1.禁呪発動の結果
ふと目を覚ませば、隣にはなめらかな白磁の肌。
あまりの美しさに息を飲むが、はっきりと目を開けて見れば、痛々しい無数の傷跡がその肌に残っている。
けれど呼吸は穏やかで、掛け物の下からちらっと覗いている厚い胸は規則的に上下していた。
その美貌からは想像もつかない逞しい身体。
程よく付いた筋肉が目に毒だ。
長い睫毛は形の良い頬に影を落とし、短くなった白銀の髪は朝日に輝いていた。
悠里は顔が熱くなるのを感じたが、そこではたと我が身を省みた。
(あれ。わたし、ひとりで寝たよね……)
どうして、ここに彼がいるのか。
思わず布団の中で身を引けば、トンと背中に何かが当たった。
(へ?)
体をよじって後ろを向けば、そこには対照的な黒髪。
寝癖ひとつ付かない羨ましい髪は、さらさらと枕の上に落ちていた。
こちらも長い睫毛。マスカラも付けていないのに綺麗に弧を描いている。
高い鼻梁をたどれば、乾燥知らずの艶やかな唇がかすかな笑みをたたえていた。
「な、な、な、なんで二人とも、自分の布団で寝ないんですか~!」
ばさ~っと掛け布団を跳ねのけながら起き上ると、男たちは気だるそうに身悶えた。
「ユーリ。寒い」
「寒くありません。何月だと思ってんですか」
「ユーリ。目覚めのキス」
「寝言は寝てる時に言ってください」
まったくもう、油断するとすぐこれだ。
「着替えるんで、自分の部屋に戻ってくださいよ」
布団から出て不機嫌に言い放つと、二人はまだ眠そうな目を向けた。
「だってユーリの寝顔見てたらつい、ね。可愛いんだもの」
「こいつが一緒に寝ているのに見過ごすわけにはいかないだろう」
「どちらもわたしの部屋、出禁にしますよ」
「そんな!」
「嫌だ!」
「だったら、嫁入り前の女子の布団に勝手に入らないって約束してください。でないと……」
クマの絵柄のついたパジャマ姿のまま腰に手を当て仁王立ちしている悠里に、男たちはしぶしぶ頷いた。
「分かりましたよ」
「出禁は辛いよな」
「じゃあ、着替えるから出てってください」
「ええ?」
「もう少し朝のまったりを楽しもうぜ」
そしてまた布団に潜り込もうとする二人に、ついに悠里の雷が落ちた。
「いい加減にしてくださ~い!」
その大声に、窓の外の木立からチチチと雀が数羽飛び立った。
「もう、可愛い顔して……」
ぶつぶつ言いながら部屋から出て行こうとして、一人がはたと立ち止まった。
「そう言えば……」
「どうしたの?」
「ユーリって意外と着やせするんですね。おなか廻り、ふにふにして気持ち良かったあ」
白銀の髪が嬉しそうに揺れた。
「な、な、な……」
「どさくさに紛れて触ってんじゃね~!」
そして彼は、悠里だけでなく、恋敵の怒りも受けることになったのである。
時は数日前に遡る。
王宮でアシュラムが禁呪を発動させると、たちまち悠里とアシュラムの姿が消えたのだが……。
その際止めようとしたウリエルが悠里の腕を掴んだことで、彼までが転移魔法によってこの地に来てしまったのだ。
禁呪を使った反動か、アシュラムは全身に傷を負い、三日ほど意識を失い寝込んでいた。
そして目覚めると、ウリエルの姿を認めた瞬間、憎々しげに声を漏らした。
「余計なものまでついて来た」と。
腹を立てるのはウリエルの方だ。
無理矢理に悠里を転移させたことを糾弾すれば、「だって、悠里と二人で行きたかったんだ」と悪びれもせず言ってのけたのだから。
「一時の感情に流され人を巻き込むのは相変わらずのようだな」
「お前に言われたくないな。ユーリに拒絶されているのに、どうしてまだ彼女の側にいるんだ」
「なっ……」
痛い所をつかれ言葉を失うウリエルに追い打ちをかけるように、「ユーリは僕といてくれると約束してくれたんだから」とにやりと笑った。
(意識を取り戻してくれたのは嬉しいけど、すっごく険悪なムード!)
