8.ある日の昼下がり(2)
その日の午後、悠里は辞書を片手に手紙を書いた。
「う~ん、この言い回し、なんて書いたらいいんだろう」
きっとネイティブの人が呼んだらぐちゃぐちゃだろう。日常会話くらいならなんとかなるけれど、少し複雑な文章になるとお手上げだった。
これは一度マチルダに添削してもらわなくてはいけないだろうな。
そんなことをぶつぶつ言いながら、無い知恵をひっくり返して文章を作っていった。
そんな所へ突然の乱入者。
「ユーリ! こんにちは」
勢いよく入って来たのはマチルダだった。
「え、あれ? 先生、今日授業はない日ですよ」
「そんなことはどうでもいいの。あなた、今からダンスのレッスン始めるわよ」
「は?」
何を仰っているのでしょうか?
頭の中が「?」だらけになる悠里に、マチルダは、
「ああ、そんな恰好ではダメね。ドレスに着替えなきゃ」
そう言って、クローゼットへ入って行った。
「ダンスって、ドレスって、なんですか~!?」
淡い水色のシフォンのドレス。プリンセスラインでフワフワしている。
足元はヒールの高いミュール。
それを身に着け、ダンスホールへと引きずって行かれた。
「事は一刻を争うのよ。何としても、週末までには形にしなくちゃ」
「先生~。マチルダさま~。いったい何のことなんですか~?」
情けない声を出す悠里に、マチルダは一瞥をくれた。
「王宮舞踏会に正式に招待されたのよ!」
「招待って、じゃあ、マチルダさまだけ行かれたらいいではないですか?」
「ばかね。あなたが招待されたんじゃない!」
「は?」
思考が停止したついでに、足も止まった。
「きゃっ。ちょっと急に止まらないで」
「招待って、舞踏会って、何なんですか~!!」
悠里の絶叫が響き渡るダンスホール。
「だから、さっきイオさまから連絡があって、皇帝陛下がぜひ会いたいから招待せよと正式にお達しがあったらしいのよ」
「いや。でも、どうして、わたしなんか……」
「ともかく招待された以上は断ることはできないのですからね。さあ、始めましょう」
「マチルダさま。無理ですよ~」
「当日エスコートはイオさまがしてくださるから、ステップさえ覚えておけば、あとはイオさまにリードをお任せしておけばいいのよ。だから、そんなに気負わなくても大丈夫」
「大丈夫って、そんな……」
ここに来て、貫徹したツケが来ていた。頭がくらくらしてめまいがする。
なんて目まぐるしい一日!
「今日のダンスのお相手は、こちらよ!」
マチルダが大げさに腕を振った。
柱の陰から現れたのは……。
怖いくらいに無表情のベリアルだった。
「ベリアルさん……」
「さあ、時間がないわ。ベリアル。ユーリをエスコートして」
しかしベリアルは動かない。
「ちょっと、ベリアル。さっき話して納得してくれたんじゃなかった?」
「週末の舞踏会に間に合わせるなど、どう考えても無謀ですよ」
「だから、一通りのステップを覚えたらいいでしょう?」
「この娘を衆目に晒して益することがありますか?」
静かに問うベリアルの言葉に、マチルダがぐっと詰まる。
「……私に言っても仕方ないでしょう?もう決まったことなのですもの」
「イオさまも何をしておられるのか……」
ベリアルの声に苛立ちが混じった。
「イオさまのせいではないでしょう? 出席しなければ、その方がユーリの身が危なくなるわよ。それは、あなた自身がよく知っているでしょう?」
そう言われ、ベリアルは古傷が痛んだかのように、眼帯の下に伸びる傷跡に手をやり顔をしかめた。
ややして深い溜め息をつくと、「始めるぞ」と短く言って、ぐいっと悠里の手を引いた。
「こちらの腕はこう。こっちはドレスを摘まむ」
ぱぱっと悠里の両の腕を定位置に収めると、自分の左手で悠里の右手を握り、右手を腰に添える。
「ステップはこうだ」
「ンキャッ」
「右、左、そこでターン」
一旦レッスンを始めると、マチルダだけでなく、ベリアルまで鬼コーチだった。
へとへとになった悠里に休憩を許されたのは一時間後だった。
その休憩の折に、マチルダが苦笑交じりに言った。
「ベリアルも元は宮廷の中心にいたくらいの人だから、なかなか厳しいでしょう?」
「宮廷の中心?」
「そうよ。イオさまの側近になる前は、皇帝陛下の片腕として戦場で大活躍。貴族の女性たちの人気を独り占めしていたのよ」
「ベリアルさんが……?」
とてもじゃないが想像できない。
確かに渋メンで、女性が放っておかない感じだけれど。
(それにしても、どうしてこんなことになったんだろ)
この帝国では、慎ましく静かに過ごそうと思っていたのに。
悠里はしかめ面で痛み始めた足を揉んだ。
レッスンのあと、ミレーヌが淹れてくれたお茶を頂いていると、広間から続くバルコニーに佇むベリアルの姿が。
最初は凄く怖い人という印象しかなかったが、今はそれにいろいろな色が付いた。
威圧的な態度も、イオの側近として彼を守るためであったのだろうと。
「ベリアルさん」
悠里の呼びかけに、ベリアルはゆっくり振り向いた。
「何だ?」
眼光の鋭さは変わらない。
けれど、その鋭さの奥に僅かに灯る優しい光を、今は見付けることができる。
「あの……当日は一緒じゃないんですね」
「ああ、そうだな……。お前は全て、イオさまにお任せしていれば大丈夫だから」
ベリアルは悠里が不安に思っていることを正確に読み取っているようだ。
「……私が何か失敗したら、皆さんにもご迷惑をおかけすることになりますよね」
「そんことは心配しなくていい。ユーリは自然にしていればいいから」
「……はい」
「イオさまと一緒にいれば、大抵のことはうまく運ぶだろう」
ベリアルは悠里から視線を外し、バルコニーの向こうに見える帝都の街並に目をやった。それにつられて悠里も、帝国の豊かな暮らしが窺える家並みに目を移した。
(灰色の石の家ばかりのディント王国とは違うわね)
対して帝都に立つ民家は高価な煉瓦造り。
「こんなに豊かなのに、帝国の人たちはまだ鉄や魔法を求めているんですか?」
そう尋ねると、ベリアルが小さく笑ったような気がして彼の顔を見上げた。
ベリアルの横顔からは何の感情も読み取れず……。
「明日も朝から特訓だ。早く休みなさい」
ベリアルは悠里の問いに答えることなくバルコニーから離れてしまった。
少しベリアルに心を開いてもらえたと思ったのに……。
悠里は鈍く痛んだ胸に手を当てた。
拒絶されることには慣れているはずなのに、時折それを突き付けられるときつかった。
(ミレーヌさんに氷を貰おう)
痛めた足首に当てる氷を。
(そして、ゆっくり眠ろう)
眠って、元気を取り戻して、また明日がんばろう……。
また少しずつですが更新して行こうと思います。
よろしくお願いします。
2018. 7.22追記
後半部分書き加えました。




