10.秘密の花園(2)
昔読んだ物語のような美しい花園。
ここは誰の秘密なんだろう。
悠里はそろりそろりと足を運びながら、花園の中に設けられた小路を歩いて行った。
三方の石壁はまだしっかりしているようだが、もう一方の壁は崩れ落ちている。
その崩れた壁の下にも、かつては花が咲いていたのだろうか。
そんなことを考えながら、悠里は花園を歩き回った。
「ユーリ?」
突然背後から声をかけられ、悠里はびくりと立ち止まった。
その声は他でもないイオのものだった。
ここに勝手に入ってしまったことを彼は当然怒るだろう。
叱られるのを覚悟で、ゆっくりと振り返った。
「イオさま、おかえりなさい」
俯きながら、もじもじと、しおらしく言ってみる。
するとイオは小さく笑ったようだった。
「ああ、ただいま。少し暇ができたからね。息抜きに帰って来たんだ」
多忙を極める彼の声には疲れの色が滲んでいた。
「ユーリは、どうしてここに?」
「え、えっと……。ベリアルさんにはここには近づかないようにと言われてたんですけど。イオさまの姿が見えたので、それで、あの……」
ついつい言い訳がましくなってしまう。
「……そうか」
イオはそれ以上何も言わず、悠里の脇を通り過ぎて小路の先へと歩いて行った。悠里もまた、その背を追って再び歩き始める。
(叱られなかった?)
イオは悠里が花園に勝手に入ったことには結局言及しなかった。
「あの、イオさま」
「なんだい? ああ、ごらん、ユーリ。これは東方の国から来た珍しい花だよ」
「わあ、綺麗! って、これ、ハギじゃないですか? わあ、こちらの世界にもあるんですねえ」
「ユーリはこの花を知っているんだね?」
「はい! 私の国では『秋の七草』のひとつなんですよ」
「そう。やはり何か縁があるのかも知れないね」
「え?」
「何の縁です?」と問いかけようとして、イオを見た悠里はその言葉を飲み込んだ。
イオがとても寂しそうだったから。
彼の瞳が今までにないくらいに溢れ出そうな感情を湛えていたから。
(イオさま……?)
けれど、それは一瞬のことだった。
イオはすぐにいつもの彼に戻り、悠里に笑顔を向けた。
「そう言えば、悠里は野菜を育てているんだったっけ?」
「は、はい!」
「ここの土は、とてもいいよ。あの通り崩れている壁があるから、あそこには近づかない方がいいけれど、こちら側はまだしっかりしているし、この花園は庭師が手入れしてくれている。……もし悠里にその気があるなら、この辺りの一角を君にあげるよ。野菜でも花でも、君の好きなものを育ててみるといい」
思ってもみないことだった。
まさか帝国で家庭菜園ができることになるなんて?
「君の滞在もいつまでになるか分からないし、ダンスばかりしていてもつまらないだろう。君の好きなことができる時間があってもいいはずだ。どうだい。やってみるかい?」
悠里はその場の土をひとすくい手に取った。
柔らかくて、良い匂いのする土。
しっかり栄養を含んでいて、すぐにでも作物を育てられる土だった。
(王国の土とは全然違う)
トーサ村で土を作り始めた矢先、アシュラムやウリエルと日本に戻ってしまったから、その後どうなったのかわからない。
少しでも、こんな土に近付いているだろうか。
祖母の畑の土の感触と似ている花園の土。それに悠里は花を近付けた。
「これが、私が目指している土です。王国をこんな土でいっぱいにして、野菜をいっぱい育てたい。そして、王国の人がみんな同じように野菜を食べられるようにしたい……」
祖母もこんな匂いがしていたな。
いつも畑の土いじりをしていた祖母。
優しい土と植物の香りがしみついた祖母の手……。
「ユーリ?」
土を握りしめた悠里の手に、ぽたぽたと小さな雫が落ちている。
それは声を殺して泣く悠里の涙だった。
もう二度と会えない祖母を思って泣く悠里をイオはそっと抱き締めた。
「……すまない。君の涙の意味を知っても、私にはきっと何もできない。君の心の僅かでも、私には救うことができないんだ……」
イオの腕の中で、悠里はかぶりを振った。
こうやって心に寄り添ってくれるだけで十分だった。
彼の優しさこそ、今の悠里の支えだった。
生まれる世界を別にした異世界人ではなく、人と人の心の交感。
それこそが、この世界で生きていくことを決めた悠里の……。
「私に植物を育てることを許してくださってありがとうございます。イオさま」
悠里はイオの腕の中で顔を上げた。
「そんなことでいいのかな?」
少し照れたように笑ったイオに、悠里も笑顔を向け。
「私には、それが一番嬉しいです。元の世界で生きた証も、この世界で生きていく意味も、全部そこにあるのですから」
「そうか……」
「はい」
「なら、やってごらん。庭師には私から話をしておくから、いろいろ教えてもらうといい」
「はい!」
イオは悠里から体を離すと、庭を見渡すように視線を巡らせた。
「ここはね。君と同じ、被召喚者の女性のために造られた庭だったんだ」
「え?」
「彼女もまた、君のように植物を育てるのが好きな人だった」
その人はイオにとって、どんな人だったのか。
悠里は聞いてもいい事なのか考えあぐねて、ただイオの美しい横顔を見つめることしかできなかった。




