第8話『もう一人の記憶』
バラエティー番組の収録から数日後。
龍は久しぶりに実家へ帰っていた。
実家は都内にある。
それでも最近は仕事が忙しく、顔を出す時間もなかなか取れなかった。
駅から歩いて十五分。
見慣れた道を進み、石畳の階段を上っていく。
階段を上りきり、振り返る。
綺麗な青空の下、木々の向こうに住宅が小さく見えていた。
「……懐かしいなぁ」
龍は微笑んだ。
細い道を歩いていくと、見慣れた家が見えてくる。
玄関のドアを開ける。
「ただいま」
「おかえり、龍」
母親の声が聞こえた。
龍によく似た母親だった。
特に笑った顔は、まるで龍をそのまま女の子にしたようだった。
その声を聞いた瞬間、龍の表情が緩む。
「久しぶりね。ちゃんと食べてる?」
「食べてるよ」
「本当に?」
「本当だって」
リビングでは、父親がテレビを見ていた。
寡黙な父親。
がっしりとした体つきで背も高く、黙っているだけでも存在感がある。
「おう」
「ただいま」
「最近、よくテレビに出てるな」
「まあ……仕事が増えたから」
「そうか」
父親はそれだけ言うと、再びテレビへ視線を戻した。
そこへ妹がやってくる。
妹もまた、龍によく似ていた。
「お兄ちゃん、売れっ子俳優様じゃん」
「やめろよ」
「サインください」
「いらないだろ」
「将来、高く売れるかもしれないじゃん」
「売るなよ」
家族が笑う。
龍も笑った。
この感じ。
昔と何も変わらない。
「ご飯できてるから、手洗ってきなさい」
「はーい」
龍は洗面所へ向かった。
鏡を見る。
テレビに映る自分。
雑誌に載る自分。
CMで笑っている自分。
最近は、自分の顔を画面越しに見ることが増えた。
けれど――
実家の鏡に映る自分は、昔と同じように見えた。
ただの息子。
ただの兄。
龍は小さく笑った。
「……なんか、変な感じだな」
*
夕食のテーブルには、母親が作った料理が並んでいた。
「これ、龍が好きだったやつよ」
母親が皿を置く。
「覚えてる?」
「もちろん」
龍は箸を取った。
一口食べる。
「……懐かしい」
「でしょ?」
母親が嬉しそうに笑う。
龍はもう一口、料理を口に運んだ。
その瞬間――
頭の中に、昔の光景が浮かんだ。
小さなテーブル。
今より低い椅子。
向かいに座っている母親。
テレビから聞こえてくる音。
窓の外から差し込む夕方の光。
父親が新聞をめくる音。
隣では、妹が何かを話している。
龍は箸を止めた。
「……」
「どうしたの?」
母親が尋ねる。
「いや……」
龍は周囲を見回した。
今の家と、昔の家。
ほとんど同じだった。
それなのに――
さっき頭に浮かんだ光景は、あまりにも鮮明だった。
何年前のことなのか。
龍にはすぐに分かった。
六歳。
いや……七歳だったか。
その日の天気まで思い出せる。
母親が着ていた服。
テレビで流れていた番組。
父親が新聞をめくった回数まで。
「……全部、覚えてる」
「何が?」
「いや……なんでもない」
龍は笑った。
けれど、心の中には違和感が残っていた。
以前なら、こんなことはなかった。
子どもの頃の夕食なんて、もっと曖昧なものだったはずだ。
忘れていた部分があって当然だった。
なのに今は――
忘れていたはずのことまで、全部戻ってくる。
*
夕食が終わると、妹がソファに座りながらスマートフォンを見ていた。
「そういえば、お兄ちゃん」
「ん?」
「この前のCM見たよ」
「ああ……」
「子どもの頃のお兄ちゃん、めっちゃ笑ってたね」
「やめろよ。恥ずかしい」
「かわいかったじゃん」
「今は?」
「今?」
妹が龍を見る。
「……まあ、普通」
「なんだよ、それ」
二人で笑った。
母親が食器を片付けながら言う。
「昔から変わらないわね」
龍は、その言葉を聞いて少しだけ嬉しくなった。
変わらない。
その言葉が、今は妙に嬉しかった。
俳優として成功しても。
テレビに出ても。
CMに出ても。
家族にとっては、自分は昔と変わらない。
それでいい。
龍はそう思った。
*
その夜。
家族が眠ったあと、龍は一人で客間の布団に入った。
目を閉じる。
眠ろうとする。
けれど――
眠れなかった。
今日の夕食の光景が、頭の中で繰り返されていた。
母親の声。
父親が新聞をめくる音。
妹の笑い声。
料理の味。
部屋の匂い。
照明の明るさ。
すべてが鮮明だった。
「……」
龍は目を開けた。
天井を見る。
「忘れられないって……こういうことなのか」
しばらく天井を見つめる。
そして、もう一度目を閉じた。
その瞬間だった。
――知らない場所が、頭の中に現れた。
白い壁。
白い天井。
病院のような場所。
「……え?」
龍は目を開けた。
しかし、光景は消えない。
ベッド。
白いシーツ。
その横に立っている――女性。
知らない女性だった。
龍は、その顔を知らない。
会ったこともない。
なのに――
胸が締めつけられた。
苦しい。
悲しい。
そして――
会いたい。
「……誰だ?」
女性は何かを話している。
けれど、声は聞こえない。
その隣には、小さな男の子がいた。
泣いている。
涙を流しながら、女性に手を伸ばしている。
「……お母さん」
その言葉を聞いた瞬間、龍の胸が強く締めつけられた。
「……っ」
知らない。
こんな女性は知らない。
こんな子どもも知らない。
なのに――
なぜか、涙が出そうになる。
「……なんで」
龍は胸を押さえた。
「なんで俺が……」
次の瞬間。
光景が消えた。
部屋には、いつもの天井だけが残っていた。
龍はしばらく動けなかった。
呼吸が荒い。
額には汗が浮かんでいる。
「……まただ」
以前にも見た。
病院。
白いシーツ。
泣いている子ども。
けれど、今までより鮮明だった。
そして今回は――
感情まで、はっきり残っている。
龍はスマートフォンを手に取った。
画面を開き、先生とのメッセージを探す。
指が止まった。
少し迷ってから、文字を打つ。
『先生。今日、また変な記憶を見ました』
送信。
すぐには返事が来なかった。
一分。
二分。
三分。
龍は画面を見つめ続ける。
やがて――
既読がついた。
『どんな記憶ですか?』
龍は、見た光景を一つずつ書いた。
病院。
女性。
男の子。
そして、そこで感じた感情。
送信する。
しばらくして、先生から返事が来た。
『……その女性を、知っていますか?』
龍は画面を見つめた。
『知りません』
すぐに返信する。
既読。
けれど、今度は返事が来ない。
龍はもう一度、文字を打った。
『じゃあ、なんで俺はあんなに悲しかったんですか?』
画面には、既読の文字だけが残った。
返事はなかった。
龍はスマートフォンを伏せる。
静かな部屋。
遠くから、家族の寝息が聞こえてくる。
龍は目を閉じた。
すると――
さっきの女性の顔が、また浮かんだ。
知らない女性。
知らない子ども。
知らない病院。
なのに。
龍は、なぜかその女性に会いたいと思った。
「……誰なんだ」
暗い部屋の中で、龍は小さく呟いた。
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HAPPY HALLOWEEN
「悪魔AI」は、まだ終わらない――。
TO BE CONTINUED
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