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Anomie  作者: 椎葉
第5章 家族
38/40

38:愛してたよ

 目が覚めたと同時に、痛いくらいの眩しい光が目に飛び込んだ。


 凍えるような冷たい空気の中、温かい雫が頬を濡らしていた。

 なんだか、とても悲しい夢を見ていた気がする。でもどんな夢だったのかは分からなかった。確か母さんがいて、陽菜がいて、僕がいて…。笑ってた。


 ようやく目が慣れてきた僕は、そこで初めて周囲の状況を理解する。

 コンクリートの上、僕は仰向けになって倒れていた。空を、何か白いものがゆっくりと舞っていて…。


 ――ああ、雪か。


 雪が降っていた。僕はぼんやりと考えていた。そういえばそろそろ雪も降る季節だったな。久々に見た雪はとても綺麗で、ずっと眺めていられるほどだった。


「目が覚めた?」

ふいに声が聞こえて、僕ははっと起き上がって周囲を見渡した。身体のどこかがズキ、と痛んだ。


「おっと、まだ立ちあがったりせえへんようにな」

そういって僕の身体を支えたのは、橋根だった。


「橋根………」

僕の脳裏に、瞬間とてつもなく壮絶な何かが思い出されたが、一瞬でそれは消えた。それが何かは分からなかった。

 僕はそこで思い出したように涙を拭った。かっこ悪いところは見せたくなかった。


 辺りは悲惨な状況だった。

 ゾンビやアンデッドの死体が見るも無残に散らかっていた。まだ感染していない人間も多数いた。全身が真っ黒に焦げた男もいた。

 洋館……。そう、僕らが暮らしていた洋館は、もう面影すらも無かった。

 薪の残骸のように真っ黒になって、その熱を冷ますように雪が少し積もっていた。何回建てだったのかも分からないくらいに潰れていて、大きなベッドが窓から半分出ていた。

 その木片や瓦礫の下からは、下敷きになった誰かの手が見えていた。


 僕は助かった。助かった。僕は、助かったのだ。

 そう理解していたが、あまり実感が湧かなかった。どうやって助かったのだろう。

 もしかしたら僕はもう死んでいて、今の僕は幽霊なのではないか…。そうとすら感じられた。


「……………」

僕はただボーっと遠くを見つめていただけだった。


 周囲では、生き残った隊員が話をしているようだった。

「火は完全に消えたか」

「死者はどれかけの数にのぼったんだろうな」

「井上は祖父が逃がしてくれたらしい。自分の犠牲になったと言って泣きわめいてたよ」

「渡部さんはこれからどうするつもりだろうな」


「あんた」

橋根の呼びかけに、僕は何も言わずに顔だけを向けた。

「良かったやないか。修也が助けてくれて」

橋根はそれだけを言って黙り込んだ。


 修也。

 そうだった。修也が僕を助けてくれたんだ。修也が。


 どうやって、なんで助けてくれたんだっけ。


「修也は……?」

僕は修也の姿を探したが、どこにいるか分からなかった。

「今は渡部さんと話しているはずや。ウイルスのことについて、どうするか話してるんやないかな」

ウイルス…。修也は確か、ウイルスに感染して、それで僕は修也を抱えて走って…。洋館の中だったか、炎が視界を揺らして……。


 橋根は僕の頭に積もった雪を手で払った。


 そういえば、橋根はどうだったんだろう。どうやって、生き残ったんだろう。いや、皆一緒に避難していたのなら生き残って当たり前か。

 でも、母さんは皆とはぐれていた。


 ――母さん。


 その言葉が浮かぶとともに頭が痛んだ。

 なんだ。何故だ。頭が痛い。


 僕は知らず知らずにうちに立ちあがっていて、潰れた洋館の方に歩いていた。

「透!」

橋根の呼ぶ声が聞こえたが、頭に入っていなかった。


 僕は洋館の前に立ち尽くした。

 偶然か、足元に一枚の写真が落ちていた。額縁にも入っていない、ただの写真だった。3分の1ほどは焦げて見えなくなっていたが、はっきりとした姿がそこにあった。


 僕と陽菜、そして母さんと父さんの写真だった。


 僕はもはやすべてを思い出してしまった。

 思い出の日々。家族と笑いあっていたこと。ともにいたこと。洋館にアンデッドが攻め込んできたこと。怪物が再び現れたこと。仲間が助けてくれたこと。軌琉のこと。その兄のこと。炎のこと。独り取り残されていたこと。修也がウイルスに感染したこと。僕が修也を助けたこと。

 母さんが死んだこと。死んだこと。死んだこと。

 修也が、助けてくれたこと。僕は、生き残ったこと。

 母さんが死に、僕は生きていること。


 涙が、再び零れた。

 苦しかった。胸の真ん中が痛んだ。苦しい。

 涙は止まらず、次から次へと溢れ出てくる。


「母さん………」

写真を持つ手が震える。持っていられなくなって、つい手を離してしまう。

僕は膝から崩れ落ちて写真の前で泣いていた。


『あんたが、母さんと父さんの分まで、陽菜を守って』 

『愛してる』


 あの時、どうして僕は何も言ってあげられなかったんだろう。行かないでとか、そういう言葉ではなく、「幸せだった」とか「ありがとう」。

 どうして、言えなかったんだろう。


「愛してたよ…母さん………」

今、言っても仕方が無い。もう遅い。母さんは、もうこの世にはいないのだから。写真の中にもいない。洋館の瓦礫の下にもいない。


 それでも僕は願う。どうか届いてほしい。これで母さんを守れなかった僕の罪が消えるわけでもない。それでも、ただ届いてくれ。


 僕はしばらく泣いて、やがて立ちあがった。

 母さんは死んだ。これだけはどうしても捻じ曲げられない事実だ。


 でももし母さんが報われる方法があるとしたら、それは僕ら生きている人間の中にしか無いことだ。

 大事な人を守る。陽菜や、修也、橋根、仲間たち。それが残された僕らの唯一課せられた義務であり、希望である。


 僕は振り向いて歩き出した。

陽菜はどこだろう。きっと僕以上に悲しんでいるのではないか。


 しかしいくら探しても見つからなかった。

もしかしたらどこか別の場所に避難しているのだろうか。


 僕は生き残った隊員の一人に訊いてみることにした。

「すみません、僕の妹どこにいるか分かりますか?陽菜って言って、まだ13歳なんですけど」

そういうとその人は驚き、顔をしかめた。

「あんた、如月透だろう。よく知ってるよ。JUCGの中でも実力者だってな」

「え、ええ。それで、僕の妹は……」


「気の毒だけど、まだ見つかっていないんだ」

「は?」


 僕は一瞬目の前が真っ白になった。

 陽菜が、まだ見つかっていない?


「ど、どういう意味ですか」

「そのままだよ。洋館の中をいくら探してもいないんだ。もっとも、…言いにくいけど、いたとしても下敷きになって生きている可能性はあまりないだろうね」

この現実はあまりにも受け入れがたかった。


 一気にどん底まで突き落とされた気分だった。

 さっきまでの自分が全否定された感覚だった。僕が生きている意味さえ分からなかった。


 母を守れなかった。妹さえも守れなかった。

 僕に守れるものはなんだ。希望とはなんだ。存在価値とはなんだ。


 意味はあるのか。戦い続ける意味はあるのか。あの時僕も死ねば良かったのではないか。


 僕は、どうしたらいいんだ?

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