繕っていた猫がガバリと剥がれ落ち、情けないほどリディに追いすがる。
―――は?プライド?そんなもん虫にでも食わせてろ。リディを失うくらいならそんなもんいらん‼︎‼︎
「あ、あの⁉︎」
戸惑うリディアの声。そりゃあそうだろうなと思う。正直自分でも、最近の出来事は気味が悪くて驚くことばかりだ。
「……ウェイバー様?」
「………」
「あの、お顔をあげてくださいな」
リディアの小柄な体にしてはふくよかな胸に顔を沈めたままの私は、抱きしめる腕に力を込める。
「ウェイバー様?」
「婚約破棄を撤回してくれるなら顔を上げる」
「…………」
あ、ダメだこれ死のう。
「……っふふ」
突然耳を打ったのは、軽やかなリディアの笑い声だった。呆然と見上げたそこには、瞳を潤ませて頬を紅色に染めた正に眼福な光景が広がっている。
「そんなに必死になるウェイバー様初めて見ましたわ」
「……君のことに関しては大抵必死だよ」
私はリディアを横抱きにし、抱えたままソファに座り込みやっと安堵の息をつく。
「この一年、本当に申し訳ないことをした。こんなことを信じてもらえるか分からないが、どうか聞いてほしい」
「……はい」
私の緊張が移ったリディアは背筋を伸ばすが、何をしたところでひたすらに可愛い。
「私の意識はあったんだが、まるで何者かに操られているようで自由に体を動かすことが今の今までできなかったんだ」
「まあ」
素直に私の話を信じてくれたリディアは顔を青く染め、少し考える仕草をした後また、私へと向き合う。
「どうして、今になって動けるようになったのでしょう?」
「確証は無いんだが、リディの頬を触った時に一気に体が軽くなったんだ」
「私の頬をですか?って!ウェイバー様!お口から血が出ています‼︎‼︎」
あ、そういえばそうだった。
「いや、これくらいなんともない」
「そんなことはありません!だってすごい血、がっ‼︎⁉︎」
リディアの胸元に顔を寄せて、彼女の体を強く抱きしめる。嗅ぎ慣れた花の匂いに、少し泣きそうになってしまった。
「ああ、よかった。リディを失う前に戻ってこれて……」
「やっ、ぁ、あの、ウェイバー様っ」
ふわふわの柔らかい胸元にキスをいくつか落として、細いくびれを掌でなぞる。びくりと体を揺らすリディアにうっそりと微笑むと、唇にキスを……しようとして自分の口内が血だらけだと思い出し額、目蓋、頬に留めておいた。
「ああ、そうだ。ブランド男爵令嬢が侍らせていたのは私の他に、リチャード殿、メイビス殿、セオドア殿下でよかったかな?」
「え、ええ……そのはずですが」
この国の有力貴族の子息達を何らかの手を用いて、たった一人の小娘が無能にさせている。それがどれだけ国家を揺るがすことが…….。
腕の中にある大事な大事な婚約者を今一度、しっかり抱きしめこれからの算段をつけていく。
父と話をしなければならないな。
―――いや、その前にセイドン伯爵に平身低頭だな。
最大の敵未来の義父を思い出し、背筋が凍る思いがするが、リディアを手に入れられるならこんなこと何てことはない。
次回から主人公がまた変わります〜




