6.政治のことはよく分かりません
外務部は王宮とはまた別の場所にあった。
そこは王宮に引けを取らないくらいの敷地面積を誇り、国にとって如何に重要な部署なのかが窺い知れる。
外務部は当然他国との交渉の役割を持っており、度々国を留守にすることの出来ない国王の代役を担うのだ。
その長がウリエルの父である、サベイル・デュ・ロンドベル大公だった。
その怜悧な頭脳と冷徹な判断力から氷の外務卿とのあだ名まである、一種独特な存在だった。
だが決して独善的ではなく、国王や宰相の信頼も厚い。
彼の念頭にあるのは常に国益であり、それに値するものには多大な援助を惜しまなかった。
だが、一度彼に見限られると地獄が待っていた。
それまでの地位や財産を失い路頭に迷うのだ。
だからこそ怖れられているのだが、息子はと言えば、どうやらそんなこともないらしい。
これから会う外務卿について教えて欲しいと悠里に請われ、しばらく考えた挙句に言った言葉が、「ただの鬼畜だ」だった。
「き、ちく……?」
まさかそんな言葉がウリエルの形の良い唇から生み出されるとは思っても見なかった悠里は、一瞬聞き間違いかと思ったが、そうやらそうではなかったようだ。
ウリエルは父が如何に鬼畜であるかを、隣に座る奥手な少女につらつら話して聞かせた。
それは悠里の想像を超える衝撃的な内容で、とてもじゃないが許容出来そうになかった。
「とまあ、こんな感じに鬼畜なんだ。酷いだろ?」
そう聞かれても「は、はあ、そうですね……」と相槌を返すくらいしか余裕がなく、悠里はますます緊張してきて、外務卿に会っても、ウリエルの話を思い出して、まともに顔を見ることも出来そうになかった。
しかし、外務部の応接室に通され面会した外務卿は、ある程度悠里の中で出来てしまっていたイメージとは真逆で、実に紳士的な人だった。
ウリエルよりももう少し日本人ぽさがあるものの、綺麗なハーフ顔で、悠里を見る目も穏やかだ。
その目は切れ長で、ウリエルのものとよく似ていた。
けれど、そこに宿る光は息子よりも鋭く、怜悧な政治家の眼差しだった。
「卿。こちらが先日お話ししたユーリです」
ウリエルの紹介にぺこりと頭を下げると、サベイル外務卿は鷹揚に頷いた。
「異世界より召喚されたと聞いていた。いつか会いたいと思っていたが、まさか、こんなに早く叶うとはな。今は母の元におられるとか。不自由はないかな?」
「あ、えと……はい。ないです。コウメさまもとても親切にしてくれますし」
「それなら良かった。母は、こちらに来た当初は習慣の違いに戸惑ったと話したことがあったから。同じ世界の者同士。母とは話も合うだろう」
「は、はい。そうですね」
時代も違うし、身分も違うけれど、確かにコウメさまとは話が合う。
同郷のよしみというものだろうか。
「何かあれば、このウリエルに言うといい。何分私はこの外務部に住んでいるようなもので、邸にはほとんど帰らないからね」
「お気遣い、有り難うございます。でも今は本当に不自由なく生活させて頂いてますから大丈夫です。コウメさまとお話しするようになって、大分気持ちも落ち着いたし。ウリエルさんも、とても親身になってくれるから、本当に有り難いです」
「そうか……。我らには、あなたと同じ血が流れている。母がこの世界に来なければ、私もウリエルもこの世界に生まれることはなかった。あなたにも会うことはなかった。なんと不思議な巡り合わせであろうか。こうしてこの世界で出会ったからには、我らはあなたに助力を惜しまない。どうか、この世界での家族と思って、隔てなくいてくれるように願っている」
「……」
悠里の胸がジーンと熱くなった。
(すっごい、いい人じゃん)
ちっとも鬼畜なんかではない。
悠里はすっかり真に受けていたけれど、もしかすると、あれはウリエルの冗談だったのだろうか。
「本当に有り難うございます。家族だなんて言ってもらえて嬉しいです」
「ああ。となれば、ウリエルはあなたの兄だな。しっかり甘えなさい」
「え、お兄さん?」
悠里は思わず、隣に座るウリエルを見た。
彼はなんとも言えない複雑な表情で、悠里を見つめ返している。
「お兄さん……か」
「ああ……。らしいね」
すっと肩をすくめたウリエルに、父であるサベイル外務卿はふっと笑うと、
「お前には兄弟がないから丁度良かったではないか?可愛い妹が出来たのだからな」
と半分からかうように言った。
「ええ、そうですね。嬉しいですよ。妹が出来て」
何故かウリエルはやけっぱちのように思える。
「あ、あの。妹のような(・・・)もので、本当に妹じゃないから、あんまり気を遣わないでくださいね」
