9.この感情を……。
いつもは静かな水面のようなアシュラムの瞳に、激しい感情の渦を見つけて、ウリエルはそっと息をついた。
神官としての厳しい修行に耐えてきたアシュラムが、己れの感情を抑えられずにいるということは、それだけ思いが強いということだろうか。
それは、執着なのか。
それとも、純粋な恋情なのか。
今の時点では、ウリエルには分からなかった。
「何故、君がここにいる?アシュラム」
我知らず声が低くなることをどうすることも出来ず、ウリエルは尋ねた。
それ程親しくしている訳ではなく、アシュラムが祖母の元を訪れた際に挨拶を交わすぐらいの間柄で、ウリエルが外務部の仕事を始めると、その機会も無くなってしまった。
二人が会うのは半年ぶりぐらいで、アシュラムが今何を思い、どう行動しようとしているのか、ウリエルには皆目検討もつかなかった。
「コウメさまに、姫が外務部に行かれたとお聞きしたので。それで……」
ウリエルの問いに答えながらも、アシュラムの視線は悠里に注がれている。
そのことにウリエルは少しいらっとしたが、言い淀むアシュラムに先を促した。
「外務卿をお訪ねしたら、もう退出されたと。どうしても、お話ししたいことがあったので、姫を探していたのです」
「で、俺たちを見つけた、と」
「……ええ。そうです」
その時アシュラムの視線がウリエルに動いた。
その睨むような目付きに、ウリエルはまた溜め息をつく。
「何か、勘違いしているようだが……」
「勘違い?」
「ああ。ユーリが俺を伴侶にだなんて、どうしてそんな風に思ったのか知らないが、俺はユーリの付き添いをしているだけだから」
「あなたのお父上が……」
「俺の?」
「あなたを姫の伴侶にと。そう決めたと仰っていましたが?」
(まあた、あの人は!一人で突っ走ろうとしているな)
内心、父の執務室にとって返したくなりながら、ウリエルは「はは」と乾いた笑いを漏らした。
「君は素直なのか、単純なのか……。父の妄想を真に受けたのか?まだ出会って間もない俺とユーリが、そんなことになる筈ないだろう?」
ウリエルの言葉に、アシュラムは考え込むように口元に手をやった。
薄青色の瞳が揺らいでいる。
「あ、あの」
「ん?」
「わたしの伴侶って、どういうことですか?」
「ああ……」
ここにも一人、事細かく説明してやらないと、事態を把握できない人間がいたようだ。
(さっきから溜め息ばかりだな……)
「どうやらアシュラムは、俺とお前が結婚するんじゃないかと勘違いしているみたいなんだ」
「け、け、け、結婚!?」
ズザーッと壁際まで退いた悠里に、ウリエルは「そんなに引かなくても」と不満げに呟いたが、すぐに気を取り直してアシュラムを見た。
「な?」
「え?え、ええ……。そうですね。私の早とちり、だったのですね」
ようやくウリエルを見るアシュラムの目が柔らかくなった。
「よく考えれば分かることなのに、つい……。見苦しく問い正すような真似をしてしまいました」
心底ほっとしている様子のアシュラムに、また少しいらっとしたが、ウリエルは何でもないことだと言うように手をひらひら振って見せた。
「何か、ユーリに用があるんだろ?俺はあっちで待ってるから、話すといい」
再びアシュラムの視線が悠里に移った。
そして、まだ壁際で固まっている悠里に微笑みかけた。
その微笑みに、深い感情が秘められていることに気付いて、ウリエルの胸がきゅっと苦しくなる。
気付かなくてもいいことに気付いて、その上彼らを二人切りにさせたくないと思いながら、余裕ぶって悠里の隣を明け渡す。
(俺も素直じゃないな……)
ただ無様な姿を見せたくないだけなのか。
自分でもよく分からないまま、ウリエルはアシュラムを促した。
アシュラムがゆっくり悠里に近付いて行く。
そんな彼を止めたくなるのを、ウリエルはぎゅっと両の拳を握って耐えていた。
アシュラムが悠里の前に立つ。
そして二言三言、言葉を交わした。
それから二人が連れ立って歩き出す。
ウリエルは見ないようにしながら、そんな二人の様子を気配で探っていた。
「ウリエルさん。待ってて下さいね」
顔を背けていたウリエルに、悠里が声を掛けた。
「待ってて」と。
それだけの言葉に、胸が弾む。
「ああ。待ってる」
もう自分が後戻り出来ない所まで来ていることを感じながら、ウリエルは頷いた。
嫌がらずに付いて来てくれる。
そのことだけで、アシュラムは十分だった。
拒否されてしまったらそこで終わりだが、まだ彼女の心に寄り添える余地があるのだと信じてもいいだろうか。
アシュラムは傍らを歩く悠里を盗み見た。
数日前と変わりない悠里の表情にほっとして息をついた。
喧嘩別れのようになってしまったことに、どれだけ己れの不甲斐なさを責めたか。
けれど、数日、間を置いて正解だったと、今なら思える。
その間もう一度自分の思いを見つめ直せたからだ。
この機会を無駄にしたくはない。
アシュラムはそっと悠里の手を取った。
最初のように。
最初からやり直すために。
彼女をエスコートする。
彼女の手が触れた途端、アシュラムの心が震えた。
(この手の温もりを自分の物にしたい)
それは、彼の抑制された半生で、初めて自ら欲したものだった。
そうしてアシュラムは悠里を外務部の庭へと導いた。
窓越しに、二人の姿をウリエルが追っていることなど露とも知らずに。
出会ってからの時間ではないのだと。
自分では制御不能な感情もあるのだと。
誰も教えてはくれなかった。
気付いて初めて、その感情の激しさを知り戸惑うのだ。
だが、それは同時に、とても甘く、切ない衝動を己れにもたらす。
その衝動をぶつけてしまったらどうなるのか。
その事に慄きながら、それでも彼女を求めて止まない。
この腕の中に閉じ込めてしまいたいと。
ただひたすらに思うだけだ。
この感情を抑える術を、俺は知らない……。
この感情を抑える術を、私は知らない……。




