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終章――爪痕 1

 真冬の寒さは夜明けにこそ本領を発揮する。


 魔術師四名は寒さを凌ぐ為に廃絶部の建物内に入った。あれだけの激戦が繰り広げられたと言うのに建物自体はほぼ無傷で、中も、不知火の魔術媒体がごっそりなくなっていること以外は日常と特に変わりない。


 激闘で疲れ切った身体に、暖房から送られる温かな空気がじんわり沁みる。冬が好きで年中夏服を着ている和川奈月にとっても、それは至福そのものだった。寒さは好きなのだが、悲しいかな特段強い訳ではない。暖房万歳。安物のソファに寝転がりながら、癒しのひと時に浸っていた。


 着替えを終えるとすぐに寝てしまった笹見は毛布を掛けてそこらに置いておくとして、今回の事の顛末を松来に伝えると、緊張がほぐれたのか今にも泣き出しそうな声で「良かった、本当に良かった」と何分も言い続けていた。さすがにしつこいな、と思った番場は空気も読まずさっさと通信を切ってしまう。番場も疲れているのだ。にしても薄情だが。


 暫くすると、今回の事件解決の立役者と言ってもいい少女、涼風和奏(すずかぜのどか)が、こちらも長旅から大魔術廃絶部へと帰って来た。


 神田川英明(かんだがわえいめい)、そして、嘉多蔵亜里沙(かたくらありさ)と共に。


 少女は眠っていた。静かに、可愛らしく寝息をたてながら。


「良かった。元気そうだ」


 和川は、涼風に抱えられた少女の寝顔を見ながら微笑んだ。心の底から安心した。この少女の誘拐から事件へと足を踏み入れた少年は、この少女を守る為に真冬の街を走ってきていた。国の平和と少女の平穏は、和川にとっては同列だったのだ。


「神田川さんもご無事で何よりです」


 魔術鉱石の魔力を全身で浴びた神田川のことを、誰より心配していたのは他でもない不知火だ。責任感の化け物は、この部屋に一人だけではない。


 神田川は不知火の肩に手を置いた。


「よく戦った。よく生きて帰った。頑張ったな、不知火、坊主」


 何よりも称賛を優先した。神田川は二人の若き魔術師に全てを投げてしまった自分を恥じながらも、この国の平和を守った二人を、素直に誇りに思ったが故の言葉だった。


 神田川は涼風を見た。涼風と、少女を見た。


「涼風のおかげでもあったな。お前がいなかったらどうにもならなかった。それに、嘉多蔵嬢のおかげで、もうなんともない」そして、と神田川は継ぎ、「もう一人の救援もあったことだしな」


 和川は首を傾いだ。


「驚くだろうな。お前達も、嘉多蔵嬢も」


「あの……それは一体……」和川が訊ねた。


「涼風が連れて来たんだ。何より、俺が驚いたよ」


 入れてもいいか? と神田川が涼風に訊くと、まあいいでしょう、と涼風が返し、大魔術廃絶部には一人の男が入って来た。


 驚愕は和川から発せられる。


「なっ……サミュエル=ジョーンズ!?」


 大魔術廃絶部に巨躯が出現した。


 それは、嘉多蔵亜里沙誘拐、拉致事件の実行犯、紛れもなくサミュエル=ジョーンズの姿だった。


「どうして……!?」


「まあ、そういう反応になるんだろうな」


 とサミュエルは言ったが、そもそもここに連れて来たのは涼風だ。詰問はサミュエルではなく涼風に向けられた。


「いやあ、松来さんから色々聞いた時に、そのサミュエルって人は悪い人じゃないんだろうなぁと思いまして。怪我もしているようでしたし、寒空の下に放置はさすがに可哀想かなぁと」


「そんな理由で君は犯罪者を野放しにした、とそう言っているのかい涼風和奏」


 色々察してはいた不知火は、分かった上で問い詰める。


「そんな睨まなくても……こ、怖いですよ不知火先輩……。野放しではなく、戦力にしようと思ったまでです。ちゃんとこちらで制限してしまえば、彼自身は協力してくれるだろうと思いました。何より、亜里沙ちゃんを傷付ける意図はないという確信もありましたし、安心して連れてきちゃいました」


 不知火は嘆息する。


「まあ、君らしいと言えば君らしいが……。多少医術に心得があり、相手の行動に制限を設けることが出来る君だからと言って、なんでもかんでもやっていいという訳じゃないんだ。勝手は困るよ」


