6.課外授業に出かけました
マイオール公爵イオフィエルは、現皇帝の弟君。
数年前成人したのを機に爵位を受けたが、皇帝に世継ぎとなるべき実子がいないために皇位継承権を返上しておらず、このまま皇帝に嫡子が出来なければ、いずれ皇太子となる身であった。
類まれな美貌を持ち、文武両道の誉れ高く、皇帝からの信も篤いイオフィエルは、国民からの人気も絶大。故に、『帝国の至宝』と言う別名を持っていた。
軍を率い、侵攻によって領土を拡大してきた皇帝とは逆に、彼はいたって温厚な人柄。もっぱら机にかじりついて仕事をこなす日々。
宮廷に寝泊まりすることが多く、自邸には帰らない日が続いていた。
その留守を守るのは、側近であるベリアル。
皇帝の近習であったベリアルは、イオが爵位を受ける際彼の補佐を命じられ、公爵邸にやって来た。
それ以来、自他ともに認める、イオの側近中の側近として活躍中だった。
「それで、外出許可が欲しいと?」
ぎろりと隻眼で睨まれると、背筋がピシッと伸びる。
ベリアルを前に、悠里は緊張しまくっていた。
「はい。マチルダさまが明日は街に出て勉強しようと仰って」
ミシェルを通してベリアルに外出許可を求めると、本人が悠里の私室にやって来た。
(まだ信用されてないのかな)と勘繰ってしまう。
ランカジャー男爵夫人が家庭教師になって一週間。
「あなたもたまには外出しないと干乾しになっちゃうわよ」ということで、次回は課外授業ということになったのだ。『街にある看板に何が書いてあるか当ててみよう』がテーマである。
「ふむ……」
ベリアルは顎に手を当て考え込んでいる。
「だめ……ですか?」
上目づかいに問えば、堅物のベリアルの耳がほんのり朱に染まる。
「だめ、ということはないが。心配だな」
「え、心配?」
「お前が何かヘマをしそうでな。男爵夫人も一つのことに夢中になると周りが見えなくなるお方だ。あっちやこっちでいろいろやらかして、公爵家の名に傷が付いても困る」
「はあ」
大丈夫ですと言いきれない自分が悲しかった。
今度は違う意味で信用されていないらしい。
まあ、この屋敷に滞在している一週間強の間に皿を一枚と高そうな置物を一つ割ってしまったのだから、心配されても仕方ないとは思う。
「分かった。なら、私も同行しよう」
「え、ベリアルさんが?」
「なんだ、その嫌そうな顔は」
「い、いえいえ。嫌だなんて、滅相もない!」
「ふん。しっかり監視してやる」
そうして、どういうわけだか、課外授業にベリアルも参加することになったのである。
一台の馬車の中。
悠里と男爵夫人マチルダが隣同士に座り、ベリアルが向かいの席に座っている。さらに、その隣にミレーヌ。
随分仰々しい課外授業になったものである。
「ねえ、どうしてベリアルもいるの~?」
マチルダは不満そうに、ぷっくりと艶やかな唇を尖がらせた。
「護衛と思っていただいてよろしいですよ。男爵夫人」
「護衛だなんて。本当は私がユーリに変なこと吹き込まないように監視したいんでしょ?」
「よく、お分かりで」
こともなげに言って、ベリアルはにやりと笑った。
彼は普通に笑ったつもりかもしれないが、とても迫力のある笑顔。
その笑顔に、マチルダも引きつった顔をしている。
「これも授業の一環なのですから、邪魔はしないで」
「邪魔などと。無論そのようなつもりは毛頭ございません。どうぞ私のことはお気になさらず、存分におやりください」
「そ、そうさせていただくわ」
マチルダは扇子を開くと顔を隠してしまった。
それきり馬車の中に会話はなくなった。
一生懸命習ってきた単語を反芻する悠里と、居心地悪そうに身を小さくしているミレーヌ、扇で顔を隠し続けるマチルダ、そして泰然と座すベリアルを乗せ、馬車は一路王都市街へと向かったのである。
市場の入り口で馬車を留め、そこからは徒歩で行くことになった。
