24:永洞 遼
――遼はごく普通のどこにでもあるような家庭で育った。
これといって大きな問題も無く、平凡な暮らしを送っていた。
運命が変わる、あの日までは。
「遼!朝ご飯できたわよ」
一階から母の呼ぶ声が聞こえる。遼は読んでいた本をパタンと閉じて机の上に置き、階段を下った。
スマホを片手にダイニングへ入り、椅子に腰かける。目玉焼きの匂いがした。
「遼、ご飯食べるときは携帯いじっちゃダメって言ってるでしょ」
遼は無言でスマホをポケットにしまうと、静かに朝食を食べ始めた。
誰に似たのかは分からないが、遼は不愛想な子だった。だがそれでも家族に対する愛は確かにあった。
「行ってきまーす」
遼が朝食を食べている途中に、玄関から父の声が聞こえた。
母は「はーい、行ってらっしゃい」と言い、忙しなく食器を洗いだした。
遼の父、永洞 久は、3か月ほど前にとある研究グループにスカウトされた。
脳に異常を持っている人や、精神に障がいを持っている人の治療を目指しているらしい。最近は何か画期的な発見をしたらしく、研究も良く進んでいるらしい。
これから世の中はより良い社会になるだろう、と久は言っていた。
実は久は、元自閉症だった。
研究グループは、精神障がいや精神病などを患っている人がメインなので、久がスカウトされたのも、よりデータが欲しいということだろう。
遼は自分もそういう仕事に就くのも良いかもな、と考えながら朝食を食べ終え、洗面所へ向かった。
午前7時30分。遼は通っている高校の教室の戸を開けた。
新しい校舎の戸は不快な音をたてずスッと開いた。
一年生である遼は部活動などに所属しておらず、先輩との交流も乏しい。
しかし、クラスや学年の中では群を抜いて顔が整っているので女子からの視線は多かった。
教室に入るが、おはようと言ってくる人は誰もいない。これは、遼が仲間外れにされているのではなく、単にクラスにいちいち挨拶をする人がいないということだ。生徒会も例外ではない。
遼は授業には真面目に取り組んだ。授業中の発言は少ないが、成績は学年でトップだ。
日本でもトップクラスの大学に進める実力だが、遼は面倒なので近くの大学で良いと思っていた。
遼はそういう子だった。
昼休みは教室が騒がしいが、遼は黙って問題集を開き、勉強していた。
放課後になると居残りもせず、すぐに帰宅した。
家に帰ると机にノートを広げ、イヤホンをつける。今日の授業の復習をするのだ。
しばらく勉強していると母がいつの間にか帰ってきていたらしく、呼ぶ声が聞こえる。夕食らしい。
今日は父の帰りが遅く、2人で食べた。
帰りが遅いことはしょっちゅうあるので特に心配はしなかった。
やはり、久はいつも通り帰ってきた。
ただ、どこかいつもと違う雰囲気だった。
母もそれに気づき、どうかしたのかと訊いたが久は首を横に振り、「なんでもないよ」というだけだった。
遼は何か人間関係でも悪くなったのかと思ったが、大して気にしなかった。というより、自分が気にすることではないと思った。
翌朝分かったのだが、どうやら久は自閉症の症状がまだ少し残っているらしく、人間関係が上手くいかないことが多いようだ。それで、研究グループによって作られた薬を飲むことによって治るらしいのだが、人体実験のようで気分が悪いらしい。とはいえ、安全は保障されているらしいので大丈夫だと思うのだが。
久は普段と同じように家を出て行った。笑顔だったが、遼にはそれが無理をしているように見えた。
大丈夫だとは思っているのだが、少し心配だった。
不安を抱えながらも、遼はいつもと同じように高校に通った。
久のことは気がかりだったが、ひとまず頭を離して授業に集中することにした。
昼になると雨が降り出した。傘を持ってきていなかったので、遼は舌打ちした。
帰りまでに止んでくれればいいのだが。
放課後。結局雨は止まずに、遼は校舎の前の屋根で雨宿りしていた。貸してもらえる傘も無いので、遼は意を決して走り出した。
ずぶ濡れになりながら家に到着した遼は、すぐにタオルで身体を拭いた。制服を脱ぎ、洗濯機に入れて私服に着替えた。
しばらくして、母が帰ってきた。
母は落ち着きなく家の中を歩き回り掃除機をかけた。何かしていないといけない、というように感じられた。
「母さん」
「うん?」
母は一旦手をとめてこちらを見た。
「落ち着きなよ」
母は「分かってるよ」と言って掃除機を片付けた。
「今、ご飯作るからね」
母はキッチンに向かっていった。
