3.新生活の始まり(3)
帝国生活2日目。
よく眠れ、朝早くすっきりと目覚めた悠里は、フカフカのベッドの上でゴロゴロと寝返りを打っていた。
外はまだ暗いのか、寝室の窓にかかったカーテンの隙間から明かりは漏れていない。
だから悠里は起き出そうか迷いつつ寝返りを繰り返しているのだ。
さて、どうしよう。
でも、これ以上寝転んでいるのもどうかと思うので、悠里はのっそり起き上った。
寝過ぎのせいなのか、頭が痛い。
ベッド脇のサイドテーブルに置いてあった水を一杯飲み、カーテンをそっと開けて見た。
やはり外は暁闇。
山の端が少し白み始めている。
「着替え~って言っても、着の身着のままだもんね」
昨日と同じ服とミレーヌに貸してもらった寝間着しかないという現状。
当然王国に帰るつもりだった悠里は、下着以外の衣類をリュックに詰めていなかったのだ。
「ミレーヌさんに相談しよう」
服屋さんがあるなら買い物に行かなくては。
「あ……わたし、お金ない」
不安からか独り言が多くなる。
「とにかくミレーヌさんだね……」
暗い中知らない屋敷の中を散歩して回る気にもなれず、悠里はそのままぼんやりと朝の光がさすのを待ったのだった。
「お召し物ですね」
ミレーヌは微笑みながらそう言った。
「それでしたら、仕立て屋をお呼びいたしましょう」
「へ、仕立て屋さん?」
「はい。旦那さまからもユーリさまが必要とされるものがあれば手配するように仰せつかっておりますから」
そう言い置いて、ミレーヌは退室しようと踵を返した。
「ちょ、ちょっと待ってください。ミレーヌさん」
「はい。他にもご入用のものがありますか?」
「い、いえ、そうではなく……。あの、仕立て屋さんをわざわざ呼んでいただかなくても、お店を教えてもらえたら、わたし行ってきますので。お、お金は必ずお返しします!」
すいませんと頭を下げる悠里に、ミレーヌは困ったような声をかけた。
「お金のことはご心配なさらないでくださいね。それに、公爵家では、使用人でも仕立て屋を呼んでオーダーメイドすることになっておりますの。ですから、ユーリさまもそのようにさせていただきますね」
「オーダーメイド……」
すっごく高いんじゃないだろうか。
こんなことなら、服もリュックに詰めておくべきだった。
冷や汗が滲む額を拭う悠里を安心させるように、ミレーヌは「大丈夫です」を繰り返す。
「旦那さまがお召しになるような最上級の生地さえ使わなければ、オーダーメイドでも割と手頃な値段ですのよ。ですから、ご安心くださいね」
そう言うと、ミレーヌは悠里の返事を待たずに行ってしまった。これ以上の押し問答はやっていられなかったのだろう。
ミレーヌがテーブルに並べて行った朝食に目をやると、とりあえずご飯を頂こうと席に着いた。
「いただきます」
その献立を見て、悠里は戸惑った。
これは、明らかに和食の朝食ではないか?
お味噌汁に白ご飯、焼き魚におひたし、卵焼き。
まさに王道な献立だった。
「ええ~っと……」
以前日本からやって来た人が伝えたのだろうけど。
帝国にも、そのような人がやって来ていたのだろうか。
「わたしの知らないことがたくさんあるんだなあ」
感慨深げにそう呟くと、悠里は箸を手に取った。
朝食を終え、昨日イオに借りた辞書をパラパラと意味もなくめくっていると、仕立て屋さんがやって来た。
仕立て屋さんは若い女性だった。でも悠里よりはだいぶ年上のようだった。
豊かな髪をカールさせ、太めのヘアバンドを付けている。きっちりとしたパンツスーツを着ていて、いかにもお仕事できる女性という印象だった。
「こちらのお嬢さま?」
縁の太い眼鏡の向こうの灰色の瞳で、値踏みするように悠里を見ている。
「はい。旦那さまのお客さまですわ。ティクウィットさま」
「そう」
人にまじまじと見られることに慣れていない悠里は身を小さくして、ティクウィットという仕立て屋さんに対峙している。
「普段のお召し物を数点、お願いいたします」
「どんなものがお好みかしら?帝国風?それとも異世界風?ああ、ちなみにわたくしのスタイルが今はやりの異世界風ですわね」
そう言って、ティクウィットはくるんと回って見せた。
「い、異世界風?」
「あら、ご存じないの?あなた、どちらの出身?」
「え、えっと……」
言うなれば。
「王国です」
小さな声で答えると、ティクウィットはははんという顔をして、「なるほど。あの後進国の。でしたら、今年のトレンドをご存じなくても仕方ありませんわね」
後進国?