「そう涼風を責めるな」と擁護したのは神田川だった。「責めている訳では……」と不知火はたじろぐ。


「サミュエルの魔術は姿を隠すことに特化していただろう。おかげで涼風は敵襲に気を回さずに済んだんだ。もっとも、涼風はサミュエルの能力を知らなかったんで、打算ではなかったようだが」


 ソファに寝転がっていた和川は、身体を起こし、涼風が抱える嘉多蔵亜里沙を見た。


「なあ、神田川さんの言い方だと、亜里沙ちゃんはこのことを知らないってことだよな、和奏」


「ええ。サミュエルを連れて来たとき彼女は眠っていましたし、起きたときにはサミュエルには周囲の警戒をしてもらっていました。まだ対面してはいません」


「会うべきではない。そう言ったのは俺だ」


 サミュエルが口を挟む。


 改めて見れば、サミュエルの体には不可思議な灰色の帯状の物が巻きつけられているようだった。それは涼風の魔術によるものだ。両足からとぐろを巻くように全身を包む拘束具ともいうべきそれは、物というよりは模様で、涼風の魔力がサミュエルの行動を制限している。


「俺は罪人。あの子に会う訳にはいかない」


 涼風は嘉多蔵亜里沙をソファに優しく寝かせ、


「話を聞く限りでは、そこまで深く考えなくてもいいと思うんですけどね。この子は賢い子ですし」


 しかし和川は複雑だった。


 亜里沙を救出した時、亜里沙は傷ついたサミュエルを異様なまでに案じ、その理由も和川にはよく分からないままだったのだ。少女をまた混乱させるようなら会わせない方がいいのでは、と思うのは、何も和川だけではなく、不知火や神田川も同意見だった。


「なに、俺は罪を償えるチャンスがあるならと協力したまで。周囲に警戒するくらいの魔力はあったことだしな。別に……会ってどうしたい訳じゃない。このまま牢に行くだけだ」


 そう言うと、屋内に入って来たばかりのサミュエルは皆に背を向け、一人扉の方へと歩きだした。


「で、誰が俺を牢まで運ぶんだ?」


 首だけ振り向き、サミュエルの視線は、自然と少女の方へと向けられた。


 それに気付いたのは和川奈月……変な所に敏感だ。


「本当に良いのか、お前」


 静かに食ってかかる和川に、サミュエルは、


「その子が会いたいのは俺ではない。無論お前達でもないだろう。いつだって子が求める存在は一つさ。……これでも一応、人の親なんだ。それくらいは分かる」


 サミュエルは落ち着いていた。表情には一切の変化も見られない。 


 だが、そこが和川には引っかかった。


 亜里沙とサミュエルを会わせるのは反対だ。でも、このままというのは、さすがに亜里沙が可哀想ではあった。


「……素直じゃないな、お前」


 鈍い和川にだって分かることはある。


 心とは裏腹、これほど分かりやすいものもない。


「嘘が下手だよお前、犯罪者には向いてねえ」


 サミュエルはふっと笑った。


「――かも知れんな」



 番場最人に連れられ、サミュエル=ジョーンズは魔術師専用の刑務所に移送されることになった。


 部屋を出て行く姿は妙に儚げで、実物程の大きさは感じられない。


 サミュエルにも戦う理由はあった。金の為、すなわち、家族の為だ。金がなければ生きてはいけないのだから、金に執着すること自体は悪いことではない。この国では屡々(しばしば)批難の的にされるが、それが人としての道を外れない方法であるならば、文句を言われるいわれはないのだ。


 彼もまた、道を(たが)えた一人だった。


 目的は真っ当であった筈なのに、残酷な現実に抗う為の手段を間違えてしまった男は、どんなに大義を掲げても罪人だ。


 家族を愛するが故に悪魔になり、家族を愛するが故に悪魔になり切れなかった。その優しさだけは、認めるべきなのだろう。


 不知火は、背を向けたまま寝息をし続ける少女を一瞥する。小さな体で大人ぶる少女。子供である自分と戦う少女。孤独と、戦う少女。


 背中から感じる少女の瞳は、瞼の裏側で泣いているように思えた。


 少なくとも不知火と、おそらく、サミュエル=ジョーンズには。


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