お姉ちゃんの味
69
「それ、きらりちゃんもそう言ってたよ。」
叩かれた頬が痛い。そう感じたのは、杉本先生からそう聞いた後の事だった。
辺りは静まり返り、カエルの鳴き声ひとつ聞こえない。
「それ……どうゆうこと?」
「きらりちゃんが僕に話してくれたのは……いや、二人で話し合った方がいい。僕がきらりちゃんを連れてくるから、ちゃんと話し合おう。」
私は首を横に振る。
「ううん……。私が行ってくる。行って、ちゃんと……謝ってくる。」
やっと、冷静になれた気がした。
お姉ちゃんの本心を聞くのが怖かった。面と向かって、お前のせいだ!!って……言われるのが怖かった。それは、きっと……お姉ちゃんも同じなのかもしれない。そんな事、考えもしなかった。
私は、2階の寝室のドアの前に立つ。何度か深呼吸して、息を整えて、ドアをノックする。コン……コン……鈍いノックの音が響いた。
「…………お姉ちゃん?」
「ひらり……?帰ったんじゃなかったの?」
すぐにドアが開く。
「あの……さっきは……ごめんなさい。」
私はまだ、お姉ちゃんの方を見る勇気がなくて、床の境目に目を向けていた。
「私も………叩いてゴメン。ごめんね。叩くつもりなかったのに…教職者として、手は絶対出しちゃいけないのに……。」
「いや、お姉ちゃんは私の先生じゃないから。」
お姉ちゃんは部屋の隅で体育座りして頭を抱えていた。
「凄く後悔してる……。ああ……!教師としての自信をがっつり失った!!」
「ごめんね……私があんな事言ったから……いつもそう。余計な事言って、いつも人を傷つける。気をつけてたつもりなんだけど……人間、結局変わらないね。こうゆう所……あの人に似てる?嫌だよね?だから……」
「違うよ!違う……!」
お姉ちゃんはまた何か言いかけた。でも、
「とりあえず、下に降りて、ゆっくり話そう。」
お姉ちゃんは先にキッチンに行く。私も続いてキッチンに入った。ダイニングテーブルの夕食はそのままだ。お姉ちゃんは冷蔵庫に行くと、麦茶を出して、コップに注いで私に手渡す。そして、自分も一気に飲みほした。私も少し、麦茶を飲んだ。キンキンに冷えた麦茶が喉を潤す。
一息つくと、お姉ちゃんは麦茶のポットとコップを持ったまま、話始めた。
「よく聞いてひらり、ひらりはあの人に似てなんかない。」
「似てない……?」
どう、反応していいかわからなかった。似ていて嫌な訳でもないし、嬉しくもない。
「似てるけど……似てない。ごめん。喧嘩したまま死なれたから、気持ちが整理できてなくて……。」
「ううん。私が仲直りのチャンスを奪ったんだもん。仕方ないよ……。」
「違う。ひらりのせいじゃない。」
コップもポットも作業スペースに置いて、お姉ちゃんはこっちを見た。
「私が……あの人と二人になるってわかってて、ひらりを残して家を出たからだよ。私、あの人に嫉妬した。ひらりをとられると思った。ひらりはあの人の事、全然記憶にないから、本当の母親を求めてた。そりゃそうだよね、私はひらりの母親じゃない。母親じゃないから、本当の母親が帰って来たら……母親代わりはお払い箱でしょ……?」
「そんな……!」
水滴がついたコップを私は握りしめていた。お姉ちゃんはまだ続けた。
「あの人がいなくて…………あんなに頑張ってきた10年なのに、なのに、私とひらりの10年間が、全部あの人に上書き修正されていくみたいで、無性に腹が立った。だから、わざと……」
わざと……?
