20.ついに交渉、ですか?
エルク卿の屋敷を辞し、馬車も宿に帰らせてしまってから、悠里とウリエルは石畳の街を歩いていた。
(この先の市場に行って、何かおやつでも)と考えていた時だった。
前を歩いていたウリエルが振り向いて、「ここに入ろう」と脇の建物を指差した。
「ここって……レストランですか?」
とてもそんな感じの店には見えないのに、悠里は呆けた顔でそう言った。
「いや。違うよ。リュール王国商工会議所」
けれどウリエルはそれ以上は教えてくれず、さっさと建物に入って行く。
「あ、ちょっと。待ってくださいよ、ウリエルさん!」
悠里も慌てて、後追って中に入った。
そこは事務所のような所なのか、うず高く書類の積まれた机や座り心地の好さそうな椅子が並んでいた。
きょろきょろと見回す悠里を尻目に、ウリエルは受付嬢と思しき妙齢の女性に声を掛けている。
「お約束は?」
女性は艶めかしい声でそう訊ねた。
「いえ、ありません。ですが、ディントのウリエルが来たと言って頂ければ、分かってもらえると……」
「……では、少々お待ちを」
受付嬢が奥の部屋に入って行くのを見届けると、ウリエルは小さく息を吐いた。
「ウリエルさん?」
「俺の知り合いなんだけど、少々難しい人だから……」
「あ、会わなきゃだめなんですか?」
「あの人は顔が利く。俺たちが一から話を決めて行くことを思えば、渡りをつけておいた方がいい」
「……」
心なしかウリエルが緊張している。悠里はそう感じた。
「お待たせ致しました」
受付嬢が戻って来て、件の人物が会うと言っていると告げた。
「良かった。ありがとうございます」
「ただ、ご面会の時間は十五分ほどしかございません。何分お忙しい方ですので」
「分かりました」
受付嬢に一礼すると、ウリエルは悠里に「行こう」と声を掛け、奥の部屋に向かった。
悠里は受付嬢の探るような視線に怯えながら、ウリエルの後を小走りで追いかけた。
扉をノックしたウリエルは、一度悠里に視線をやると、安心させるように微笑んだ。
(うっ。わたし、そんなに不安そうな顔してたかな……)
悠里は思わず両頬に手を当てた。
「どうぞ」
中から聞こえた、低く抑揚のない声に、ぴっと背筋が伸びる思いがした。
声だけで、人を威圧することの出来る人種。
いったいウリエルはどんな人に会いに来たのだろう。
悠里はウリエルの微笑みを受けてもなお不安になりながら、ウリエルの後に続いて部屋の中に入って行った。
その部屋は、外の雑然とした事務室とは比べ物にならないくらい整理整頓が行き届いていた。
全ての物が、あるべき場所に納められている。
それは、そのまま、この部屋の主の性質を表しているように思えた。
その人は執務机の向こうで書類を見ていた。こちらが部屋に入っても一瞥もくれない。
悠里はその態度に何となくむっとしたけど、そこはぐっと堪えて、ウリエルが何か言うのを待っていた。
「ご無沙汰しています。ヤン・ノーバック会頭」
ようやく書類から顔を上げて、こちらを向いたノーバック会頭は、ニコリともしないで、手にした書類を机の上に放り出した。
「君か。ウリエル。ロンドベル子爵などと言うから、誰かと思った」
「ご冗談を。お分かりの筈ですが?」
ははと乾いた笑いを漏らすウリエルは、思いの外やり辛そうだった。
(ウリエルにも苦手な人っているんだ……)
ヤン・ノーバックはまだ若そうに見えるが、如何にも切れ者と言った風貌をしていた。
細面の顔は秀麗だが、柔和な印象は一切受けなかった。
鳶色の髪をきっちり撫で付けていて、一片の乱れも許さないという感じ。
そして何よりも印象的だったのは、片目だけを眼帯で覆った、隻眼であったということだ。
