2.菜園が荒らされました(2)
「ひどい……」
菜園は見る影もなく、めちゃくちゃになっていた。
ハーブの葉はちぎり捨てられ、良い感じに育っていた大根は掘り返されていた。
名も知らない野菜も、花が咲き、この先の結実を楽しみにしていたところだったのに。
それを、全て奪われてしまったのだ。
「どうして?誰が、こんな……」
何もなくなった畝の側に膝を着き、呆然とする悠里を慰めるように、アルバートが肩に手を置いた。
「今回は残念だったけど、やり直し、出来るでしょ?」
「……それは、そうだけど……」
それでも、結局種から芽が出ず、植え替えを繰り返したこととか、ようやく芽が出たのに、根腐れを起こして植え直したこととか、いろいろな苦労の末にここまで来たことを思うと、憤りを感じずにはいられなかった。
「どうやら、男のようだな」
一人離れた場所で、地面を見ていたウリエルがそう言った。
「え?」
「この畝の上に足跡がある」
アルバートもそこへ行き、畝の上を見ると、確かに大きな足跡が残っていた。
「俺たちなら、ここを歩くような真似はしない。そんなことが平気で出来るのは、部外者だけだ」
「……ですね」
「じゃあ、やっぱり、ここに誰か来て、野菜を抜いて行ったの?ウリエルさんの領地なのに?」
「……おそらく」
「そんな……」
いったい、誰が、何の目的でこんなことをするのか。
(信じられない)
「とにかく、まだ食べられる野菜もあるだろうから、拾って、次のことを考えよう」
「ええ、そうですね。ユーリ。立てる?」
「……」
「ユーリ、しっかりして。これで終わった訳ではないんだよ」
アルバートのもっともな言葉に、悠里はそれでも頷くことが出来なかった。
「ある。それよりも、誰がこんなことをやったのか、調べないと」
「ユーリ。そうは言っても、見当が付かないだろ」
「俺も、もう一度、ここの管理体制を見直すから、今日は邸に帰ろう」
悠里は力なく立ち上がった。
「ウリエルさん……。ここに、誰が入り込めるんですか?貴族の領地に入って来る人なんて、いるんですか?」
「分からない。ここは領地と言っても、管理人を置いているだけで、俺が居住する屋敷がある訳でもないから。塀を巡らせてあるけれど、どこか入り込める場所があるのかも知れない。……ごめん。俺が、きちんと管理していないからだな」
「ウリエルさんを責めてるんじゃないんです。わたしはただ……心無い人がいることが悲しいだけで」
「……うん。そうだね。俺は管理人と話して帰るから、先に帰っておいて?」
頷いて、とぼとぼと歩き出す悠里に、アルバートは付いて行こうとして、思い直したようにウリエルを振り返った。
「ウリエルさん。僕も手伝いますよ?」
「とりあえず、ユーリを邸に」
「はい。そのあと、また戻って来ます」
「ああ。それより、君には市場に行ってもらおうか。新しい種を買いに」
「あ……分かりました。そうします」
「うん。よろしく」
菜園を出る二人を見送ると、ウリエルはもう一度、地面に目をやった。
「溝のない靴、か……」
それを追っていくと、真っ直ぐに小川の方へ向かっている。
嫌な思い出のある場所が目に入り、ウリエルは一瞬顔を曇らせたが、すぐに飄々としたいつもの表情に戻り、小川とは反対の方向になる管理人棟へと向かった。
帰りの馬車の中で終始無言だった悠里は、邸に帰ってからすぐに自室に引きこもり、昼食の時間になっても姿を見せなかった。
「よほど、堪えたのねえ」
コウメさまが心配そうに眉をひそめたのに対し、サムはカラカラと笑いながら、「いやいや。若いうちは、たくさん挫折をしておいた方がいい」と、さも楽しそうに言った。
「まあ。それは、そうですけど……。自分の失敗なら前向きに捉えられても、人の悪意ある行為は、ねえ。特に悠里は感じ易い所あるから。アルも、もう一度出て行ってしまうし、ウリエルも戻って来ないし。若い人って、大変ね」
すでにご隠居の身であるだけに、この二人の会話は人生を達観していて、サラには付いていけない。