聞きとがめる悠里にかまわず、ティクウィットは巻き尺を取り出した。
「では、せっかくですから、お嬢さまには最新流行の異国風スタイルをご提供いたしますわ」
前身頃、後ろ見頃、袖丈、着丈、股下の長さ……。
次々と手際よく計って行く。
「少々規格外……。型紙を新たに作らなくてはなりませんけど、なんとかなるでしょう」
確かにスタイルの良いこちらの世界の女性に合わせた型紙では、小柄な悠里には合わないだろう。
「出来次第お届けしますわね」
そう言って、ティクウィットは帰って行った。
疲れて安楽椅子に座り込む悠里の前に、ティーカップが置かれる。
「お疲れ様でした」
「ありがとうございます」
礼を言う悠里に、ミレーヌは微笑んだ。素敵な微笑みだ。
「ミレーヌさんは、ずっとこちらにいらっしゃる方なんですか?」
彼女ともっとお近づきになりたくて、必死に話題を作ってみる。
するとミレーヌは素敵な微笑みを湛えたまま、「ええ、そうです」と頷いた。
ミレーヌは帝国の商家の出身で、こちらの屋敷で行儀見習いも兼ねて働いているのだという。いずれは、同じ職種の商家に嫁ぐことになっていると、はにかみながら教えてくれた。
年を聞けば、18だという。
「え、わたしと同じですか?」
随分大人っぽい人だ。
(いや。わたしが子供過ぎるのか)
一旦引いていた冷や汗がまた流れる。
昨日から来ている服は、汗臭くてどうしようもなくなっているだろう。
(今日はどこにも出歩けないな)
そう思っていると、昨日の天使少年がやって来た。
まさに降臨!と言った様子で、朝日を浴びてきらきらと輝いて見える。
「おはようございます。ユーリさま」
「おはようございます!……えっと」
「まだ僕の名前言ってなかったですっけ?僕はミシェルと申します。どうぞよろしく」
ミシェル!
やっぱり天使さまだったんですね。
一人感動する悠里を余所に、ミシェルはミレーヌと話している。何やら言付かっているらしい。
「旦那さまは宮廷に出仕されました。今日はお帰りにならないとのことですから、ユーリさまをよろしくお願いします」
「はい。かしこまりました」
「夕食はこちらで召し上がるようにとのことですから、そのように。ああ、それとユーリさま。お勉強をなさりたいとのことで、旦那さまが家庭教師を手配されたそうです。夕方においでになるそうですから、そのお心づもりでいてくださいね」
「家庭教師……」
なんだか話が大きくなっている。
いや、でも文字を覚えなくては手紙が書けない。
本当に公爵さまには感謝してもし切れなかった。
「いろいろありがとうございます」
「いえ。ユーリさまは旦那さまの大切な方ですから」
小首を傾げ、くすっと笑った天使の破壊力に鼻血が出そうになって、悠里は咄嗟に鼻を押さえた。
「まあ、やっぱりそうですのね?」
ミレーヌが何故かウキウキしている。
「ええ。ずっと会えずにいる方を忘れられないと仰っていましたから」
イオがそんなことを言うのか。
内心驚きながら、しかし大きな誤解があることに悠里は焦っている。
「まあ、別たれていたお二人が、やっと再会できたのですね」
「ふふ。僕も嬉しいな」
盛り上がる二人。
「いや、あのう、もしもし?」
悠里は誤解を解こうと必死だ。けれど、二人は別の世界に行ってしまったのか、悠里の声が届かないようだ。
「今日出仕なされたのも、お上にご報告なさるためなのでしょうか」
「ああ、もしかしたら、そうかも知れませんねえ」
若い二人の思考はどこまでも果てしなかった。
「何をさぼっている?」
いきなり、そんな二人に冷水を浴びせるような冷え切った声が飛んできた。
たちまちのうちに、別の世界から戻ってきた二人。
ピンと背筋が伸びたのは気のせいではないだろう。
ハッとして扉を見れば、ベリアルがいた。
「ひえっ」
悠里が小さく悲鳴を上げたのにも構わず、彼は足音もなく部屋に入って来る。
「職務はどうした?」
ギロリとミシェルを睨めば、「すいませ~ん」と小さくなってそそくさと行ってしまった。
それを睨みつけるように見送ると、「話がある」と有無を言わせぬ様子。
ヘビに睨まれたカエルのように、悠里は身を硬くしながらコクコクと頷いた。
「お茶を替えて参りますわね」
そう言って、ミレーヌも退室する。
(や~ん。ベリアルさんと二人っきりはなしだよ~)
もうすでに泣きそうになりながら、悠里はベリアルを見上げていた。