思わず、そう言ってしまったほど、ウリエルは、迷惑そうに見えたのだ。
「……ああ、そうだね。それより、外務卿。例の話のご返答をお願い出来ますか?」
「例の話?」
「ああ。君が鉄製品を輸入したいって言った話だ」
「あ……」
「今日はその話をする為に来たんだろ?」
「そう、でした……」
サベイル卿の家族認定に舞い上がって、肝心の話をすっかり忘れていた。
「卿。ご返答は?」
ウリエルがもう一度促すように言うと、サベイル卿は考え事をするように、しばらく瞼を閉じていた。
ややして開けると、「返事は、否、だ」ときっぱり言った。
「鉄製品を輸入することは、我が国にてっと有益だと思いますが?」
珍しくウリエルが焦っていた。
まさか断られるとは思っていなかったのだろう。
「理由を言おう」
そんな息子を、いや、今は外務部の部下としてのウリエルを諭すように、サベイル卿は静かに告げた。
「鉄製品が手に入れば、確かに有益だろう。だが、それには対価がいる。我が国に、リュール王国が満足するだけの対価を支払う能力があるか?いや、ない。リュールにとって、鉄は最大にして、唯一の収入源だ。その対価は、魔法だけでは足りぬだろう。特にリュールは魔法を厭うところがある。だから、我が国はリュール王国の鉄を輸入することは出来ないのだ」
「……そんな……」
悠里の呟きが、部屋の中にやけに大きく響いた。
「お前はユーリの兄だ。お前がなんとかしてやれ」
「無茶言いますね。私にはまだ、何の権限もありませんよ」
「外務部員としてはな。だが、兄としての権限なら、いくらでも使えるだろう?」
「兄としての権限!?」
「そうだ。外務部は一切動かぬ。これは、お前たち兄妹で何とかしろ」
「しかし!先日は乗り気でいらっしゃったではありませんか?」
「あれは、ユーリに会えるのを楽しみに思ったからだ。いいか、ウリエル。くれぐれも勘違いするな。私がユーリに会ったのは家族としてであり、外務卿としてではない。鉄製品を輸入するという話。外務部は一切関与せぬ」
「……分かりました。ユーリ、行こう」
ウリエルはサベイル卿を睨むようにして立ち上がった。
「ウリエルさん……」
「ユーリは、この国の為に何か出来ることはないかとやってくれているんだ。それを、あなたは踏みにじるのか?」
ウリエルの怒りを、サベイル卿は穏やかな笑みでかわした。
「そんなつもりはない。だが、これは政治の場では扱えぬと言っているまで。家族としての援助なら、惜しむつもりはない。なんなら資金を提供してやるが?」
「……あなたは……いや、いい。資金はいくらあってもいい。お願いします」
「ふん。それでこそ我が息子、か。だが、ユーリを泣かすようなことだけはするなよ。リュールは一筋縄ではいかない国だからな」
「言われなくても分かっています。だから、あなたの力を借りたかったんだ。外務卿としての力をね。けれど、それを望めないとなると、ここにいても仕方ない。行こう。ユーリ」
ウリエルがそう言って悠里の腕を引いた時、サベイル卿がこう言った。
「そなたの考えは素晴らしい、ユーリ。魔法を持たない民には画期的なことになるだろう」
大人の事情は分からない。
外務卿が無理だと言えば、無理なのだろう。
なら、自力でやるしかない。
悠里は深く頷いて、「いいご報告が出来るように頑張ります」と力強く言った。
するとサベイル卿は切れ長の目をさらに細くし、うんうんと頷いた。
「素直な、良い子だ。ユーリ。兄にその素直さの半分でもあればいいものを……。まあ、言っても詮無いことだ。これを育てたのはわたしなのだからね」
「私を育ててくれたのは、おばあさまですよ」
「うるさい。ともかく、無事で、ユーリ」
悠里たちが部屋を辞したあと、サベイル卿は深いため息をついた。
「この国は弱い。指で押せば倒れそうなくらい脆弱だ。強くならなければ、な。私の娘のように……」
一見すると、華奢で、か弱そうに見える悠里。
だがその実、内面に太くて強い柱が一本立っているかのようだ。
少々の風ではびくともしない、あの強さを信じたい。
(ああ。あれと同じ強さを持つ人を、私はもう一人知っている……)
サベイル卿は椅子に体を預け、瞼を閉じた。
その瞼の裏に浮かんでいるのは、彼の母である、コウメさまだった。
(我々が家族として出来るのは、あの子が少しでも心安らかに過ごせるようにと気を配ることだけだ。心の中の柱が折れることのないように。……それが、この国の為に彼女を呼んだ、我々の責務でもあるのだから)
この世界での父として。
そして、召喚者の立場の政治家として。
サベイル・デュ・ロンドベル外務卿は、この日より、悠里の庇護者の一人となった……。




