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Anomie  作者: 椎葉
第5章 家族
39/40

39:如月透

 僕は思い出す。



「透、ご飯よ」

母の声が頭に響く。

「今日のご飯はなあに?」

隣には妹の陽菜がいて、キッチンに小走りで駆けていく。


 和やかな食卓。母の手料理。妹の笑い声。

「父さんはまだ帰ってこないんだね」

「そうねえ。今晩遅くなるらしいから」

「ふーん」


 ありふれた家庭。きっと僕の幸福はこの時点で、完成されていたんだ。

 母は先に調理用具を洗っている。

「ねえ、いいの?母さんの分、冷めるよ」

「母さんはいいから、たくさん食べるのよ……」

陽菜は夢中で食べている。母は休むことなく、今度はフライパンを拭いていた。

なんだか、母の背中が悲しく感じた。

「母さん――」


 高校を卒業した僕は、修也と同じ大学を受験し、合格した。

 自分でいうのもあれだが、僕は高校までの成績は良い方だったが、修也はあまり良いとは言えなかった。中学で離れてしまうものかと考えていたが、修也は猛勉強により同じ高校に入った。その時は一時的に僕と同じくらいの成績だったのだが、すぐに落ちてしまい中学の時と同じような状態になった。


 その時になって僕は修也と離れてしまうことが嫌になり、修也に大学も一緒にしてくれないかと頼んだところ、あっさりと了承された。修也も同じ大学を受ける予定だったらしい。

 僕は毎日のように修也に勉強を教えたし、修也も熱心だった。修也の成績はまたもや急上昇し、僕がピンチに感じることもあった。

 とにかくにも僕らは同じ大学に受かった。


 将来の夢とか、目標みたいなものはまったく曖昧なものだったが、これもまた修也と同じ道に進むことになりそうだということを感じていた。しかしこれが彼女とかだったら良かったものの、親友となるとなんとも華のない青春だな、と笑えた。


 僕の母親は家で家事と簡単な内職をこなしていた。優しくて包容力があってちゃんとしてて、そんな母が僕の自慢だった。


 父親は運送業で家に帰らない日が多かった。稼ぎは良く、少し不愛想だが頼れる父親という感じだった。家に帰ってきた日は酒を飲んですぐに寝て、あまり会話の機会はなかったが悪い印象はなかった。休みになると陽菜を良く遊びに連れて行っていた。


