暗い世界の終わり
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眠れなかった。相田先生が客間に布団を敷いてくれた。寝心地は悪くない。携帯の時間を見ると、3時過ぎだ……。
誰かが、外に出ようとしている音が聞こえた。何となく、ひらりな気がして、玄関へ向かった。辺りは張りつめたような静けさに包まれている。携帯の光で玄関へ行くと、ちょうどドアが閉まる所だった。そのドアを閉まる前に開けて、外に出た。
「意外と外涼しい……」
「どこ行くつもりだよ。」
ひらりは自分の耳を手で塞ぐ。
「え?幻聴?」
「幽霊扱いするな。」
ひらりは振り返ると、俺のTシャツを見て吹いた。
「ぶー!何そのダサいTシャツ……ぷぷぷ……。」
「杉本のだよ!」
ぶかぶかのTシャツには、ただの傍観者。と胸に大きく書いてあった。
「声大きいよ。何時だと思ってるの?」
「うるさい。こっちの台詞だよ。今何時だと思ってんだよ。まだ3時だぞ?3時。」
辺りはまだ真っ暗だった。
「春壱だって起きてたじゃん。」
「お前が出て行く音で起こされたの。俺繊細なの。」
「自分で繊細って言える繊細さが羨ましいよ。」
「うるさいな。」
その言葉を聞かずに、ひらりは先に行った。
「あの……川……」
俺は今日の事を謝ろうとした。
「お姉ちゃんのご飯美味しくて食べ過ぎた。だから多分眠れない。」
「いや、さっきまで寝てただろ。あ、前に言ってた再現したい味って、姉さんの味だったんだな。」
「よく覚えてたね。まあ、結局オムライスしか再現できなかったけどね。これからはちゃんと教えてもらお。」
俺はひらりの後について行くと、
「春壱、おんぶして。」
そう言って急に後ろにまわった。
「何でだよ。」
「小さい頃、こうやって眠れない時は、お姉ちゃんがおんぶして外に、夜の散歩しに来てくれた。」
夜に子供だけで?危なくないか?と思ってしまった。
「月が綺麗な日もあったなぁ、満天の星空の日もあった。真っ暗で何も見えない時もあったし、ホタル見つけてずっと見てた時もあった。あ、この前慎ちゃんと帰った時見つけたんだよ~!」
「あ、そ。」
俺は車道と庭の段差に座った。ひらりは、その隣に座った。
「その時も子供頃を思い出した。あーあ。……私が子供じゃなくて、もっと大人だったらなぁ……」
「何でそんなに大人になりたいんだよ。」
「…………あのね、あの人が飛び込んだ川に、大雨の日の川に、私も飛ぼうと思ったの。」
「は?」
それは、答えになってない。
「でも、飛べなかった。春壱、私ね、思ったの。もし、もし、あの人が私の事を大事に思ってたなら、お母さんの中にも私の言葉の木があるはず。だとしたらお母さんが天国へ持って行けたのは、言葉や音楽の記憶だけ。だけど……私にはまだ、天国に持って行けるものが全然なかった。私は欲張りだったから、天国に持って行けるものがこんなに少ないなんて…………なんて悲しいんだろうって思ったの。」
「何言ってんだよ!バカじゃないのか?」
ひらりに向かって俺はつい怒鳴ってしまった。
「バカだよ……!バカだから、どうしてもあの時、部屋から出たくて……あの人に、言っちゃいけない呪いの言葉を言った。」
「言っちゃいけない呪いの言葉?何だそれ?ザラキ?」
人を呪い殺すと言ったら……
「うんん。そうじゃない。春壱にはホイミ。人によってはザオリク?病気の人には……ザラキーマ。」
「ドラ○エの呪文で例えるのやめないか?ややこしい。病気?ああ、母さん精神疾患だったって聞いた。」
「春壱も聞いたんだ。私、全然知らなくて、後から知った……。」
やっぱり、生きてた時には、知らなかったんだな。
「それにしても、俺にはホイミ……ザオリク……人によってはザラキーマ……何だ?」
「わかんないかな?」
その謎解きは難航していた。
「全然わからない。」
「それは…………頑張って。だよ。」
その時、確か俺が入部したての頃、先輩とのやり取りを思い出した。
「先輩、どうしてうちの部のかけ声、頑張れ~とかじゃなくて、世界を征服しろ。なんですか?」
「何でだっけ?」
「ああ、あれだよ。ひらりがさ、すっごい暗い顔してさ、部長に、頑張れって言葉を使いたくないって。」
先輩は幽霊みたいに立って見せたと思えば、その後に握り拳をつきあげて言った。
「演技をがんばるって事は、演者と観客の世界を征服するって事だ!って部長が言い出してから、みんなそうゆうノリになったの。合言葉みたいで気に入ったんだよね~」
「まぁ、みんな中2病だからね~」
確かに…………剣道の試合の時も、頑張れとは言われなかった。
ひらりは少し下を向いて話始めた。
「入学式前に、家に制服が届いたんだけど……あの人はそれを見て、私が遠くに行くんじゃないかって思ったみたい。」
それが原因だと思ってるのか?