多くの人で賑わう市場は、その雰囲気だけでワクワクしてくる。
だが浮かれてばかりもいられない。
ここへは授業で来ているのだから。
「では、さっそくね。ユーリ、あの看板にはなんて書いてあるかしら?」
「えっと、あれはですね」
マチルダが次々指を差していくのに、悠里は間髪入れず答えなければならない。
ひとつでも間違えればランチ抜きというのだから、なかなか厳しい先生だった。
「あら、意外によく覚えてるじゃない。見直したわ」
「あ、ありがとうございます」
ぜいぜい息をつきながら礼を言えば、ミレーヌがいなくなっているのに気が付いた。
細々したものを買いたいと言っていたから、きっと別行動しているのだろう。
「ほら、ボーっとしない。これは何?」
「はい!これは……」
そんな二人の様子をベリアルは少し離れた場所から見守っていた。
「ぎりぎり合格だったわね、ユーリ」
クリームとはちみつがたっぷりかかったパンケーキを前に、マチルダが微笑む。
「嬉しいです!」
涙を流さんばかりに喜ぶ悠里。
何とか無事、行列のできる美味しいパンケーキ屋さんでランチとなった一行だった。
「あなたのは、なんだったかしら?」
「はい。チョコバナナパンケーキです!」
信じられなかった。
帝国には、チョコもクリームも普通にあるのだ。
王国では考えられないことだった。
「そう、美味しそうね。今度来た時はそれにしようかな」
「マチルダさまは何ですか?」
「くすっ。私は『いろいろベリーの乗った贅沢パンケーキ』よ」
なるほど。
種々さまざまなベリー類がたっぷり、クリームの上に乗せられている。
「それも美味しそうですね」
「では、さっそく頂きましょう」
「はい!」
勇んでナイフとフォークを手にする女子二人。
ベリアルはいささかげんなりした様子で、お茶だけを啜っていた。
「本当にお昼食べなくて大丈夫なんですか?」
マチルダが私用の買い物があるからと、一人でパンケーキ屋さんを出て行ったあと、悠里もお茶を飲みながらベリアルに尋ねた。
「私のことは気にしなくていい」
「でも、お茶だけなんて、おなか空いちゃいますよ」
「かまうな。クリームを見ただけで胸やけがしてくるんだ」
「ええ~」
あんなに美味しいのに。
どうやら、ベリアルはスイーツ男子ではないようだ。
「じゃあ、ベリアルさんの食べられるもの、探しに行きましょうよ」
「男爵夫人を待っていないとダメだろう」
「じゃあ、ベリアルさん待っててください。わたし、探してきます」
そう言って立ち上がった悠里の腕をベリアルがつかんだ。
「ちょっと待て」
「もう、何ですか?」
「何ですかではないだろう?お前ひとりで行けば、絶対迷子になるぞ」
「大丈夫ですって。わたし、方向音痴ではないですから」
「いいや、ダメだ」
「だったら、ベリアルさん、ちゃんと食べてくださいよ~」
「屋敷に帰って食べる」
「だからあ、今食べてくださいって」
「しつこい」
ベリアルは悠里の腕をグイッと引っ張って椅子に座らせてしまった。
「食べればいいんだろう?食べれば」
ベリアルは乱暴な手付きでメニューを開くと、ウエイトレスを呼んだ。
「はあい、旦那さま」
メイドさんの格好をしたウエイトレスさんである。
「ご注文はパンケーキ?お茶?それとも、わ・た・し?」
なんとも先進的な店だった。
悠里やマチルダの時は違うセリフだったような気がする。男女で使い分けするというマニュアルがあるのだろうか。
悠里はそんな未体験ゾーンに顔を赤らめたが、ベリアルは全くのスルー。
逆にメイドさんが赤面しそうなくらいの塩対応だった。
「なるべくクリームの乗ってないものがいいんだが」
「それなら旦那さま。サンドイッチがオススメですよ~」
甘ったるい声で答えるメイドさんに塩対応を続けるベリアル。
(すいません、すいません。決して営業妨害したいわけではありませんから!)