顕わになっている片方の眼は鋭く、まるで肉食獣のように、悠里達を見据えていた。
「それで?君がわざわざ来たのには、余程の訳があるのだろう?」
「ええ。実は……」
ウリエルが細かに説明している間、ヤン・ノーバックの視線は悠里に注がれていた。
気のせいではない。
彼は悠里に目を据えながら、にやにやと口の端を歪めて笑っている。
そんな嫌味な態度すら、彼にとても似合っていて、悠里はこくりと喉を鳴らした。
「という訳なのです」
ウリエルが話し終えると、やっとヤンの視線が悠里の上から外れた。
悠里は気付かれないようにほっと息を吐いてウリエルを見上げると、心配そうなウリエルの瞳がそこにあった。
「!」
けれどウリエルは何も言わず、小さく微笑んだだけで、すぐに視線をヤンに戻してしまった。
「如何ですか?ノーバック会頭」
「君の説明は分かったが、ウリエル。それで、我々にどんな益がある?」
「我々……ではなく、あなたに、と申し上げた方がいい」
「ほう。この俺に?」
ヤンの鋭い眼が、一層凄みを帯びた。
「ええ。あなたがなさっている、あれやこれやのことを……」
ドンッと机が叩かれた。
「ひえっ」
「おめえ。人が黙って聞いてやってるのに、脅す気か?」
「え、え、ちょっ……」
態度の急変したヤンと、飄々とした表情を崩さないウリエルとを、悠里はおろおろと見比べた。
「そんなつもりはないさ。お前があんまりかしこまってるから、からかいたくなっただけで……」
「ふん。相変わらずだな。ウリエル。新顔がいるから、ちょっと丁寧に対応してやっただけだ」
「ああ、なるほど」
ウリエルはくすりと笑うと、悠里に「こういう奴だから」と囁いた。
「おまっ。こういう奴ってどういう奴だよ」
「あれ?聞こえた?」
「ふ、ふん。お前の趣味も悪くなったな。こんなちんくしゃ、連れて来るんだから」
「ち、ちんくしゃ……」
そんな言葉、久しぶりに聞いたよ……。
「悠里は可愛いよ」
「はあ?」
「悠里は可愛いんだ」
ウリエルの言葉にヤンは唖然としていたが、「があ。すっごい、かゆいい」と手や背中をぽりぽりし始めた。
「お前がくっさいこと言うから、じんましんが出たじゃねえか」
「だって、ほんとの事だからさ。しょうがないだろ。それより、さっきの話」
ヤンはまだぽりぽりしながら、「だったら、そいつの本気、見せてみろよ」と言い放った。
「本気?」
「ああ。その小娘の本気だ。それなりのやる気がなけりゃ、俺は一切手を貸さねえぞ」
凄みのある視線に悠里は身を小さくしたが、ウリエルはそんな悠里の肩をさり気なく引き寄せて、ヤンに微笑んだ。
「急いでるんだ」
「こいつを」
ヤンは一枚の紙片を悠里に向かって放った。
「え?」
拾い上げると、そこには誰かの名前らしきものが書いてある。
「腕のいい職人で、しばらく納期にゆとりがあるのは、そいつだけだ。そいつを小娘一人で説得してみろ。ウリエルの助けが少しでも入ったと分かったら、そこでこの話は終わりだ。いいか?小娘一人で、だぞ」
「マリュエル・フォッセ。市場でも、よく値札に名前が書かれているな」
「わたし、一人で?」
「無理だ~って顔しているな。端から諦めた方がいいんじゃねえか」
「ユーリ?」
ウリエルの心配そうな顔と、ヤンの半ば面白がっているような顔。
悠里はぷるぷるとかぶりを振って、ウリエルを見た。
「わたし、やります」
ここまでウリエルに助けて貰って来たのだ。
正念場で自分の力を試せなくて、どうする?
悠里は紙片を握り締め、挑むようにヤンを睨んだ。
「わたし、絶対、鍬を手に入れますからっ!!」
顔を紅潮させて、そう宣言する悠里を、ヤンはぽりぽり腕を掻きながら見つめ返していた。




