15.旅の馬車で二人きりです(2)
チェサート国の衛兵が守る門の前で馬車が停車した。
石造りの塀から続くその門もまた、頑丈な石で出来ていた。
物々しい雰囲気の中で、馬車の扉がノックされる。
「失礼。手形の確認を」
そう言いながら、衛兵が扉を開けた。
「ああ。これを」
あらかじめ出しておいた手形を、悠里の分も合わせて、ウリエルが差し出した。
衛兵はさっと目を通すと、「ロンドベル大公家の方でありますか」と言ってウリエルを見た。
「ああ。所用でリュール王国まで行くところなのだが、この子が是非チェサート国も観光したいと言うので、少しこちらにも滞在する予定だ」
「それは光栄であります!」
びしっと敬礼して、衛兵はにこやかな笑顔を見せた。
「失礼ですが、そちらの方は?ロンドベル大公家の縁戚の方でしょうか?」
手形に悠里の続柄が記されていないのが気になったようだ。
ウリエルは小さく肩をすくめると、衛兵に顔を寄せ囁いた。
「そこは察して貰うと有り難い。長の別れが辛いと泣いて縋られては仕方あるまい?」
「あ、ああ……なるほど。子爵さまの……」
妙に納得した表情で、衛兵は身を引いた。
「恋人さまとのご旅行。どうぞお楽しみください」
もう一度敬礼する衛兵に、手を振って応えるウリエル。
高貴な生まれの、優雅な紳士らしい振る舞いだった。
馬車がゆっくりと動き出す。
無事関所を通過できたようだ。
だが、心穏やかでない者が一人。
「ウ、ウリエルさん」
固い声に顔を向けると、強張った表情の悠里がいた。
「どうした?」
「こ、恋人さまって、どういうことですか!?わ、わたし、ウリエルさんと恋人じゃないですよ!!」
「ああ。それか……」
聞こえただろうなとは思ったけれど、そんなに顔を強張らせることもないだろうに。
内心傷付いたが、ウリエルは穏やかな表情を崩さなかった。
「けど、お前の素性をそのまま明かす訳にはいかないだろう?俺の妹だと言ってもいいけど、そうなると戸籍の提出を求められた時に厄介だ。その点、貴族の恋人だと言えば、案外顔パスだからね」
「そ、そんなもんなんですか?」
「不満かい?」
「不満とかではないけど……。でも本当に恋人でもないのに、違和感ありまくりと言うか……」
ドレスのスカートを弄びながら、悠里はもごもごと口の中で喋っている。
「嫌なら、やめよう。でも俺は、嘘でもお前と恋人を演じられるなら嬉しいけどな」
「え!?」
驚いて顔を上げた悠里を、いつもの真っ直ぐな瞳で見つめ返すウリエル。
「ど、ど、どうしてですか?」
「面白いから」
「はあ?」
「妹よりも面白いだろ?恋人の振りをする方が」
「そうでしょうか?」
悠里は小首を傾げた。
(どうしよう……。いつもはあんなに分かりやすく説明してくれるウリエルさんが、訳分かんなくなっちゃってるよ!)
すると突然ウリエルが立って、悠里の隣に席を移って来た。
途端に沈み込む座席に体を持って行かれそうになりながら、辛うじて悠里は耐えた。
「この旅の間だけだ。手形の確認の時だけでもいい。ちょっと俺に、ユーリの恋人を演じさせてくれないか?」
「……ウリエルさん……?」
ウリエルの薄青色の瞳が切なげに揺れた。
揺らぐことのない瞳が、悠里を映しながら揺れている。
「嫌か?」
その声に胸がキュッと痛くなるのを感じて、悠里は慌てて首を横に振った。
「いいの?」
「ふ、振りだけですよ?」
「もちろん」
「手握ったり、キスしたりとかなしですよ」
そう言うと、ウリエルはくすっと笑った。
「キスは我慢するけど、手を握るくらいは許してほしいな」
「ええ!?」
「アシュラムには手を引かれてたじゃないか」
拗ねたように言うウリエルに、悠里は戸惑った表情を向ける。
「それは意味が違うと思いますよ?アシュラムさんはエスコートしてくれてただけですから」
「なら、俺にもエスコートさせてくれてもいいだろ」
「それは……そうですけど……」
飄々として、冷静なウリエルが、なんだか我儘な少年になってしまったみたいだった。
「ウリエルさん。そんなにわたしと、恋人の振りしたいんですか?」
「したい」
いつもなら適度な距離を保ってくれるウリエルが凄く近い。
馬車が傾いだら、唇と唇が触れそうなくらいに近かった。
ドキドキと速くなる動悸を感じて、悠里は顔を赤らめながら俯いた。
「じゃ、じゃあ、手形を見せる時だけですよ?」
「……いいよ」
「いいよ」の前の間が気になったが敢えて触れず、悠里は「じゃあ、それでお願いします」と呟いた。
不意に、ウリエルの手が悠里の顔に触れた。
びくっとして顔を上げると、ウリエルの切なげな瞳にぶつかった。
痛いくらい早鐘を打つ心臓をどうすることも出来ず、固まってしまった悠里は、ただその瞳を見つめ返すことしか出来ない。
その瞳が次第に近づいて来る。
悠里はぎゅっと瞼を閉じた。
ウリエルの唇が、かすめるように悠里の額に触れて、すぐに離れた。
(あっ)と思って瞼を開けた時には、もうウリエルは身を離し、背もたれに深く身を沈めていた。
「もう触れないって、約束するよ」
絞り出すように告げられた言葉に、悠里の胸も締め付けられる。
(ウリエルさんじゃないみたいだ……)
こんな重苦しい空気は嫌だった。
「絶対、約束ですよ」
だから悠里は怒ったように言ってしまった。
ウリエルはしばし沈黙した後、「ああ。もうしない」と言って瞼を閉じ、腕を組んで自分の中に沈んでしまったようだ。
悠里は彼から距離を取ろうと窓際に寄った。
けれど窓の外は見てはいなかった。
窓に映り込んだウリエルの姿を、ずっと見つめていたからだ。
彼の常とは違う行動に戸惑っている自分と、そんな彼から逃れようとしながら、心のどこかで受け入れようとしている自分を見つけてしまった。
そんな自分にも、悠里はひどく戸惑っていた。