その原因が自分にあると気付いていないのか、一人でハラハラしていた悠里は二人の間に割り込んだ。
「まあまあ、こうして皆無事でいられるのだし、喧嘩なんかしないでいましょうよ。アシュラムさんをこの部屋まで運んでくれたの、ウリエルさんなんですから」
「え~?」
とても嫌そうな声を上げるアシュラムに、ウリエルも「俺だって嫌だったさ」とぼそりと呟いた。
「どうせならユーリが良かった」
「今何か言ったかい。ウリエル」
「いや、別に。ただ、くそ重たい男なんて金輪際運びたくないって言っただけだ」
「僕だって、君に運んでもらったからって、ちっとも感謝できないよ」
「おい、こら。そこは感謝しろよ」
またまた喧嘩腰になる二人。
元々馬が合わないのか。悠里のことがそこに拍車をかけている。
これ以上は収拾がつかなくなりそうな気がして、悠里は別の話題を提供。
「アシュラムさん。わたしのおばあちゃん、紹介しますよ~」
「え、おばあちゃん?」
「今呼んできますね」
パタパタと部屋を出て行った悠里。
アシュラムは確認するように呟いた。
「ユーリのおばあちゃんて……」
「ああ、ここはユーリの元の世界。日本だ」
ウリエル自身、その衝撃の事実から立ち直れていないのか顔を強張らせた。
「お前、どんな魔法使ったんだよ」
そのウリエルの言葉が耳に入らないのか、アシュラムは顎に手を当て黙考していた。
ややして「ああ、そうか……そういうことか……」と顔を上げた。
「なんだよ。何か分かったのか」
「つまりは、そういうことなんだ」
「だから、何だよ」
性急に答えを求めるウリエルを完全に無視して、一人納得しているアシュラム。
そこへ悠里が戻って来た。
後ろに祖母を従えて。
「アシュラムさん。わたしのおばあちゃんだよ」
『まあまあ。意識が戻られて良かったよ』
「ああ、コウメさまに教えていただいた言葉と同じだね」
「うん、でしょ?だから言葉に不自由はしないですよね」
ここからは日本語でお送りします……。
「初めまして。アシュラムです」
「はい、初めまして。志田つぐみですよ。なんだか随分悠里がお世話になったみたいで、ありがとうございました」
「いえいえ。お世話になったのは私の方で……」
「まったく、その通りだな」
「なに?」
「だから、二人喧嘩しないでってば」
「大体のことは悠里から聞きましたよ。何でも異世界の方だとか。まあ、長生きはするものですねえ」
彼女は何でもないことのように、さらりと“異世界”と言った。
アシュラムはぎょっとして悠里を見ると、
「うん、おばあちゃん、あっさり受け入れちゃったんですよねえ」
「悠里の部屋にね。ラノベって言うのかしら。異世界のことについて書いてある本がたくさんあるんですよ。ですからね。ああ、そういうことかと……」
ほほほと笑うツグミに、アシュラムは曖昧な笑みを返した。
年の功か、それとも悠里と同じで物事をあまり深く考えないのか。
祖母は存外順応性が高いらしい。
「でも、びっくりしましたよ。出かけてて帰ってみたら、あなたがたのような王子さまみたいな人がいるんですもの。それも二人も」
にこにことしているツグミにつられたのか、悠里もにこにこ。
よく似た祖母と孫だった。
「さあ、目覚めたばかりでお喋りはお辛いでしょう。何か食べるものを持って来ましょうね」
「あ、いえ。大丈夫。起きますよ」
「あら、そう?じゃあ悠里、手伝って。おそうめんゆがしましょう」
「はあい。ウリエルさん、少ししたらアシュラムさんとダイニングに来てね」
楽しそうな悠里の姿に、自然と顔が綻ぶ男たちだった。
彼らにとっては、ここは異世界。
だが悠里にとっては生まれ育った場所。
そこに来ることができたことに、喜びと不安を感じている。
この先の未来はどこへ向かうのか。
そのことはとりあえず脇に追いやり、今は空腹を満たすことにした。
「ということは、ここはツグミの家ですか」
そうめんを啜りながら尋ねると、「ええ。まあ、離れですけどね」という答えが返って来た。
「離れ?」
「ええ、だから狭い平屋でごめんなさいね。部屋数は余っているから、一人一部屋使っていただけるわ」
「ありがとう」
「両親は仕事だし、兄はもうほとんど家には帰って来ないから、おばあちゃんのとこにいた方が二人も落ち着くでしょう?」
「それでも一言挨拶くらいはしないと……」
「まあまあ、そのことは後で考えることにして、今は食べましょうね」
言いながら、ツグミがざるに上げたそうめんを、どさりとお皿に盛った。
「おかわりはたくさんあるわよ」
それから数日の間。
悠里も離れに寝泊まり中。
結果、彼女の布団に忍び放題。
昼間はツグミの家庭菜園を手伝い、そこで採れた野菜を使った家庭料理に舌鼓を打つ。
ウリエルもアシュラムも、心の底にくすぶる不安には気付かぬふりをしながら、思わぬ形で訪れたこの異世界ライフを満喫していた。




