8.禁呪発動
トーサ村で一夜を明かした次の日。
王宮に向かう馬車の中で、アシュラムは自分の思いの中に沈んでいた。
痩せた土地で野菜を育てようとしているユーリの気持ちを思えば、もっとたくさんの協力者が必要だろうと思う。
けれど、今さら国王に奏上したところで、国王が私の意見を聞いてくれるだろうか。
私は反逆罪に問われてもおかしくない行いをしたのだ。
国王に対して魔法を使い、彼の意識を一時的にせよ奪ってしまったのだから。
おそらく王宮に赴けば、私は囚われるに違いない。
無論、縄を受ける覚悟ならある。
だが。
やっと手にした悠里という安息の場所。
彼女の傍で、彼女のために働きたい。
それだけを国王に上申することができれば……。
私が変わろうとしているのだということだけでも、父に分かってもらいたい。
そう。
冷めた関係であっても、国王は私の父なのだ。
それすらも私は意識の奥に押しやり、狂気のままに、いざとなれば国王を殺めてもいいとさえ考えた。
その私の考えを、あの時父は感じ取っただろう。
魔法を使おうとする私に、瞠目した父の目には恐怖しかなかったから。
どんな言葉も、もう父には届かないだろうか……。
国王と臣下という関係の前に、私たちは親子だったのだと。
そのことについて腹を割って話したいと。
今さらだと一蹴されそうだが、それでも私がそう思っているのだということだけでも伝えることができれば。
そして父に謝ることができれば……。
心を閉ざしてしまった息子を許してほしいと。
私が魔法の力を持って生まれたことに、一番苦しんだのはあなたではなかったかと。
縄を受ける前に話したい……。
トーサ村の宿で真夜中に目覚めた悠里は、ものすごい勢いで空腹を満たし、またしっかり眠り元気回復。
王都に着けば、久々にコウメさまに会えるだろうという気持ちもあって、気分は上々。
意気揚々と馬車に乗り込んだ。
前の座席にはウリエル、そして隣にはアシュラム。
皆一様に黙り込み、窓の外にばかり視線を向けていた。
トーサ村の畑はアルバートがいてくれるから心配ない。
彼は快く悠里を王都へと送り出してくれた。
「野菜の種、もう少し買ってきて」という言葉と共に。
窓の外には荒涼とした大地。
きっと日本は緑が溢れているだろうに。
悠里は少し故郷のことを懐かしく思い、小さな溜め息をついた。
王宮はアシュラムの突然の訪問に騒然となった。
神殿から姿を消したという報告はすでに知れ渡っているのだろう。
遠巻きに見る者、直接声を掛けようとする者。
それらに鋭い一瞥をくれ、アシュラムは堂々と回廊を歩いて行く。
(皆、私の力を恐れている……)
そのことに胸を痛めながら、しかしそのような気持ちは表に出さず、アシュラムは謁見の間を目指した。
悠里はびくびくと、ウリエルは異様な雰囲気の王宮に眉をひそめながら、アシュラムの後に続いていた。
「アシュラムさま。殿下!」
悲鳴のような声に呼ばれそちらを向けば、彼付きの侍女頭ヨハンナがこちらに向かって来ている。
「ご無事でしたか……。あなたが殿下を?」
ヨハンナは鋭い目を悠里に向けた。
「あ、あの……」
この世界で唯一とも言える苦手な相手をいきなり前にして、悠里はしどろもどろで俯いた。
「ヨハンナ。これはすべて私の意志だ。陛下に謁見を申し出る。支度してくれ」
「で、ですが、陛下は大層お怒りです」
「だからだ。ユーリ、しばらくウリエルと待っていて」
悠里にはとろけるような笑みを向けて、アシュラムは踵を返した。
「あ、アシュラムさん。待ってるからね~」
ヨハンナは悠里をひと睨みすると、ドレスの裾を翻してアシュラムのあとを追って行った。
「アシュラムさん、遅いね」
四半刻ほど待ったが、彼はまだ戻って来ない。
ウリエルと手近にあったベンチに腰掛け待っていた。