結局街に行くと言いながら気分が乗らず、半日を邸でダラダラと過ごした彼女は、どんよりと落ち込んで帰って来た悠里の様子に驚き、兄を問い詰めると、菜園が思った以上の荒らされようで、茫然自失の状態なのだと教えられた。
「僕はウリエルさんの手伝いに行って来るから、サラはユーリを頼むよ」
「ええ?何で、あたしが?」
「こういう時は同性が側にいてあげる方がいいんだ。いつも、お世話になってるんだ。こういう時力になってあげないで、どうする?じゃあ、頼んだよ」
そうして、呼び止める間もなく、出て行ったアルバート。
そんな兄を恨めしく思いながら、サラは最後の一口を頬張った。
扉がノックされたような気がして、悠里は長椅子に突っ伏していた体を起こして、扉の向こうの気配を窺った。
「アル?」
声を掛けたが、返事がない。
気のせいだったかと、もう一度横たわろうとした時、「ユーリ?」と女の子の声が聞こえた。
「え?サラ!?」
「うん……。コウメさまに、あんたの昼食、持って行けって言われて」
「あ、良かったのに」
のそのそと起き上がり、扉を開けると、トレイを抱えたサラが立っていた。
「ありがとう。でも、食欲がないんだ」
「とりあえず、これ、中に入れさせてくれる?あたしが、持って行かなかったみたいに思われるじゃん」
「あ、あ、そっか。うん。じゃあ、とりあえず、どうぞ」
サラは危なっかしい足取りで部屋を進み、やや雑にテーブルにトレイを置いた。
「ありがとう。わざわざ」
「ほんとだよ!あんたがへこんでるからって、何で、あたしが重たいの我慢して持ってこなくちゃ行けないのさ」
「うん。ほんとに、ごめん」
「だから、うざいって言うんだよ」
「……」
「な、なんだよ」
「わたしって、そんなにうざいかな……」
言った途端、涙が溢れそうになって、ギュッと瞼を閉じた。
「だって、何かというと、うじうじしてさ。もっと、あっさりやれないの!?」
「あっさり……」
と言われても、具体的に、どのような状態をあっさりと言うのか。
「ぱっぱと気持ちを切り替えるっていうの?そういうことだよ」
確かに、気持ちの切り替えは下手だと思う。
そんなことを、年下のサラに教えてもらうなんて。
悠里は恥ずかしくなって俯いた。
「とにかくさ、それ食べなよ。兄さんがいつも言ってるよ。人間食べなきゃ終わりだって。空腹だと、思考もどんどん悪い方に転がるからって。あ、あたしは、別に、あんたのこと好きじゃないからね。あんたがどうなろうと、あたしの知ったことじゃないけど。すぐ側で、暗〜い顔していられるのが嫌なんだ。うざいんだって」
「うん。ほんと、うざいね」
胸に何かがストンと収まったような気がした。
(わたしって、ほんと、うざいな……)
「それじゃ、置いてくから、食べなよ!」
サラはそう言い捨てると、もの凄い速さで部屋を出て行った。
(照れてるんだ)
その事が分かって、悠里は他に誰もいない部屋で、くすっと笑った。
そう、見方を変えれば、いろいろな事が前向きに捉えられるようになるんじゃないか。
サラの暴言も、照れ隠しだったり、ちょっとした強がりだと思えば、可愛いものだ。
ひょっとすると、今まで誰かの言葉を深読みし過ぎて、勝手に傷付いて、一人で落ち込んでいたということが、たくさんあったのかも知れない。
そして、人付き合いが苦手だと、自らにレッテルを貼って、己をがんじがらめにして来た。
そういう事もあるんじゃないか。
全てが思い込みとは思わないけれど。
自分の捉え方一つで、世界はこんなにも変わるのだと。
この瞬間、悠里は気付いた。
悠里の体に巻きついた、いや、悠里が自分を守るために、19年かけて巻きつけて来た鎖が、ゆっくりとだが解かれて行く。
それは、この時から始まったのだろう。
見えなかったことが、見えて来る。
やれなかったことが、出来るようになる。
言えなかったことを、言えるようになる。
それはまた、悠里に足りなかった自信を与え、ふわふわと浮きっぱなしだった彼女の足を、この世界の土に、しっかりと着けるきっかけになったのだった。




