朝陽を浴びて Ⅱ
山間に本来あるはずの澄んだ空気は、この瞬間に限っては魔術という名の不純物によって随分と濁っていた。
この場に充満する闇の臭いは、一人の少女が生み出したものだ。
それに顔を顰めながら、出海結は静かな声でその少女に問いかける。
「繁野さんと金森さん……お二人にここまでする必要があったんですか、大嶋さん」
大嶋愛生は茶色いボブカットの髪をさらりと流し振り向いた。異様なまでに、涼しい顔をしていた。
「死んでいませんよ。運が良かった、としか言えませんが」
「命まで奪う気だったんですね」
大嶋は首を傾ぐ。
「殺さない理由もないですし」
そこに男声が一つ。
「君は命をなんだと思っているんだ」
不知火オーディン大和の声だった。不知火は、その腕に一人の女性を抱えていた。
「どうも不知火さん。金森さんをどうするおつもりで?」
「放置したら死んでしまうだろう」
「そういえば、あなたは医療魔術の使い手でしたね」
「光栄だな。どこからそんな情報を仕入れて来るのか」
「あなたは有名ですよ。世代に二人といない天才です。わたしに気付かれないよう金森さんを抱きかかえて後退できるんだから相当ですよ」
「賛美か天狗か良く分からないね」
「賛美じゃないですかね。そんな、どうせ死んだところで両親が悲しむ程度の人間を、助けようって言うんですから、そんな奇特な方がこの世界にいるとは驚きです」
「君からはどうも、心ってものを感じないな」
「ありますよ。あってこれです。いけませんか」
「異常だよ、君」
「異常でない者がこの世界にいますか? 闇とは往々にしてこういうものですよ。安易な同情や気遣いが死に繋がる世の中なんですから、異常でなければ務まりません」
不知火が吐き出す白い息が粉塵に混ざった。
「裏切り者には罰を与えなければならない。魔術師の常識です」
「命を奪うほどの裏切りなんて……」
結は喉を詰まらせる。
「裏切りに大小はありませんよ出海さん。そうでしょう?」
大嶋のそれはまるで機械の音声だ。今頃では機械の方が感情的に聞こえるだろう。
不知火は一瞬たりと大嶋から目を離さない。
「一体、彼らは何を裏切って殺されたのかな。『SSパッケージ』かい? 作間かい? それとも、君かな」
大嶋は髪を触って、わざとらしく微笑む。
「さあ、どうでしょうか」
「君は一体なんなんだ。『SSパッケージ』『先遣』共に貶めるようなことを僕らに告げる君は、一体なんなんだ」
不知火は詰問する。
大嶋は背を向けた。二歩進んで、止まり、ため息をついた。
「知らない方があなたのためですよ」
「何をしようとしている」
「刀が欲しいだけじゃないですかね」
「仲間を殺そうとしてまでもか」
「この世界ってそういうものでしょう。少なくとも、私が見てきた世界はそうでしたよ」
「それはそれは。余程の闇を知っていると見えるね」
「ええ。こんな夜明けが、可愛く見えるほどには」
大嶋は朝焼け近付く空を見上げた。
不知火は大嶋の手を見た。魔術媒体である黄色い知育玩具を握っている。
不知火は赤石に魔力を込める。
魔術の発動は、数秒をも要しない状態まで来ていた。
だが。
「私、相手の実力を見誤らないことに関しては自信があるんです。そして、私は勝てない勝負はしません。どうしますか」
大嶋は平坦な声音で問う。
「今回は、どちらでもいいですよ。万全のあなたならいざ知らず。今のあなたならね」
不知火の背中を何か嫌なものが走り抜けた。
気持ちの悪い汗がつーっと腕を流れる。
「いいえ。やめておきましょう」
大嶋は手の中のブロックを消しながら、
「出海結さんもいるんです。一筋縄じゃいかない。ここに刀はないのに、争っても仕方がない」
不知火の瞼がぴくりと動いた。
刀はない――つまり大嶋愛生は、裏切り者である繁野と金森を誘い出すための囮。
結は刀を握ったまま息を大きく吸った。
「あなたがよく分からない」
結がそう言うと、大嶋は、
「分かって頂く必要もないので結構です」
と答え、また歩き始めた。
不知火は追わない。結も追わない。ここで追う必要もない。どうせまた相まみえるだろう。まずは二人の魔術師の治療をしなければならない。
得体の知れない深淵の一旦を垣間見た。そんな感覚が、彼らの正義感の一切を抑制してしまっていたことも、また追わない理由の一つではあるのだが。
「あ、そういえば」
大嶋はもう一度立ち止まって、砂埃が風に消えた山間で再び、その闇を無表情という形で見せつける。
「一つだけ良いことを教えてあげましょうか」
――まただ。
大嶋のスタンスが分からない。どちらに立っているんだ。今から口にすることは、どちらの側を陥れるのか。
「あなたの正体について穿った見方をしているのは、『SSパッケージ』では私一人でしょう。ですが、それだけと考えるのは少々無理がありますね。例えば、千林高城は策士です。ですが利口ではない。前しか見えなくなるのです。髪を短く切っていればそれは出海夕夏だと信じて疑わない。でも、そうじゃない人もいる。考えたことはありませんか。ここになぜ、『先導者』の全員が揃っていないのか」
出海結の顔が強張る。
「『先遣』の見田德士はこの二日、血眼になって誰を捜しているんでしょうね」
大嶋の言葉を噛み砕いたのは出海結だ。そして、咀嚼し呑み込んだ瞬間、不知火も理解した。
「まさか、出海夕夏を――」
「さあ、どうでしょう」
大嶋は不敵に笑む。
「私に訊くより、お調べになってはいかがですか」
そう言って、大嶋の姿は闇に紛れるように消えていく。
そこには、影も気配もなかった。まるで霧のように。消えてしまえばそれまでの、朝靄のように。
「不知火さん、夕夏ちゃんが……」
「入院している病院に連絡を取るんだ。誰でもいい。出海夕夏を守ることのできる魔術師を、すぐにでも向かわせるんだ」
で、なければ、
「殺される。出海夕夏は……先遣の魔術師の手によって……!」
次回もよろしくお願いします。




