7.ある日の昼下がり
それは、召喚され、この帝国にやって来た、一人の女性の物語だった。
『彼女は召喚されたあと、流れ流れて帝国に辿り着いた。
彼女は保護されたのち、皇帝の寵愛を受け、豪華な宮殿を与えられる。
側妾として皇帝の訪問を受けるうちに、彼女は身籠った。
その子を出産したのち、彼女は赤子を残して消息を絶つ。
皇帝は血眼になって彼女を探したが、結局行方は知れず。
彼女の愛した花々だけが、今も彼女の宮殿に咲いている……。』
おとぎ話にしては、リアルな物語だった。
(本当にあったことなのかな?)
国交のあった時代なら、王国から帝国に来たということもあるかも知れない。
マチルダに聞いて見ようか。
そんなことを考えているうちに、悠里は朝日を浴びながら眠りについた。
起きてみると、もう日は高く昇っていた。
「やっちゃったな~」
読書が好きで、小学校高学年の頃から貫徹というのをよくやっていたけれど、年を経るごとに、一睡もせずに一日活動することは難しくなってきている。
そろそろ徹夜も辛いけれど、面白い本に出会ってしまったら仕方ない。
翌日のしんどさを覚悟して徹夜しなくてはならなくなる。
ぼーっとする頭をコンコン叩きながら洗面台に行き顔を洗う。すると、幾分すっきりした。
それからクローゼットに行き、こちらの世界に来る時に着ていたトップスとティクウィットに作ってもらったスカートを履いた。
ミレーヌの姿はなかった。惰眠をむさぼっている悠里に気を利かせたのかもしれない。
(お腹すいたな)と思うけど、呼び鈴を鳴らして呼びつけるのも気が引けて、悠里は自分で食べ物を探そうと部屋を出た。
屋敷を案内してもらった時に、台所の位置も一応教えてもらっているから、なんとか辿り着けるかもしれない。
おしろいをはたくだけの簡単な化粧を施して部屋を出た。
廊下にも人はいなかった。
使用人の人たちのお昼時なのだろうか。
こうして部屋を抜け出して歩き回るのは初めてだから、これが普通の状態なのかもしれないけど。
絨毯の敷かれた廊下をそろそろと歩いて行く。
右側は全部窓になっていて明るかった。
イオの部屋の前も通り過ぎ、さらにいくと、階下へと下りる階段がある。
それを下りて右に曲がると、食堂と台所があるはずだ。
階段の壁には大きなタペストリーが隙間なく掛けられていて、窓のない暗い階段を彩っている。ミレーヌによれば、これは皇室に古くから伝わるタペストリーで、帝国の隆盛の歴史を描いている物なのだという。イオが爵位を受けた時に、皇帝から拝領したものなのだとか。
ライオンのような獣や大きな鳥のような絵柄は悠里にも判別できるが、そこに描かれている絵から物語を読み取ることは難しかった。
(一応考古学専門なんですが……)
入学してほとんど勉強していないのだから仕方ない。
(そうだ。文字をいっぱい覚えたら、この世界の考古学について勉強してみてもいいかも)
家庭菜園と考古学。両立できそうだけど……。
ふとそんなことを思いながら階段を下り切って右に曲がった。
広い玄関ホールを抜けさらに進むと食堂がある。
ここまでは悠里も何度か来ているから難なく辿り着いた。
問題はこの先だった。
台所や洗濯場などの奥向きに出入りしたことはまだなかった。迷うことはないだろうけど、それでも少し歩を進めるのを躊躇ってしまった。
奥向きに入るアーチ形の入り口には暖簾がかけられている。