彼との間には、変わらず気まずい空気が流れている。
アシュラムよりもウリエルと話す方がためらわれるなんて。
そんなこと初めてだった。
会話のないまま時が経ち、わさっという衣擦れの音がして顔を上げた。
「え?ええ~~!」
のけぞるほどに驚いた。
ウリエルも言葉なく目を見張っている。
「ア、アシュラムさん、どうして……」
ついさっきまでアシュラムの背を覆っていた美しい白銀の髪。
それが今はばっさり耳の辺りまで切り揃えられている。
後ろに控えるヨハンナに目をやれば、ハンカチで顔を覆いしくしくと泣き濡れているようだった。
「すっきりしたでしょう?」
本人だけが爽やかに笑っている。
神官の長いローブも脱ぎ捨て、貴族の正装を身に着けたアシュラムは、輝くばかりの王子ぶりだった。
「さあ、参りましょう。謁見の間へ」
すっと悠里へと差し出された彼の細く長い指。
悠里は呆然と彼を見つめながら、無意識のうちに手を重ねた。
くすりと笑って、悠里をエスコートするアシュラムを、ウリエルは複雑な表情で見ていた。
謁見の間には、国王と宰相、そして数人の近衛兵が壁際に控えていた。
皆、アシュラムの姿に息を飲んでいる。
謁見の間の中ほどまで進むと、アシュラムは悠里の手を外し前へと進み出た。
「謁見をお許し下さりありがとうございます」
すっと近衛兵が身構えるのを感じた。
(やはり……)
口元に薄い笑みを浮かべてアシュラムが顔を上げると、国王は兵士の動きを制するように手を上げていた。
「神殿から無断で姿をくらまし、どこにいた?」
これは謁見ではなく、裁判か。
そう思うほどに、国王の口調は厳しい。
「ユーリと共に」
国王の視線がすっと悠里に動く。
悠里はびくっとして硬直した。
「畑は未だ出来ぬと聞く。いつになれば野菜は採れるのか」
「……え、えっと……」
緊張のあまり倒れそうになる悠里をそっとウリエルが支えた。
「陛下。今はアシュラムでございましょう」
ウリエルの飄々とした物言いに国王は気がそがれたのか、アシュラムへと視線を戻した。
悠里がほっとしたのも束の間、国王の次の言葉がさらに驚愕を与えることになった。
「アシュラムよ、そなたは罪を犯した。わしへの謀反の意志ありとみなし、クムン牢獄での幽閉を命じる」
その場が凍りついた。
しばらくの沈黙のあと、ウリエルが声を上げた。
「お待ちください、陛下。アシュラムは確かに無断で神殿を出ましたが、しかし自由が制限されているわけではないはずです。なぜ幽閉という厳しいご処分を下されるのです?」
「わしを襲い、禁書を奪った」
「襲った……?」
ウリエルが掠れた声を漏らした。
「左様。わしに魔法の力を使い、国王しか入ることの許されぬ宝物庫へ侵入した挙句、禁書を奪ったのだ!」
国王の怒号があまり広くはない謁見の間に響いた。
キーンという耳鳴りを感じ、それを振り払うように悠里は頭を振ると声を振り絞った。
「国王さま!きっとアシュラムさんにも苦しい思いがあったんです。それをどうか聞いてあげてください。聞いた上でやっぱり納得いかなかったら、その……法律に従うしかないと思います。でも話を聞く前に判断を下さないでください。どうか、アシュラムさんの話を聞いてあげてください」
国王はしばらく黙考していた。
ややして低く唸るように言った。
「聞こう、アシュラム。何か言いたいことがあるか」
その瞳には冷たい光。それは親が子を見るまなざしではなかった。
馬車で考えていたことを話そう。
悠里の言葉に勇気をもらい、アシュラムは一度深呼吸した。
「父上」
国王が小さく身じろいだ。
「罪を許してほしいとは申しません。父上に対して犯した罪は、どのようにも償いましょう。けれど私はただ分かって頂きたかっただけなのです、父上に。私が、あなたの子であるということを」
