2.あれ、ここって……
どういうこと?
そんなことってあるの?
訊きたくても、この状況では誰に聞いても、自分の欲しい答えは得られそうになかった。
つまり、悠里は王国には帰れなかったということなのだから。
目の前で眠そうにしている人。
その人には、たった一度、帝国の属国であるチェサート国のレストランで相席になっただけ。
ほんの一瞬の邂逅。
だが、ウリエルとも、アシュラムとも違うイケメンさんぶりは十分印象的で、悠里の記憶にしっかり残っていた。
「あ、あ、あなたは!」
隻眼の男が睨みつけているのにもかまわず、悠里は大きな声を抑えることができない。
「なんとか公爵さん!!」
「黙れ」
「ベリアル。彼女は客人だ」
主のその言葉に、ベリアルという名の隻眼の男は片目を見開いた。
「この怪しい娘を客人として迎えるおつもりですか?」
「少なくとも、我々は初対面ではない」
そう言うと、公爵さまは立ち上がり、悠里の側にやって来た。
「いろいろと事情がありそうだな」
「は、はあ」
「お前は、あそこに倒れていた」
そう言うと、公爵さまは長椅子の向こうを指さした。
「あのソファの陰に、お前は倒れていたんだ」
「……」
アシュラムの使った禁呪は、転移する者の思いで行き場所が左右されるらしい。
(でも、わたし、一度も帝国のことなんて考えたことないんですけど)
花火の下で、起こった状況を思い出す。
ウリエルと詩織と須江田が、何故か修羅場を迎えていた。
そこへ、アシュラムと悠里が近付く。
突然訪れた禁呪のタイムリミット。
淡い光に包まれたアシュラムに、悠里とウリエルは慌てて取りついて……。
(ん?なんか、どさくさに紛れて、もう一人)
そうだ。詩織だ!
(わたし、詩織から逃げたいって思ってた!)
相変わらずのへたれ全開で、転移の間中、悠里はただ一心に詩織から離れることばかりを考えていたのだ。
(だから、ここに来た?)
でも、どうしてここなのか。
(詩織から逃げたいからって、たった一度会っただけの公爵さまのとこに来なくちゃいけないの?)
袖振り合うも多生の縁とは、このことか?
現実逃避なのか、悠里の思考はどんどん横道にそれていく。
「おい、娘」
そんな悠里に、ベリアルが痺れを切らしたように声をかけた。
「主の話を聞いているか?」
「え?」
「情けないくらいの間抜け面だな」
「す、すいません……」
「ベリアル。少し言葉を慎め」
「しかし」
「彼女自身、まだ混乱しているようだ。私と二人で話そう」
「……かしこまりました」
悠里には威圧的だが、公爵さまには随分恭しく振る舞う。
なんだか不公平な気がするが仕方ない。
足音も立てずに退出していったベリアル。
それを見送ると、公爵さまは悠里にソファに座るよう促した。
悠里はそろそろと歩き、ちょこんとソファに座った。
公爵さまは手ずからお茶を淹れている。
その点、この世界の男性はよく気が付くらしい。
(ウリエルさんも、よくお茶淹れてくれたなあ)
彼らは無事王国に帰ったのだろうか。
今はそのことが気がかりだった。
「どうぞ」
「あ、ありがとうございます」
公爵さまの声は低音が響くいい声。
その声を聞くたびに、ドキッとしてしまう。
「さて、何から話そうか?」
「そうですねえ」
公爵さまは優雅な仕草でカップを手に取る。
それはどことなくウリエルに似ている所作で、やはり上流階級では、男性もお上品なのだと妙に感心してしまった。
公爵さまは、おそらく年の頃もウリエルと同じくらいだろう。
金髪に光が当たって、キラキラと美貌を縁取っている。
日本人とのハーフであるウリエルは柔和な面立ちだが、彼は生粋のこちらの世界の人間。まるでローマの彫刻のように美しい顔立ちをしていた。
思わず、うっとりと見つめてしまう。
「なに?」
その視線を訝しく思ったのか、公爵さまが少し眉宇をひそめた。
「い、いえ、あの、今は朝ですか?お昼ですか?」
「今?今は夕方だな」
「はあ、そうですか……」
「お前を見付けたのは朝方。ちょうど宮廷から戻って来た時だった。そう言えば、まだ名前を聞いていなかったな」
「あ、そうでしたっけ?わたし、ユーリと言います」
「ユーリか」
「あの、あなたは?公爵さまだっていうのは覚えてるんですけど……」
「そうか……。では、ここが帝国だということも察している訳だな?」
「ええ」
「なら、話がしやすい。私はマイオール公爵イオフィエル」
「イオフィエルさま」
「……イオ、でいい。公の場以外では、皆そう呼ぶ」
「はあ」
「お前が、この部屋にいたのは、王国の魔法が関係しているか?」
「!」
公爵さまは随分聡いお方のようだ。