「私も、しばらくあの人の事どうしていいかわからなくて、正直離れたかった。それで、入学式の次の日、制服を隠された。」
「え……?」
「新しく注文したとしてもすぐには届かないし、新学期には間に合わない……どうにか、どうにかして制服を取り戻したくて、あの人の部屋に行った。」
ひらりは段差を降りると、車道へ降りた。
「そしたら……これまたバカでさ、逆に部屋に閉じ込められて、しばらく出られなかった。何とか出してもらえるようにと思って……言っちゃいけない言葉で説得した……。」
ひらりの顔はどんどん泣きそうになっていった。
「お姉ちゃんはいつも頑張ってくれた。お母さんも……頑張ってよ。って……」
「お前……お母さんとお姉さんの板挟みだったんだな。」
「板挟み……?そう?そうなのかな?……自覚があれば、誰も傷つけなかったのに……。病気って知ってれば……絶対言わなかったのに。恨んだりしなかったのに。誰も……何も教えてくれなかった……私が子供だったから。子供だから、気づきもしなかった。気づこうとしなかった。私がバカだった。バカで子供で……」
何も言えなかった。俺はただ、ひらりの頭をなでる事しかできなった。
ひらりは静かな車道の端で、膝を抱えて泣いていた。
「お前は悪くない……。ただ、どうにか学校に行きたいって思っただけなんだろ?俺は……お前が子供で、バカで良かった。」
「何で?」
「言葉の木の話、あの話を鵜呑みにするような子供だから、飛ばなかったんだろ。死ななくて良かった。死んだら何もしてやれない。おんぶなんかしてやれない。」
「結局してくれないじゃん。」
涙を拭いて、ひらりはやっと顔を上げた。
「早く大人になりたかったんじゃないのか?早く大人になりたいって言ってるやつほど子供なんだよな~」
「む……!」
「お前はしばらくこのまま子供でいれば?ずっと焦って大人になろうとして来たんだんだろ。もう、焦るなよ。まだ子供でいたいと思えよ。」
相変わらず、挑発にすぐ乗るバカだ。
「まだ子供でいたい?やだよ。早く大人になりたいよ。」
「うちの自由人な叔父さんが言ってた。大人になったら、大人になりたいとは思わなくなる。むしろ子供になりたいって思うんだってよ。早く大人になりたいって言ってるうちは子供なんだって。」
「じゃあ、もう大人になりたいなんて思わない。私は立派なレディよ!」
その姿を見て俺は、幼いひらりを想像して笑った。幼稚園児のひらりを。
「バカだなぁ……ウサギのパンツはいてるクセに。」
「え!?見たの!?」
「見たくもなかったわ。もう二度と、こんなとばっちりはごめんだからな?次は下着なんか捨ててやる。」
ひらりはグーで軽く叩いて来た。
「ひどい!キラキラーウサギお気に入りなのに!もういい、もう中に入る。」
そう言ってひらりは先に家に入ろうとした。
俺は後ろから声をかけた。
「もういいだろ。……もう、悪い夢の中にいるのは止めろよ。もう、暗い世界は終わり。そろそろ夜が明ける。」
辺りは明るくなってきていた。
世界の終わりに涙するなんて、もうやめにすればいい。
もう、暗い世界は終わりだ。もう、夜が明ける。
「春壱……。」
「忘れろって言うのは無理だけど、今は……今をちゃんと大事にしろよ。あと、泣き顔ブスだな。もう泣くのやめた方がいい。」
「春壱のバカ!」
ひらりは腹にパンチをくらわしてくる。俺は大袈裟にリアクションした。
「うぉっ肋骨が折れた!」
「んな訳あるか!」
ひらりは先に布団の敷いてある客間へ入って行った。
「何でこっちに来るんだよ。」
「ソファー寝ずらい。」
「じゃ、俺がソファー行く。」
「え?何で?いいじゃんここで雑魚寝でも。」
おいおいおいおい………!!
「一枚の布団で二人で寝たら雑魚寝とは言いません。」
「大丈夫大丈夫。不思議と心配してないから。」
だろうな。やっぱりムカつくな。
「犯してやろうかコラ。」
「お姉ちゃんに殺される覚悟があるならね。」
それはあまりに怖すぎる。
「全っ然ない。寝る!」
「おやすみ~」
俺はひらりを背にして寝た。しばらくすると、ひらりは俺のTシャツの裾を持って、背中にそっと頭をつけた。そして、小さな鈴の音のように、小さな声で言った。
「春壱……ありがとう……。」
ああ………。心臓の音が……うるさい。心臓の音がうるさすぎて、全然眠れない。ひらり……お前のせいだからな。
後日、俺の携帯に杉本先生から『幼稚園児のお泊まり保育』というタイトルで写真が送られて来た。ひらりの寝相が悪く、腕が首の上に、足が腹に乗っている。写真の俺は苦しそうに寝ていた。色々な意味で、苦しい1日だった………。