それをピラッとめくって、顔だけ向こう側に出してみた。
思いのほか明るい場所でホッとする。
暖簾の先は細い通路になっていて、通路はそのまま外に繋がっていた。そこから昼の日差しが差し込んでいるのだ。
その通路の両脇に、いくつかの扉があった。
この中のいずれかが台所なのだろう。
すると、カチャカチャと皿が当たる音や人の話し声が聞こえてきた。
(人いるんだね)
ここまで誰にも会わなかったので、やや不安になっていたところだ。
暖簾をくぐり、通路に入る。
物音が聞こえてくるのは左側。耳をそばだてながらその扉の前に立つと、女性の笑い声が聞こえた。
その笑声に勇気を貰って木の扉をノックした。
けれど聞こえなかったのか反応がない。
何度かノックしてみたけれど、結果は同じ。
息をついて、思い切って扉を開けて見ることにした。
(せえの)
心の中で掛け声をかけて取っ手を引いた。
「何をしている?」
低く押し殺した声が後ろからした。
びくーっとして振り返れば、隻眼を覆う眼帯が目に入った。
「べ、ベリアルさん……」
「こそこそと何を探っている?」
その眼光で人を射殺せるのではと思うほどに、ベリアルの見える眼が鋭く光る。
初対面の時の眼と同じだった。
「ち、違います!ちょっと寝過ごしちゃって、それで、何も食べてないから。何かもらえないかと思って……」
その眼光を受け止めることができずに、おどおどしながら俯いた悠里は、ベリアルが深い溜め息をついたのがわかった。
「すまなかった……」
「え?」
「疑って、悪かった」
眼光の鋭さを瞬時に消して、ベリアルは申し訳なさそうに目尻を下げている。
「いえ。わたしも勝手に動き回ったりしたから。すいません」
悠里はぺこりと頭を下げた。
「ああ。何か食べるんだろう?」
ベリアルは悠里の脇から手を伸ばし、扉を開けた。
「この子に何か作ってやってくれ」
ベリアルの胸の高さに悠里の頭。そこに抱き込まれるような形になってしまい、一人あたふたする悠里。
彼が身に着けているスーツからは、少し煙草の匂いがした。
台所には恰幅のいい男性が一人と、エプロンを付けた女性が数名いて、その恰幅のいい人が満面の笑顔で答えた。
「ああ、ベリアルさん。お嬢さんの食事をどうしたらいいか聞こうと思ってたんだ。来てくれて良かったよ。って、お嬢さんもいるのかい?」
「は、初めまして。悠里です」
「ああ、聞いてるよ。俺は料理長のアレックだ。よろしくな」
そう言って、アレックは豪快に笑った。
「よろしくおねがいします」
ぺこりと頭を下げた悠里に、「じゃあ、せっかくだから四阿に運ばせよう」と提案する。
「四阿、ですか?」
「ああ。なあ、ベリアルさんいいだろう?」
その場にいたすべての人の視線が集まる。
「ああ、まあ、別にかまわんが……」
「よし。それじゃ、先に言って待ってておくれ。ついでにベリアルさんのも一緒に持ってくよ」
「いや、私は部屋で……」
「硬いこと言いっこなしだぜ。食事は二人以上で取った方がうまいだろ。それに一度に済んだ方が俺たちも助かるってもんだ。さあさあ、行った行った。おい、案内してさしあげろ」
「はあい」
メイドさんが一人先に立って歩き出す。
まだ渋っている様子のベリアルを、アレックが追い立てた。
通路を明るい方に向かって歩きながら、悠里は憮然とした様子のベリアルの顔を窺う。
自分が台所まで来たせいで、二人で食事をとる羽目になって怒っているだろうか?