悠里の反応を見て確信したようだ。
「やはりな」
そう呟いて、形の良い顎に手を当てた。
「イ、オさまは、王国の魔法をご存じなのですか?」
「誰もが知っている」
「そう、ですか……」
そういえば、以前ウリエルが言っていた。
周囲の国も王国の魔法のことを知っているから、王国には侵略してこないと。
他国への侵略を繰り返す帝国もそうだと。
「今回お前が現れたのは、どういう魔法なのかは見当も付かないが」
「ですよねえ」
「……それよりも、今はお前の身の振り方だ」
「はあ」
「残念だが、王国は鎖国をしている。故に、こちらから王国へ入国することは叶わない」
「さ、鎖国!?」
「そうだ」
「鎖国って、鎖国ですよね?江戸幕府がしてたみたいな?でも、王国は他国との交易がなくては物資を手に入れられません!」
「数か月前、突然鎖国することを宣言したんだ」
「どうして……」
「王太子になるべき王子が謀反を企てたとか聞いたが……。詳しいことまでは私にもわからない」
「王太子……王子……?」
王太子というのは、王の位を継ぐ人のことだ。
あの国で、その立場にいるのは……。
「アシュラムさん……」
悠里が何気なく口にした名前に、イオが眉を動かした。
けれど悠里を問い詰めることはせず、ぶつぶつと独り言を繰り返す悠里の言葉に耳を傾けている。
「アシュラムさんが謀反て、あの時のこと?じゃあ、こちらでの時間は進んでいたの?今はどれくらい経ってるの?王国の人たちは、コウメさまたちはどうしているの?」
悠里は落ち着きなく立ち上がり、ソファの周りをうろうろし始めた。
元の世界に帰ってみると時間は進んでいなかったのに、こちらでは悠里たちがいない間進んでいた。
いったいどういう仕組みなのかと思うが、そんなことは悠里には考えても分からない。
それよりも、王国が鎖国してしまったことが大問題だ。
鎖国とは、他国との国交を断ってしまうことだ。
自給自足せずに、他国からの輸入に頼っている王国が鎖国なんて自殺行為にも等しい。
そうなった理由が、アシュラムが謀反を企てたから?
でも、あれは、国王とアシュラムの親子のいざこざのようなもので、謀反なんて大それたものではない。
それを、そんな風に大きな事件にしてしまったのは何故だ?
そして鎖国までしてしまった?
「訳わかんない」
「ひとまず落ちつこうか?」
悠里の思考がひと段落したところで、イオが横槍を入れた。
「今ここで王国の事情について考えても、情報が少ない以上どうにもならない。それよりも、ユーリ、お前のことだ」
悠里は顔をさっと赤らめた。
確かに、悠里のような小娘がいろいろ思いを巡らせたところで、王国が鎖国をやめるわけでもないのだ。
悠里は借りてきた猫のように、大人しくソファに腰掛けた。
「王国が鎖国している以上、入国はできない。だが、手紙なら届けられるかもしれない。あちらに知己がいるなら、書いてみるかい?」
「手紙……」
そう聞いた瞬間、悠里の顔がパッと晴れやかになった。
「はい、書きます!手紙、書きます!」
「それなら」
イオは立ち上がり、部屋の隅に置かれた大きな執務机に歩み寄った。その引出しから、紙の束を取り出す。
「紙は貴重品だから、あまりあげれないが」と言いながら、数枚を手にして戻って来た。
「これに書くといい」
「わあ!ありがとうございます!」
さっと手を出したところで、悠里は動きを止めた。
「どうした?」
「あの……わたし、あまり字が書けなくて……」
「書けない?」
「はあ」
ウリエルに習ったが、その後のいろいろなごたごたですっかり頭から抜け落ちてしまっていたのだ。
日本語で書いてコウメさま宛に出そうかとも思ったが、この世界で生きると決めた以上、この世界の文字というのを完璧に覚えた方がいいとも思う。
「本当に、いろいろ事情がありそうだな」
イオが嘆息したのは、感心したのか、諦めなのか。
「なら、もうしばらくここにいるといい。お前の部屋を用意させよう」
「……いいんですか?」
「私は、少なからずお前という存在に興味がある。あのレストランで会った時から」
「興味がある」なんて彼の美貌で言われれば、心ときめかす女の子はたくさんいるだろう。
けれど悠里の胸はときめなかった。
なぜならイオのまなざしは、動物園で珍獣を見る時のそれであったからだ。
珍しい生き物を見付けた少年のごとく目を細めるイオ。
そのまなざしの意味が分かって、女子として軽く傷ついた悠里。
出会うはずのない二人が出会った。
どういう運命なのか。
悠里はとうとう強大な帝国の、美貌の公爵さまのお世話になることになったのだった。




