32:絶対絶命
現在、遼とその弟子の条はトレーニング用のジムにいた。
「遼、最近お前気合入ってるな」
「…………」
条はタオルで汗を拭きとりながら言う。
「何かあったのか?」
遼は思う。
最近、軌琉の噂を良く聞く。おそらく羽角が認めた実力、ということでだろう。
だがそれがどうした。俺の方が実力はあると確信している。ただ機会が無かっただけだ。羽角に会う機会が。羽角とさえ会っていれば、認められたのは俺だし噂が広がるのも俺だった。
今頃軌琉の奴が調子に乗って浮かれた顔をしていると考えると腹が立った。
眉間にしわをよせる遼に、条は冷や汗をかきかながら言う。
「な、なぁ、俺なんか気に障ること言ったかな……?」
「……………なんでもない」
焦っているというのか。この俺が。たかが気にくわない奴の噂が広まっただけで焦っているというのか。
俺の目的に支障は何もない。渡部だって、俺の方が凄いということくらい分かってるはずだ。みんな分かってるはずだ。
遼はフン、と鼻をならす。
くだらないな。あんないい加減な奴などどうだっていい。
今まで積み上げてきた努力が無駄になるわけでもない。確かな目標があれば、自ずと結果はついてくる。
遼はタオルを拾って汗を拭く。
「条、そろそろ戻るぞ」
「あ、ああ………」
帰り道。連日の快晴が嘘だったかのような曇り空の下、条はなんだか妙な胸騒ぎを感じていた。
「なあ、遼……」
「なんだ?」
「このまま戦い続ければよ、幸せになんのかな………」
「……………どういう意味だ?」
条は寒そうに手を擦り合わせながら言う。
「アンデッドがいなくなれば平和は訪れるだろうが、じゃあそれから何をするかってことだ」
「……………………」
「死んだ奴らは戻らねえ。時計は左には進まねえ。もしかしたらまた同じようなことが繰り返されるかもしれねえ……。そこによ、俺たちの言う幸せってやつはあんのかな…………」
遼は溜め息をつく。
「そんなことは、この戦いが終わってから考えろよ。アンデッドの出現数が少なくなったからって安心するなよ。この日本だけでも生存者の何十倍もの数がいるんだ」
「分かってる………」
条は下を向いた。
多分遼には、もう幸せは訪れないのだろう。家族を失っているから。寂しそうな様子を見せたりはしない。でも、心の中に穴が空いている。ぽっかりと。そんな感じがする。
遼は、最大の危機に陥った時に戦うことはできないだろう。守るべきものが無いのだから。
洋館。一方透は、部屋で母親と話をしていた。
「あらあら、ふふふ。そんなことがあったのねえ」
僕は母にこの前のスカイツリーでのことを話していた。
「本当に怖かったよ。だって、まさか外を通るとは思いもしなかったもん」
母は笑いながら話を聞いている。
「でもね、あまり無理しちゃだめだよ」
「分かってるって…………」
「そういえば、誰だったっけ?ほら、あの男の人よ……」
「?」
「お前の憧れっていう、ほらあの……」
「ああ、羽角さんのことね」
まさか母まで羽角さんのことを話し出すとは。
「かっこいいわねえ、あの人。なんていうのかしら、人を惹きつける何かがあるね」
「だよね。本当に羽角さんはすごいなぁ………」
僕は母が羽角のことを話したのが、まるで自分のことのように嬉しかった。それと同時に、自分ももっと頑張らなくては、と思った。
「陽菜は?」
僕は妹のことを尋ねた。最近会えてなかった。
「ああ、奥の方にいるよ。お前と似て絵を描くのが好きらしいね」
「へえ」
僕は窓から外を見る。
「母さん」
「なんだい?」
「もう少しだけ待っててね。僕が必ず、母さんの安心を取り戻すから」
母は微笑み、僕を抱きしめた。
「お前がいるだけで母さんは安心だよ」
温かかった。
僕は母の部屋を出て、修也の部屋へ足を運ぶことにした。
ドアの前に立つと、中から大きな音が聞こえた。
僕は何が起こったのか分からないがとりあえずノックした。
「誰だ?」
「透だけど」