遼は窓から外を見る。相変わらず雨は止まない。
「お父さん、遅いね………」
母が夕食を食べながら言った。遼は箸を持つ手を止めずに言った。
「昨日も遅かったじゃん。心配しすぎだよ」
しかし、いくら待っても久は帰ってこなかった。
こんなに帰りが遅くなることは初めてだ。
母は「遼は寝ていなさい」と言った。
母はずっと起きて久を待つつもりらしい。
遼は言われた通りに寝ることにした。きっと明日になれば、父も帰ってきているだろう。そう願う。
しかし期待とは裏腹に、父は帰ってこなかった。
遼と母は酷く心配し、久の携帯に連絡を入れたが繋がらなかった。
母は研究グループの連絡先を知らない。場所も知らない。
警察にも捜索するよう頼んだが、依然見つからない。
いったい、父に何があったんだろうか。
それから約4か月後の夜、世にいう『バイオパニック』が起きた。
突如凶暴化した人間――後にアンデッドだと判明――が街に溢れ、瞬く間に全世界に浸透していった。
遼には何が分からなかったが、とにかく母とともにがむしゃらに逃げた。
狭い場所に閉じこもるのはかえって危険なので、とにかくアンデッドのいない場所まで逃げる必要があった。
どこか遠い田舎か、海の向こうか……。
スクランブル交差点。大勢の人が逃げ惑う中で、母はゾンビに腕を噛まれてしまった。
「ああああッ!!」
「母さん!」
母はゾンビを振り払い、遼の手をひいて走り出した。
母は高層ビルの中に入り、階段を駆け上がった。
「母さんッ!どこ行くの!?」
母は質問には応えず、無我夢中で走った。途中で掃除用具か何かの長い棒を手に取り、屋上に上がっていった。
柵から下を見下ろすと、車が爆走し、衝突して爆発するのが見えた。
「父さん………」
遼は無意識に父の名を声に出していた。
「遼!」
母が叫んだ。振り返ると、既にゾンビが屋上まで上ってきていた。
「終わりだ………」
遼が倒れるように膝をつくと、母は遼にさっきの棒を手渡した。
「母さん……?」
「遼、あんたは生きるんだよ」
そう言って母は、ゾンビに突っ込んでいった。
「母さんッッ!!!」
母は次々とゾンビを屋上から突き落としていくが、2体のゾンビに足と首元を噛まれた。
母は柵に足をかけ、絶叫しながら飛び降りていった。
一人残された遼は頭が回らずその場に立ち尽くしていた。
ゾンビは次々と湧いて出てくる。
遼は棒を握りしめ、涙を浮かべてゾンビに殴りかかった。
「ああああああああああッッッッッ!!!!!!」
父はいったいどこへ行ったのだろうか。無事なのだろうか。
いつかまた会える日は来るのだろうか。それとも、もう………。
突然、上空で大きな音がしたかと思えば、ものすごい風が吹き、ゾンビたちは吹き飛ばされていった。遼は必死に耐えながら音のしている方向を見ると、そこには大きなヘリコプターがあった。
「なんだ……!?」
ヘリコプターの後ろの席の扉が開き、中から男が手を差し出した。
「乗れ!救助に来た!」
遼は後ろを振り返る。
既に新たなゾンビが来ていた。
遼は男の手を掴み、ヘリコプターに乗り込んだ――。
あの時、ヘリコプターが来ていなかったら、どうなっていただろうか。
自分も化け物どもの仲間入りか、それとも母のように……。
話を聞いて、条は何を言えばいいのか分からないというように黙っていたが、やがて口を開いた。
「結局、遼の父親はどうなったんだ……?」
遼は条に思っていることを話した。
「これは俺の推測だが、おそらく俺の父は一番最初のアンデッドで、ウイルスを投与された」
「なんだと…!?ていうことは……」
遼は条に背を向けた。
「研究所の資料からして父は普通のアンデッドではない。俺の目的は、この手で父を殺すこと。そのために力をつける必要がある」
そう言って遼は歩き出した。
条は思う。
おそらく遼の目的はそれだけでなく、これ以上ウイルスの被害を受ける人を見たくないんだろう。だからこそ研究員を憎んでいるんだろうし、このチームにも入ったのだ。
このチームで一番正義感が強いのは、本当は遼だったのかもしれない。
なんだか、遼の背中がいつもより強く、寂しく見えた。
バイオパニックとは
ADウイルスがどこからか漏出し、感染した人間や動物がアンデッドに変貌し生物を襲うこと。
自衛隊の救助(独断)により少数であるが人命を救うことができた。
その後、多数の人の加盟により組織を拡大、名を自衛隊からUCGへと改め、全世界に設立される。




