23.菜園計画のかたわらで……
リュールからディントに戻って来るとすぐに、悠里は菜園計画を始めた。
ウリエルに手伝ってもらいながら、差し当たっての必要な人数と作業日程をまとめていったのだ。
それは、なかなか骨の折れる仕事だった。
ウリエルは野菜など育てたことがないし、悠里も祖母に言われるままにしていたから、種をどれだけ仕入れたらいいかとか、肥料がどのくらい必要だとか、全く分からなかった。
コウメさまの邸の図書室で二人、ようやく見つけた、この国で唯一存在していると思われる『農業大全』を脇に置いて頭を悩ませていた。
「はあ。自分ちでする家庭菜園なら、適当にしてても野菜育つけど。国家事業になったら、適当って訳にいかないよねえ」
悠里はこめかみを押さえながら愚痴めいたことを口にした。
「国家事業って思わなければいいよ」
「ええ!でも、マリュエル……マリーも国王の命令だって知ったら、作ってくれる気になったでしょ。やっぱりこれって、国から与えられてる仕事なんだよ」
「……まあ、そうかもしれないけど……。でも、ユーリがどれだけ楽しいかってことが大切じゃないのかな?」
「え?」
「野菜を作ることが好き。畑を耕すことが好き。それが根本にあるから、ユーリは家庭菜園をこの国に広めようって思ったんだろ?だったら、まずユーリがこの一連の作業を楽しまなきゃ。国王の命令だとか、そう言うことは置いておいてさ。そうじゃないと、肩凝るよ」
ウリエルの瞳から優しさが溢れ出す。
それに打たれ、受け止めきれず、悠里は俯いてしまった。
「ありがとう。ウリエルさん……」
か細い声で礼を言う悠里に、ウリエルは微苦笑を零して手元の書類に目を戻した。
「俺、ユーリと一緒に出来て、凄く楽しいよ。家庭菜園」
「わたしも。わたしも、ウリエルさんと一緒だと楽しいです!」
顔を上げ、これだけは言っておかなければと、一生懸命に声を出した。
「本当に?邪魔じゃない?」
「そ、そんな。邪魔だなんて。こんなに良くしてもらってて、甘やかされてるくらいなのに、ウリエルさんのことすっごく頼りにしてるよ」
「そう。それは、良かった」
そう言ったウリエルは、どこか寂しそうな表情をして、それを隠すように、また書類に目を戻した。
「ウリエルさん?」
めったに目にしない、ウリエルの一瞬の表情が気になって、悠里はウリエルを見つめたまま固まっていたが、それに気付いた当のウリエルに、「ほら。続きして」と促されてしまった。
「あ。ご、ごめんなさい」
「ねえ。ユーリ」
「はい?」
「そろそろ、ウリエルさんて、やめにしないか?」
「へ?」
「ウリエルでいいよ。ウリエルで」
……ボン!と音が出そうなくらいに、一気に顔を赤くした悠里。
それをおかしそうに見ながら、ウリエルは肩をすくめた。
「ウリエルって呼んでくれたら、明日はいい所に連れて行ってあげる」
「……いい所?」
「そう。いい所」
顔が熱い。胸がドキドキしてる。
それを隠すように、悠里は脇に置いた『農業大全』をぱらぱらと捲った。
「いい所」って、どこだろう。
とても興味があるけれど、「ウリエル」と呼ばなければ、連れて行って貰えないらしい。
自分は、彼を呼び捨てにすることを敢えて避けて来たのだという事に、悠里はこの時初めて気が付いた。
聡いウリエルは、その事に気付いてる?
二人の関係を今のままで留めていたい。それが、悠里の思い。
兄と妹のような関係のままでいいのだ。
それ以上は、望まない。望みたくなかった。
でも。きっと。ウリエルはそれ以上を望んでいる。
チェサートのレストランでそれらしき事を言われてからは、ウリエルもそれらしい素振りを見せることはなかったけれど、いくら鈍い悠里でも、そのくらいは分かるのだ。
「え、えっと」
「ん?」
「明日は、コウメさまのお茶会に出るから……」
「……それは、俺も出るよ。その後に行こうよ」
「う、うん……」
もじもじと俯く悠里に気付かれないように溜め息をついたウリエルは、「ごめん。困らせるつもりはなかったんだ」と言って、書類を片付け始めてしまった。
「ウリエルさん?」
「いい所、お茶会の後に行こうね」
「あ、あの」
「無理なことは無理って、はっきり言ってくれたらいいんだ。これから外務部に行って来るよ」
「はあ……」
そう言い置いて、図書室をさっさと出て行ってしまったウリエル。
「怒らせちゃったのかな?」
悠里はしゅんとなって、無意識に『農業大全』を弄んでいた。
ここまで世話になっているウリエルのことを、呼び捨てにするくらい構わないじゃないかと自分でも思う。
でも、そうしようと思う程、緊張して、顔が火照ってしまう。
(わたし、ウリエルさんの事、意識してるんだ……)
なんとも思ってなかったら、本当に兄のように思っていたら、きっとすんなり呼び捨てに出来ただろう。
(そうか。わたし、ウリエルさんのこと……)
好きとまでは行かないけれど、きっと彼は特別なのだ。
でも。
コウメさまのように、好きな人の胸に素直に飛び込むことが出来ればいいけれど。
悠里はまだ元の世界に未練がある。
だから自分の気持ちに素直になり切れない。
ウリエルの差し出す手を、心から握り返すことは出来なかった。
「明日、行こうと思います」
外務部に出かける前、ウリエルはコウメさまの元を訪れた。
コウメさまは編み物の手を止め、ウリエルを見た。
「疲れた顔をしているわね」
「そう、でしょうか?」
「旅の疲れ、という訳ではなさそうね。ユーリと何かあった?」
「……おばあさまには、隠し事は出来ませんね」
「あら。しようと思う方が間違っているわ。大丈夫なの?」
「ええ。俺が自爆しただけだから……」
コウメさまは小さく目を瞠ると、「まあ」と言って、くすくす笑った。
「何も笑うことはないでしょう」
「お前もまだまだ若くて、不器用ね。ウリエル」
「……まあ、ことユーリに関することでは、自分でも辟易するくらい不器用ですよ」
コウメさまは余程可笑しかったらしく、まだくすくす笑っている。
「では、俺はそろそろ……」
これ以上針のむしろは嫌だと退出しようとするウリエルを、コウメさまは笑いながら呼び止めた。
憮然とするウリエルに、コウメさまは言った。
「無理やり家族と引き離され、この世界に来たユーリの心に寄り添っておあげなさい。あなたがあの子にとって、家族以上の存在になれば、きっと受け入れてくれるでしょう」
その言葉に、ウリエルははっとした顔をした。
「おじいさまは、おばあさまにとって、そんな存在だったのですか?」
「ええ。あの方は、わたくしにとって、唯一無二の、運命の相手でしたからね」
「……」
ウリエルは頭を下げ、何も言わず出て行った。
自分が悠里にとって、運命の相手などというものではないだろうことを確信しながら……。