小さくなる悠里をしり目に、メイドさんの可愛さに髪一筋も浮かれる様子もなく、ミックスサンドイッチを注文したベリアルだった。
(この人が何かで動揺することってあるのかなあ)
ふと、そんなことを思ってしまう悠里だった。
マチルダがたくさんの買い物袋を提げて帰って来たのは、ベリアルがサンドイッチを綺麗に平らげた後だった。
待たされて、いささか不機嫌になっているベリアル。
その気配を感じ取ったのか、マチルダが言い訳めいた言葉を口にする。
「ごめんなさいね~。主人に入用なものをあれこれ買っていたら、ずっかり時間かかってしまって」
「ミレーヌも馬車で待っているでしょう」
不機嫌を隠そうともしないで立ち上がったベリアルは、マチルダの大荷物をさっと奪い取った。
「ベリアル?」
「支払いは済ませていますから帰りますよ」
そう言ってさっさと出口へと向かうベリアルを見ながら、マチルダが悠里に耳打ちする。
「なんだかんだ言って、紳士なのよね」
「そうですね」
無愛想だけれど、その優しさが分かりにくいけれど、それが彼の魅力なのかも知れなかった。
馬車まで帰ると、ベリアルが言った通りミレーヌが先に帰って来ていて待っていた。
「ごめん。ミレーヌ」
「いえ。久々に実家に顔も出せましたし、お気遣いありがとうございました」
ミレーヌはベリアルに頭を下げた。
「え、ミレーヌの実家って、市場にあるの?」
「市場の外れの商店街にあるんです。ベリアルさんに許可を頂けたので行ってまいりました」
「そう。良かったね」
そうか。それでミレーヌも一緒に来ていたんだ。
何となく納得しながら馬車に乗り込むと、すぐに動き始めた。
これで課外授業も終了のようである。
「ユーリ。この一週間よく頑張ったわね。今日はほとんど間違えなかったわ」
「ありがとうございます!マチルダさま」
「これは、そのご褒美よ」
マチルダが差し出したのは、三冊の本だった。
「何がいいかしらと思ったのだけれど、本を読めば単語も早く覚えられるかもしれないと思って。イオさまの書棚にあるものは難しいものばかりでしょうからね。これは簡単なおとぎ話だから、あなたでも読めると思うの」
「わあ。本当にありがとうございます!」
悠里は受け取ると、胸に押し抱いた。
「毎晩読むようにします!」
「ふふ。そうね。それがいいわ」
最初はどうなるかと思ったけれど、なんとかやっていけそうだ。
悠里はほっと息をついた。
「では、次回は来週ね。また~」
玄関先でマチルダは帰路に付き、玄関ホールでベリアルと別れると、悠里は自室に帰り、さっそく本を見てみることにした。
ミレーヌは何かの用事をしているのか姿が見えない。
上から順に表紙を見てみると、そこに付けられた帯に、その本がどういう本か説明が書いてある。
イオに借りた辞書で調べながら読んでみた。
一冊は姫と王子の物語。王道路線の話のようだ。
二冊目は歴史上の人物を主題にした物語。
そして三冊目は、異世界からの被召喚者の物語だった。
「え……」
書いてあることを判じた途端、胸の動悸が激しくなった。
何が、書いてあるのだろう。
悠里やコウメさま以外の被召喚者のことを知る機会になるかも知れない。
悠里は震える手で、その本を開いた。
一語一語、ゆっくりと追って行くうちに、瞬く間に夕ご飯の時間になり、時間を惜しんでご馳走をかきこむと、また安楽椅子で本を開く。
お風呂に入るのももどかしく烏の行水で出てくると、髪を乾かしもせずベッドに入り、ベッドサイドの明かりを頼りに読みふけった。
この夜悠里は一睡もすることなく、被召喚者の物語を読了してしまったのだった。
悠里が夢中で本を読んでいる頃。
久々に屋敷に帰って来たイオの部屋を、ベリアルが訪ねていた。
「へえ。それで市場に?」
「はい。勉強熱心なのか、言葉もよく覚えているようでした」
「それは感心だな。……陛下も、少しユーリに興味のあるようなことを仰っていた」
「私が報告申し上げましたから」
「ああ……」
イオが書類を片手に考え込むような眼をした。
「ご安心を。陛下が実際にあの娘に会うことはございません」
「……」
「二の舞にはならないように、私も気を付けておきましょう」
「それでも、陛下に報告はするんだろう?」
「私の役目でございますから。そこは、ご理解を」
イオはため息交じりに書類を机の上に放り出した。
「お前はいざとなれば、どちらに付くのだろうな?」
「私がお仕えしているのは、イオさまです」
イオの宝石のような碧眼と、ベリアルの鋭い光を帯びた隻眼が、一瞬火花を散らした。
先に目を伏せたのは、イオだった。
「もういい。下がれ」
「はい。では……」
ぱたりと閉じられた扉を背に、ベリアルが呟いた。
「信用されないというのは、辛いものだな……」
「信じて」と言った少女の潤んだ瞳が思い出された。
その仔犬のような瞳に囚われた自分を感じる。
(この私が?馬鹿な)
囚われたことを認めながら、そんな自分を嘲る自分もいる。
「異世界の女など、利用する価値もないというのに」
忌々しげに呟いた言葉は、くさびとなってベリアルの心に打ちこまれるのだった。




