4.いろいろお話させていただきました
「あの、お座りになったら」
「私はこのままでいい」
「はあ」
落ち着かない。
この人に見下ろされるなんて、本当に落ち着かなかった。
(わたしに対する不信感、剥き出しなんだもの)
ミレーヌがお茶を淹れ替え戻ってくるのを期待するが、一向にその気配はない。
(もしかして、見捨てられた?)
ベリアルは屋敷の人たちにも怖がられているのだろうか。
「お話しとは?」
恐る恐る尋ねると、ベリアルは表情一つ変えず口を開いた。
「旦那さまはお前のことをご存知のようだったな」
「え、ええ。一度だけ、チェサート国でお会いしたことがありますから」
言葉を選びながら答えれば、ベリアルの重く低い声が返ってくる。
「そのツテを頼りに、ここに来たのか?」
「それは……」
悠里は迷った。
禁呪によってここに来たと、はっきり言って良いものか。
王国の魔法については誰でも知っているとイオも言っていた。
けれど禁呪のことまで知っているだろうか。
おいそれと、めったなことは言えない。
でも、目の前の人に、どこまでオブラートに包んで話すことができるか自信はなかった。
「なんだ?」
足を心持ち開き、背の後ろで両の手を結んだ、ゆったりとした立ち姿。じっくり話を聞き出すつもりらしい。
「わたしは、召喚されて、この世界に来た人間です」
「……」
そう言うと、ベリアルは格別反応を見せなかった。
ちょっと拍子抜けしながら言葉を続ける。
「異世界風のファッションとかあるから、異世界から人が来ることはご存知ですよね?わたしは、異世界の日本という国から来たんです」
その時ベリアルの眉がピクリと動いた。
悠里の発した、いずれかの言葉に反応したようだ。
「なるほど」
そして重々しく口を開いた。
「イオさまがお前に過分な待遇をされるのも仕方ないのかもしれんな」
「……」
「だが、王国の魔法使いが召喚したお前が、なぜここにいるのかの説明は、まだなされていない」
「……」
「何の意図があって、ここに現れた?イオさまを何に利用するつもりだ」
詰問口調に代わるベリアルに、悠里は怯えた。
するとベリアルは、テーブルと悠里の座る安楽椅子の肘置きに、悠里を囲うように両手をついた。
「お前がスパイではないという証を見せよ」
「わ、わたしは……」
「イオさまは、帝国の至宝でいらっしゃる。もし、あの方を傷付けるような真似をすれば、私は迷わずお前を殺す」
見える方の眼に鋭い光を浮かべて、ベリアルは悠里に顔を近付けた。
その刺すような光から逃れるように、悠里は顔を俯かせる。
「スパイなんかじゃありません」
出した声はか細く、震えていた。
「わたしはスパイではないです。わたしが帝国に来たのは、魔法が失敗したからで……」
「……」
「きっと、少しでも知っているイオさまを無意識に頼ってしまったんだと思います。ご迷惑をおかけしてすいません……」
ベリアルは、悠里を観察するように、彼女を見下ろしている。
「わたしも、王国に帰れるなら、今すぐ帰りたいです。でも、王国が鎖国してしまっているから、帰れないんですよね?」
「表向きはな」
「表向き?」
ハッとして顔を上げると、ベリアルの隻眼と眼が合った。
「そう、表向きだ。裏のルートを使えば、どうとでもできる」
「裏の、ルート?」
ベリアルが言うと、より迫力が増すのはいたしかたない。
まるで悪い陰謀に巻き込まれてしまうようで、とてもじゃないが悠里は「では、それでお願いします」とは言えなかった。
「どうする?」
試すように言うベリアルは、どこか楽しんでいるようにも思えた。
こんな状況、ちっとも楽しくないのに。
「あの、ベリアルさんには申し訳ないんですけど、わたしはやっぱり正規のルートで帰りたいなあと思います」
「ふ……」
え、今笑った?
口元が少し緩んだような?
まじまじと見れば、ベリアルは不愉快そうに眉を寄せる。
「イオさまも、それをお望みだがな」
やれやれとベリアルは悠里の座る安楽椅子から体を離した。
「王国の魔法でも失敗することがあるのか?」
「それは……わたしの気持ちの問題で……」
「気持ち?」
「一緒にいたくない人がいたんです」
また小さくなる悠里の声に、何故かベリアルは瞳を揺らした。
「一緒にいたくない人?それで魔法が失敗するのか?」
「わたしもよく分からないんですけど、考えられる原因はそのくらいだから」
「……」
魔法を経験したことのない人に、いくら説明しても分かってはもらえないと思う。
けど、ベリアルの悠里に対する不信感を、少しでも減らせるものなら減らしたかった。
敵意を向けられ続けるのは辛い。
「ベリアルさん。わたしはスパイでもなければ、イオさまを傷付けるつもりもありません。どうか、それは信じてもらえませんか?」
そう言って、悠里は真摯な目をベリアルに向けた。
少し潤んだ瞳は、まるで仔犬が甘える時のよう。
その瞳に、ベリアルが初めて動揺を見せた。
心なしか顔が赤くなっている、ような?
「ああ、まあ、あれだな。私もお前が本当にスパイだとか思っている訳ではない。ただ、現れた時の状況が怪しすぎたから」
その時の状況を詳しく聞けば、イオの私室のソファの陰に、悠里が知らぬ間に現れて倒れていたのだという。
(それは怪しいかも)と悠里自身も思う。
すわ暗殺者かと剣を取れば、イオに制された。
「私の知り合いだ」
きっぱりと言い切って怪しい女を抱き上げる主を、ベリアルは止めようとしたが無理だった。
「一度言い出したら聞かない所がある方だ」
ベリアルは困ったようにそう言った。
「だが、私の役目はイオさまをお護りすること。お前が怪しければ、本気で斬るつもりだった」
物騒なことをさらっと口にするベリアルに、悠里はまた身をすくませる。
「しかし必要なさそうだ」
「え?」
「お前が王国のスパイだとすれば、王国はよほどの人材不足に陥っていることになるからな」
ごもっとも。
「じゃあ、わたしのこと、信じてくれるんですか?」
「……」
ベリアルは悠里をまっすぐに見た。
「信じよう」
「本当ですか?」
「ああ。信じる」
信じる。
その一言がこんなにも嬉しい。
「ありがとうございます!」
「だが、裏切れば、今度は斬るぞ」
念を押すことを忘れないあたり、やはり怖い人だ。
「大丈夫です。だって、そんなこと起こりっこないですもん」
先程までの怯えをどこかへ追いやって力強く答える悠里に、ベリアルの隻眼が放つ鋭い光が少し和らいだような気がした。




