先遣 2
『〈紅〉』
金色の髪が炎と共に光る。
真紅が老爺を焼き尽くさんと猛り、深く真っ暗な夜をその色に染め上げた。
轟轟と鳴り響く業火。空気が焼ける臭い。真っ黒な煙が天へと昇って、喧騒の似合わない空で夜の色と混ざる。
本来攻撃という用途が主である筈の〈紅〉は、簡易的な牢獄となって老爺を囲んだ。
「何者かは知らないが、少しの間、黙っていてもらおう」
不知火はそう言うと、ぴくりともしない躰に憤る出海に近づいた。
そして。
「死にたいのか、君は」
言い放つ。冷たく、眼前の炎とは対象的な、氷のように冷徹な声音で。
「これは不知火さんの魔術ですか。解いてください。わたしは、あの人を赦す訳にはいかないんです! この手で、この手で仇を討つ!」
「やれるものならやってみるといい。もう一度その刃をあの老爺にぶつけた途端、それが君の最後だっただろう。赤子が腕を振り回したところで、大人には当たらないものだよ」
「でも!」
「いい加減にするんだ。冷静さを失った魔術師に生きる道はないと知りたまえ」
今にも消えそうな、怒り以上の悲壮感で満ちた表情の出海を、不知火は冷たくも諭す。
「怒りの理由は後で聞こう。まずは、あの男をどうにかしなければ」
炎が爆ぜた。燃えさかる炎がまるで火花の集合体でしかなかったかのように、それらは散って無になっていく。
その中に平然と立っているのは、無論、老爺だ。
「さすがは年の功か。侮るべきではないね。よほどの実力者とお見受けする」
不知火は素直に賛辞を送り、さらなる炎をその手のひらに生み出す。
いくつもの防御魔術を重ねたであろう老爺の躰。鉄壁と同義のそれが、威力の劣る〈紅〉を粉々にした。
煤の一つも付けず、灰色の着物は真新しい姿を保って、老爺は怪しく笑った。
「ここは遜っておくこととしよう。なるほど。君はそこの黒髪の少年とは別格だ。名を訊いて、答える類いの子かい」
「遠慮する」
「面白い」
老爺は風の刃を消した、というよりは散らした、だろうか。その一点が爆ぜ、手元から風が吹き、老爺の白髪交じりの髪を掻き上げた。そこにはもう、刃はない。
「この状況は分が悪い。いいだろう。退くことも吝かではないよ。だがね、出海夕夏くんだけはどうにかせねばならない。彼女を渡せ。そして君らには、この瞬間のことを忘却の彼方に追いやってもらいたい」
「告げ口するな、と?」
「そうだ。そうすれば、私は君たちに関知しない。どうだい。君らには悪い条件ではないだろう。何せ彼女は君らの仲間ではない。中部支部の人間という点では同志かも知れないが、どうせ初対面だろう。義理も何もない。ならば、渡せ。一人の少女の為に、若さと命は賭けるべきではないよ」
老爺の落ち着いた声は、底知れぬ闇を臭わせた。手榴弾のピンに指を掛けたままにじり寄っているような恐怖感を漂わせる。
だが、そこで怯む男を、不知火は知らない。和川も知らない。
少年はがなった。声とも言えないような声で、叫ぶ。
「ふざけんじゃねえぞ、てめえ」
和川奈月の怒りは、それでも幾分か冷静だった。
「何が若さと命を賭けるべきじゃないだ。てめえ、出海を殺すつもりだったんだろ? それを見す見す渡せだ? そんなこと出来るわけがねえだろうが」
「若いな。己が命を守る為なら隣人も同胞も、時には血縁さえも切り捨てる、それがこの世界だよ。まあ、戦後の地獄を知らないものには、理解出来ないのかもしれないが」
「したくもない」
「してもらおうとも思わんよ」
見えない刃が互いの心臓に突き立てられているような緊張感。辺りに存在する空気さえ切っ先を持っているかのように、肌を突き刺していた。
老爺が腕を上げる。右の人差し指で、和川を差した。
「今、殺してもいいのだぞ」
一朝一夕では備えられない重厚な存在感が、その人間の実力を放つ。
リオウ=チェルノボグとは違う。別種の悪だ。正しさを携えない、純粋な、己の欲のみが支配する、真っ黒な悪。
和川は奥歯を噛んで、あと二秒もすれば飛び出していたであろう、まさにその時。
老爺の顔が一気に苦虫を噛み潰したようになった。
老爺は一切の躊躇いもなく、風の刃を生みそれを横に薙いだ。瞬間的に爆発的な暴風が生まれる。空き地と道路とを隔てる長さ数メートル程度のガードレールが軽々と吹き飛んだ。殺意の込められたその風は、しかし和川も不知火も、出海さえも襲うことはなかった。
老爺の風は、別の二人の魔術師にその焦点が当てられていた。
和川に映った魔術師二人、それは――。
二人の魔術師とは一体……?
次回もよろしくお願いします!