「すいません」
謝る悠里を一瞥して、ベリアルは「なぜ謝る?」と尋ねた。
「わたしと食事だなんて迷惑ですよね。わたしが台所まで行ったために、こんなことになってしまって……」
「まったくだ」
「ほんとにすいません……」
怒っているのか、呆れているのか分からない、ベリアルの表情。
それでも眼は穏やかだ。
きっとそんなには怒ってないんじゃないかな。
悠里はそう思うことにした。
庭園にある四阿に来たのは初めてだった。
自室にあてがわれている部屋から見える範囲は散策したことがあるけれど、裏手の方までは来たことはなかったのだ。
薄緑に塗られた屋根と柱を持つ四阿。
ここでティパーティくらいはできるくらいの広さがあり、丸テーブルと4脚の椅子がすえてあった。
「どうぞ」
メイドさんがテーブルの上を拭くと、ベリアルが椅子を引いてくれた。
「あ、ありがとうございます」
恐縮しながら座れば、彼は悠里の向かいの席に座った。
4脚しかないのだから仕方ないが、なんだか気恥ずかしい。
二人が落ち着いたのを見て、メイドさんが水を配ってくれた。
「あの、今日はミレーヌがいないんですけど」
そう問えば、ベリアルは「ああ」と頷いた。
「朝早くに実家に帰った」
「そうだったんですね」
「お前の世話をするメイドを手配してなかったか。しばらくミレーヌは戻れないらしい」
「え、そうなんですか?あ、でも大丈夫です。自分のことは自分で出来ますから」
慌ててそう言えば、「そう言う訳にもいかんだろう」とベリアルは渋い顔をする。
「本当に大丈夫です。わたしは貴族でもないですし。お世話していただくような身分でもないですもん」
「……そうか」
「はい。あ、でも、ベリアルさんたちに連絡取りたい時があるかも知れないから、時々ミシェルくんが覗いてくれるとありがたいかもです」
「ああ、そうだな。まあ、ミレーヌが帰るまでの間だしな」
「はい。お気遣いありがとうございます。……イオさまはお仕事ですか?」
「ああ、今日も出仕なさっている」
「お忙しいんですねえ」
そんな会話をしているうちに、料理が運ばれてきた。
おなかに優しそうな献立だった。朝を抜いてしまった悠里を気遣ってくれたのだろうか。
食べ始めてしばらくは二人の間に会話はなく、黙々と口を動かしていた。
悠里はこれほどお腹が空いていたのかと、自分でも驚くくらいの勢いで、目の前の料理を片付けていった。
「そう言えば」と、ベリアルが何かを思い出したように声を出した。
「ほうしました?」
もぐもぐしながら言えば、「飲み込んでから喋りなさい」と叱られてしまった。
「手紙を書くと言っていたけれど、どうなった?」
「あ」
口の中から食べ物をなくそうと慌てて飲み込んだから、少し咳きこんでしまった。
「ケホケホ。あの、辞書を見ながらだと書けそうな感じなので、今日これから書いてみます」
「そうか。いつ届けられるか分からないがな」
「……大丈夫、です」
悠里は少ししゅんとなってしまった。
今までの勢いはどこへ行ったのか。ちまちまとスクランブルエッグをフォークで口に運ぶ姿に、ベリアルは息をついた。
「なるべく早く届けられるように善処しよう」
ぶっきらぼうにそう言って、お茶を啜っている。
「ありがとう、ございます」
「もし……」
「え?」
「もし連絡が付いたら、お前は王国に戻るんだな?」
「……はい。そうできるなら。大切な人が待ってますから」
そう言って頭に浮かぶのは、ウリエルであり、アシュラムであり、コウメさまであり……。
(ああ、本当に、わたしには大切な人がたくさんいるんだ)
改めて、そう思う。
「そうか……」
悠里に聞こえないほどの声。
そのベリアルの声に苦いものが含まれていたことに、悠里が気付くことはなかった。
食事を終え、四阿をあとにした二人。
「少し歩かないか?」
思わぬベリアルの申し出だったが、断る理由もないので二歩ほど後ろをついて行く。
いつもの手を後ろに組んだ姿勢で、ゆっくりと歩を進めるベリアル。
その歩調に合わせながら、小径の脇の花々を楽しむ悠里。
どういう訳か。この時の二人の間には、とても穏やかな時間が流れていた。
ベリアルに初めて会った時は、彼とこんなに穏やかな時間を持てるようになるとは想像だにしなかった。
悠里はそのことが素直に嬉しく思われた。
まだ時々怖い時もあるベリアルだったけれど、きっとあの時ほど疑われてはいないと思う。
少しは受け入れてもらえていると感じていた。
「あれは、何ですか?」
ふと目に付いたものを悠里は指差した。
その先を追ったベリアルは、スッと目を細めた。
(あれ。聞いちゃいけないことだったかな)
そう思ったのも束の間、ベリアルは淡々とした声で「ああ、あれは……古い庭園だ」と言い、さらに「あそこには近づくな」と言った。
「どうしてですか?」
「最近手入れされていないから、壁が崩れる可能性がある」
「そうなんですか……」
確かに遠目でも、それが少し古そうな建造物だということがわかる。
ちょっと興味はあったけれど、ベリアルの忠告に従っておいた方が良さそうだった。
それからもうしばらく庭を歩いた二人は、ベリアルの「そろそろ仕事に戻る」という言葉で別れた。
なんだか少しベリアルとの距離が縮まったような気がした昼下がりだった。