 陽菜はというと、明るくて元気で快活な子だった。

大人しい母と少し不愛想な父のどちらにもあまり似ない性格で、まだ小学生ということを除いてもやんちゃだった。

 よく膝を擦りむいてベソをかきながら家に帰ってきた。母はそんな陽菜の背中を撫でながら絆創膏を貼っていた。

 兄妹の間には溝はできず、僕らは喧嘩も少なく育った。歳の差はかなり離れているが気にはならなかった。誰にもそれを言われることもなかった。


 特に他と変わっているものは何もなく、ごくごく普通の生活だった。

 これが幸せだということはこの頃の僕には、とても気づくことのできないことだった。


 ――そんな日常はある一日を境にして一瞬で崩壊してしまう。


 世に言う『バイオパニック』。当時の人ならば誰もが経験した歴史上一番の大事件。

 それは日本で発生し、世界中に浸透していった死のウイルス事件。


 僕らは必死で逃げた。もとから走り回ることが無い母はすぐに転んでしまい、僕は母をおぶって走った。陽菜も置いて行かれないように息を切らしていた。

 父がいれば車を運転してもらえるので楽ではあっただろうが、その夜は仕事でいなかった。そのため僕らは常に父の事が不安であった。

 しかし道路も車が溢れかえっていて渋滞どころではなく、スピード違反や信号無視に留まらず全ての車両によってカーチェイスが繰り広げられているかのような状態だった。


 通行人の誰がゾンビか分からない。そんな人混みをかきわけて僕らは逃げた。

 北海道でも沖縄でも海外でもいい。とにかくどこか安全なところまで。


 そんな地獄のような一夜を乗り越え、僕らは“生存者”ということになった。

 ひとまず他県に避難した僕ら生存者の中に、父は……いなかった。


 思い鉛が心にぶら下がる気持ちになった。特別好きだったわけでもない、最高の思い出があったわけでもない。それでも、親しい者の死は僕を言いようのない絶望感にさせる。

 父が死んだ。それが重くのしかかる。父が死に、僕らは生きている。

 母は声を殺して泣いていた。陽菜は、ただ瞳に涙を浮かべ一点を見つめていただけだった。


 どんな顔をすればいいのか、分からなかった。


 生存者の中に修也がいた。

 修也は家族を弟以外全員失ってしまったらしい。それを聞いて僕は、胸が痛んだ。きっと僕以上に悲惨な人がここにはたくさんいるんだろう。


 高校の時に一緒だった、橋根もいた。

 彼女の家族は他県にいるのだが、連絡がとれず無事かどうか分からないらしい。結局そのことはこれから先も訊くことはなかったのだが、無事でいてほしい。それが率直な思いだった。


 それから僕はJUCGに入隊する。

 初期のJUCGは何も無く、隊員はいても武器が無かったために、アンデッドを倒すことは非常に困難だったが、シャベルや木刀、伐採用チェーンソーなどで少しずつアンデッドの数を減らしていった。

 やがて海外から武器を寄せ集めることができるようになると、急速に隊は成長していく。


 割と初期の頃から一員となれたことは良かったと思う。堅実に実力をつけていき、隊の中でも認められる存在になることができた。修也と橋根もともに入隊したから、3人で切磋琢磨もできた。


 そして僕は班を組むことになる。武子、遼、晋平。


 初めての班にしては扱いづらいメンバーだった。

 遼は言うことを聞かないし、晋平はだらだらするし、武子は言うことは聞くけど自分で考えて行動することが少ないし…。

 とにかくまとまりがない、という言葉が正しいだろう。


 それでも僕は楽しかった。馬鹿で、めちゃくちゃだけど、こんな班で良かった。

 心からそう思える。


 きっとこのまま、世界はだんだん修復されていき、僕は修也と、橋根と、武子と、遼と、晋平と、母と、陽菜と、ずっと一緒にいるのだろう。そうであってほしい。そうしたい。

 そのために僕は戦い続ける。



 僕は思い出す。


 洋館を失ったJUCGは現在、受け入れてくれる千葉の拠点に向かうべく移動していた。

千葉拠点は2つあり、西の県境付近に位置する方が目的地になる。あの襲撃の際、東京拠点で保有していた移動手段は普通車3台ほどを除いて使い物にならなくなっていた為、疲れ癒えぬまま徒歩で移動しなければならなかった。もちろん車も移動に使うのだが、民間人の移動を優先しているため僕らの順番が来るのは大分後になるだろう。


「にっちゃん……お腹空いた………」

晋平が僕の服の裾を掴んで言った。

「………………」

「……晋平、我慢しろ」

武子がそれに返す。

かなり歩いたはずだが、当然目的地にはまだまだ程遠い。


 はたして洋館を離れて良かったのだろうか。いや、離れるべきなのは分かっているが、離れたくなかった。

 まだ陽菜がどうなったか分からない。確証を得ていない。

 もしかしたら逃げていて、洋館の近くにいたのかもしれない。


 分かっている。その可能性は少ないと。

 あの悪夢のような事件を経験したからこそ分かる。陽菜だけであの炎の中逃げるのはほぼ不可能と言ってもいい。


 僕は後ろを振り返る。

 もしかしたら、もしかしたら陽菜が走って追いかけてきてるかもしれないから。そんな気がしたから。

 しかし陽菜の姿は無かった。


 後ろにはもう戻れない。前に進む理由も無い。

 僕はいったいどうすればいい?

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