「おー、入っていいぞ」
修也の部屋に入るのは久々だった。相変わらず散らかっているな、と思った。
「どうしたの?」
修也は足を押さえて座っていた。
「どうしたの?」
「い、いや…ちょっとここで格闘技の練習してたら椅子に足ぶつけてよ………」
「なんで部屋の中でやろうと思ったのさ……」
「で、何の用だよ?」
「いや、別になんでもないよ……なんか暇だっただけ」
「暇だから遊びに来るって、近所の小学生の感覚じゃねえかよ」
修也は足を押さえて痛そうな顔をしつつもそう言った。
「ま、暇ならちょっと手伝ってくれ」
「何を?」
修也は立ち上がり、デスクの上にあった紙の束を見せた。
「任務報告書じゃん」
「ああ、これ書いてもらいたいんだ」
「自分で書くものでしょ……それに何枚あるんだよ」
どうやら提出せずに相当書き溜めていたようだ。どれも未完成だが。
「こういうところがちゃんとしてないんだから……隊員としての自覚あるの?」
「いいだろ別に。というか、お前らと一緒に任務こなしたんだから本来は一人提出すればいい話だろ!」
まあ、それは否めないが。
「そういう決まりだからしょうがないでしょ」
僕は修也から一枚紙とペンを貰った。
「適当でいい?」
「ああ。なんでもいいから書いてくれ」
これこそ友達に宿題を手伝ってもらう小学生のようだと思うのだが。
「……?何笑ってんだよっ」
思わず吹き出してしまった。なんだか、昔に戻ったみたいな気持ちになった。
「いや、別に…………」
僕は修也との任務のことを思い出して報告書を書いていく。
「………………」
なんだか、どんどん記憶が遡られていく。関係のない思い出も呼び起こされていた。
僕は懐かしい記憶に知らぬ間に微笑んでいた。それに気づいて顔を引き締める。
「どうかしたか?」
「なんでもないよ」
思えばいつもこんな日々だった。何気なかった。でもこれでいい。これがいい。
この日々を守るために、僕らは戦い続けるんだ。
この日々が、ずっと続くように……。
突然、トラックがぶつかってきたかのような大きな音が響いた。
「………なんだ!?」
悪寒が走った。
「俺が見てくる!」
修也が部屋を飛び出した。
「待って!僕も行く!」
何かとんでもないことが起きているような気がして、僕は慌てて修也の後を追った。
音が聞こえてきたのは入り口と逆の方向だ。
修也が立ち止った。
どうやら行く先から晋平が走ってきたようだ。修也に追いついた僕は、晋平に事情を尋ねた。
「晋平くん、どうしたの!?」
晋平は息を切らしながら、ガタガタ震えている。
「晋平くん!?」
「にっちゃん……は、早く…………」
「落ち着いて……」
晋平は相当困惑し、動揺しているようだ。
「何があったの…?」
「あの大男だよ!にっちゃんが前にやられたあの怪物が来たんだ!早くしないと武子が……!」
「なんだって!?」
僕は晋平に渡部さんに伝えるように言って修也とともに駆けだした。
角を曲がると、武子の姿が見えた。
近くにはあの怪物がいた。
「武子くん!」
武子は生身で武器もなかったが、なんとか気をひいていたらしい。怪我もないようだ。
「如月さん!」
壁が砕けているところを見ると、おそらくこの怪物――前に実験施設地下で出会った大男――が壊して入ってきたのだろう。
果たしてこんなことがありうるのだろうか。
「修也!ここは僕たちで食い止めるよ!」
武器も持っていないが、他の隊員が駆け付けるまでの辛抱だ。
しかし修也は固まっていた。視線を壁の向こうへ向けて、絶望的な表情を浮かべていた。
「修也……?」
「透、相当ヤバい状況だぞ………」
すぐにまたどこからか大きな音が響いた。
「……!?今度はなんだ!?」
修也は壁の穴の向こうを指さした。
「見ろ」
僕は修也の視線の先にある光景を目にして、膝をがくりと落とした。
無数のゾンビがこの洋館に向かってきていた。
そしてさっきの物音。
この洋館はすでに囲まれていたのだ。