「ひらりがいない時間に指定して、制服を家に送った。」
「え…………?」
それは、たまたまだと思っていた。たまたま、母が受け取って……
「いくら上書き修正しても、ひらりは私との時間がある。ひらりにはひらりの人生がある。私は、それを応援するだけの余裕がある。そう……見せつけてやりたかった。」
「上書き修正なんて……されないよ。私の思い出に、あの人は出て来ないんだよ?」
「それでも、まだあの人が恋しいんだよね……?」
「違うよ……。」
「じゃあ……何が違うの?」
違う。でも、説明できなかった。ただ、違う。そう言うしかできない。
すると、隣のリビングにいた春壱がキッチンに入って来た。
「ひらりが恋しいのは、相田先生の方ですよ。」
「は……?」
春壱…………?
「すみません。口挟んじゃいけないとは思ったんですが……。」
そこへ、杉本先生も入って来る。
「きらりちゃん、やっぱりちゃんとお父さんに会おうよ。実家へ行こう。きらりちゃんが、お父さんに会いづらいなら、僕だけで行くよ。」
「杉本先生……え、チャラくない……?」
少し……春壱と同じ事を思った。
「やだな~春壱君、僕こう見えて硬派だよ~?」
「どこがだよ。」
その気持ちは一瞬にして消えた。
「たまには実家へ行ってさ、ひらりちゃんとお父さんに、自慢の手料理食べさせてあげようよ。あ、餃子はベッチャベチャだけど。」
「え?最後のは、一言多くない?余計な一言じゃない?」
「え?そう?あはははは!」
杉本先生は笑って誤魔化していた。でも、お姉ちゃんがお父さんに会えるなら、二人で会って欲しい。
「お父さんは……相変わらず仕事忙しくしてて、何も言わないけど……お姉ちゃんの事待ってると思う。」
「お父さん……許してくれるかな?」
私は杉本先生の方を見て言った。
「杉本先生を見て何て言うかは……わかんないけど……。お父さん、お姉ちゃんの事心配してると思う。」
「とにかく、夏休みの間はお互い都合つきやすいよね。行ってみよう。」
「うん。浩ちゃんありがとう。」
杉本先生はお姉ちゃんに抱きつこうとしていた。私は前より、見ていてそれほど嫌じゃなかった。お姉ちゃんは
「生徒の前で止めろ!!」
と、ぶちギレてたけど……。
「顔……大丈夫か?」
春壱が、私を見て言った。どうにかなってるのかな?
「赤くなってる。」
「あー、言うの忘れてた。」
「何を?」
三人は同時に私の方を向いた。
「親父にもぶたれた事ないのに!!」
「…………。」
見事にスベった。お姉ちゃんは頭に?が出ていて、杉本先生はお姉ちゃんに説明していた。でも、春壱は、アホか。と言って少し笑った。春壱の笑顔を見て、何だか少し……ほっとした。
持っていた水滴のついたコップを私は自分の頬につける。冷たくて、心地よかった。
「ひらりちゃん、本当にお腹空いてない?」
そう、杉本先生に訊かれて、
「…………空いた。」
そう、答えていた。
「仕切り直して、ご飯食べよう。」
四人でまた、食卓についた。先に食べた春壱と杉本先生は、私とお姉ちゃんが食べている姿を見ていた。
「すっかり冷めちゃったね。温め直そうか?」
「いいよ。このまま食べる。いただきます。」
「どう?ひらりちゃん、美味しい?」
お姉ちゃんの煮物だ……。味覚の記憶って恐ろしい。一口食べたら、一気に懐かしさと安心で、肩の力がふわっとほぐれた。そして、ぎゅっと、胸を締め付けた。そして、とうとう……涙が溢れた。
「……ひっく……っく……お姉ちゃんの味…………。ずっと……ずっとお姉ちゃんのごはん食べたくて、ずっとずっと食べたくて……いくら自分で作っても、全然同じ味にならなくて……。お父さんは、なかなか食べてくれなくて……1人で……ずっと1人で…………」
「ゴメンね。ゴメンね……ひらり……」
お姉ちゃんは箸を持ったまま、泣いていた私に、何度も何度も謝った。