(アシュラムさんが泣いている)
涙を流してはいないけれど、心の中で泣いている。
父に分かってほしいと、声を上げて泣いている。
幼子のように……。
「神殿に入ることは私の義務だと分かってはおりました。このような力を持って生まれた以上は、そうするのが当たり前だと。けれど……私は父上と親子として親しみたかった。離れていても互いに肉親の情を分かち合い、この国の行く末を共に案ずることを許して頂きたかった。だが、私たちはいつしか臣下よりも遠い関係になってしまっていた。どこですれ違ってしまったのでしょうか。……私をお産みになってすぐに母上が身罷れたことが原因ですか」
切々と訴えるアシュラムの言葉は、その場にいたすべての人の心を打った。
宰相も近衛兵たちも、この時初めて彼の孤独を理解しただろう。
ただ一人を除いて。
変わらず冷めた目をアシュラムに向ける国王は、「言いたいことはそれだけか」と言った。
思わず悠里が声を上げたほどに素っ気ない言葉だった。
アシュラムも言葉をなくしている。
「言いたいことはそれだけかと問うている」
「……」
「ならば近衛兵、縄を持て。国王への反逆の罪で、アシュラム・デュ・ロッセンを投獄する」
「!」
アシュラムの肩が震えた。
(まずい)
ウリエルが駆け寄ろうとした時、アシュラムが腕を振った。
近付いていた近衛兵が、次の瞬間壁に激突していた。
呻き声を上げ悶える彼らには目もくれず、アシュラムが一歩玉座に足を踏み出した。
「き、貴様……」
あの時の恐怖が甦ったのか、国王は蒼白になっている。
宰相が腰の剣を抜き、国王を守るように立ちはだかった。
「控えられよ、アシュラムどの」
「うるさい」
彼の声とも思えない地を這うような低い声。
悠里の背筋に悪寒が走る。
「アシュラム、待て」
ウリエルが肩を掴んだ。
「うるさいと言っている!」
バンと弾かれ、ウリエルが横に飛んだ。
もんどりうって石の床に倒れ込む。
「ウリエルさん!」
「ユーリ」
低い声に呼ばれ、ウリエルの元に走り寄ろうとしていた足が止まった。
「君は、私といてくれるね」
恐る恐る振り向くと、アシュラムが笑っていた。
悲しみをたたえた微笑み。
凄絶なまでの悲哀しか感じ取れない微笑みを彼は浮かべていた。
「アシュラムさん……」
「無駄だったよ。やはり無駄だった」
こくりと喉を鳴らした悠里は、ここで間違えてはいけないと気を引き締めた。
「約束したでしょう、アシュラムさん。一緒に畑をするって。この国を野菜でいっぱいにするって」
すると彼の笑みが深まった。
「ああ、そうだね。君だけだ。僕と共にいてくれるのは。ならばいっそのこと、どこか遠くへ行ってしまおうか」
「え?」
アシュラムの短くなった白銀の髪がざわめいた。
「ユー……リ……。逃げろ……」
苦しそうな息の中で、ウリエルが呟いた。
「本当にうるさいな、君は」
アシュラムがウリエルに向かって腕を振る。
その寸前、悠里がアシュラムの腕に飛び付いた。
「だめ!アシュラムさん、これ以上はだめだよ!」
ふっと彼の力が抜けた。
と同時に抱きしめられた。
「行こう、ユーリ」
アシュラムに抱きしめられたまま、淡い月光色の光に包まれた。
「あ……」
トーサ村にアシュラムが現れた時の光だ。
「だめ、アシュラムさん!」
「君と一緒なら、僕はどこでもいいんだ」
ぶつぶつとアシュラムが口の中で何かの呪文を唱えている。
月光色の光がいっそう強まった。
目の端に、ウリエルが立ち上がったのが見えた。
「ウリエルさん!」
呼んだ瞬間、アシュラムが高らかに唱える。
「転移魔法発動!」
瞬く間に、月光が二人を飲み込む。
何か強い衝撃を受け、悠里は意識を手放した……。
第3章終了です。




