第7話『天才すぎる男』
龍が売れ始めてから、現場への移動には、ほとんど末村が付き添うようになっていた。
仕事が増え、移動も多い。
この日も、末村が運転する車の後部座席に龍が座っていた。
「今日、バラエティーの収録が終わったら、そのまま次の打ち合わせだからね」
「はい」
「売れっ子は大変だなぁ」
末村が笑う。
「末村さんが仕事を取ってきてくれるからですよ」
「お、珍しく褒めるじゃん」
「本当のことです」
そんな会話をしながら、車は都内の道路を走っていた。
龍は窓の外を眺めていた。
交差点。
信号。
歩行者。
自転車。
前方を走る車。
その瞬間だった。
龍の視線が、右側の道路へ向いた。
「……待って」
「ん?」
「末村さん、少し速度を落としてください」
「え?」
「右から車が来ます」
「見えてるよ?」
「違います」
龍は前方を見た。
「……あの車、止まりません」
末村がアクセルから足を離す。
次の瞬間。
右側から、一台の車が交差点へ進入してきた。
信号は赤だった。
「うわっ!」
末村が急ブレーキを踏む。
車が停止した。
目の前を、猛スピードで横切っていく車。
あと数秒遅ければ、衝突していた。
「……っ」
車内が静まり返った。
末村はハンドルを握ったまま、固まっている。
「……今の、見えた?」
龍が聞いた。
「いや……」
末村は息を吐いた。
「龍くん、よく分かったな」
龍は答えられなかった。
なぜ分かったのか、自分でも分からない。
ただ――
車の速度。
距離。
信号が変わるまでの時間。
相手の車の進行方向。
それらが、頭の中で一瞬にして組み合わさっていた。
「……なんで、俺……」
龍は自分の手を見た。
以前の自分なら、あの瞬間に気づけただろうか。
分からない。
でも、チップを入れてから。
何かがおかしい。
記憶するだけじゃない。
頭の中で、何かを処理する速度まで変わっている。
「……龍くん?」
「大丈夫です」
龍は前を向いた。
「行きましょう」
車は再び走り出した。
そしてそのまま、バラエティー番組の収録現場へ向かった。
*
「龍くん、おはよう!」
スタジオに入ると、番組プロデューサーが手を振っていた。
「おはようございます」
「今日はバラエティーだから、あんまり緊張しなくていいよ」
「はい」
「料理企画もあるみたいだぞ」
「料理ですか?」
「そう。龍くん、料理できる?」
龍は少し考えた。
「……普通には」
「じゃあ大丈夫だな」
プロデューサーは笑った。
龍自身も、深く考えていなかった。
料理なんて、これまで特別に勉強したことはない。
家で簡単なものを作る程度だった。
スタジオには、番組MCのお笑い芸人と、美人アナウンサーが並んでいた。
お笑い芸人が、慣れた様子でカメラに向かって叫ぶ。
「レシピを見なくても、おいしく料理を作れるかな? コーナー!!」
スタジオから拍手と歓声が上がる。
「それでは、料理スタート!」
エプロンを巻いた龍が、目の前に並べられた食材を見る。
鴨胸肉。
フォアグラ。
ポルチーニ茸。
エシャロット。
赤ワイン。
バルサミコ酢。
生クリーム。
ハーブ。
見たことはある。
だが、料理に使ったことはない。
「……これ、何を作るんですか?」
龍が尋ねる。
美人アナウンサーが笑顔で答えた。
「今日は本格フレンチです!」
「……フレンチ」
龍は食材を見つめた。
「龍さん、フレンチは作ったことありますか?」
「ないです」
「ですよね!」
スタジオから笑いが起こる。
MCが楽しそうに笑った。
「さあ、龍くん! レシピは一切見せません!」
「はい」
「料理の経験だけを頼りに、作ってもらいます!」
「分かりました」
龍は鴨胸肉を手に取った。
指先で皮を触る。
少し考える。
「……これ、皮から焼いたほうがいいですね」
「え?」
料理人が振り向いた。
「最初に皮から焼いて、脂を出したほうがいいと思います」
「……そうですね」
料理人が頷く。
「じゃあ、やってみましょう」
龍はフライパンを温めた。
鴨肉を皮目から置く。
ジュッ――。
脂がゆっくりと溶け出していく。
龍は火を少し弱めた。
「強火じゃないほうがいいと思います」
「どうして?」
「皮だけ焦げそうなので」
料理人が龍を見る。
「……なるほど」
龍は鴨肉を焼きながら、横に置かれたポルチーニ茸を見た。
「これ、ソースに使いますよね?」
「はい」
「だったら、先に香りを出したほうがいいと思います」
フライパンを変える。
ポルチーニ茸を炒める。
香りが立った。
龍は赤ワインを手に取る。
「これを入れて……」
「ちょっと待って!」
MCが割って入った。
「龍くん、本当にレシピ見てないよね?」
「見てないです」
「なんで分かるの?」
「……分かりません」
「分からないのに作ってるの?」
「はい」
スタジオが笑いに包まれた。
龍も苦笑する。
けれど、手は止まらなかった。
赤ワイン。
エシャロット。
バルサミコ酢。
生クリーム。
味を見ながら、ほんの少しずつ調整していく。
「……ここ、蜂蜜を少し入れてもいいですか?」
スタッフが驚いた顔をする。
「蜂蜜?」
「はい。酸味が少し強いので」
料理人が味見をする。
「……確かに」
「じゃあ、ほんの少しだけ」
龍が蜂蜜を加える。
もう一度、味を見る。
「……これで大丈夫です」
鴨肉を切る。
中はきれいな色をしていた。
皿に盛り付ける。
ソースをかけ、ハーブを添える。
「完成です!」
美人アナウンサーが声を上げる。
「すごい……!」
スタジオから拍手が起こった。
「では、いただきます!」
MCが一口食べる。
数秒、黙る。
「…………」
龍が不安そうに見る。
「どうですか?」
MCがゆっくり顔を上げた。
「……うまっ!」
スタジオが一気に沸いた。
「ええええ!」
「本当に!?」
美人アナウンサーも料理を口にする。
「……おいしい!」
料理人も一口食べた。
そして、少し驚いた顔をする。
「……初めて作ったんですよね?」
「はい」
「これ、本当に?」
「はい……」
龍自身も戸惑っていた。
MCが龍を見る。
「いや、ちょっと待って!」
「はい?」
「お前さぁ!」
MCが立ち上がる。
「イケメンで!」
スタジオが笑う。
「演技できて!」
さらに笑いが起こる。
「料理もできるって!」
MCが両手を広げた。
「俺らどうすんねん!」
スタジオが大爆笑した。
「いやいやいや!」
龍も思わず笑った。
「そんなことないですよ!」
「あるって!」
「料理なんて、たまたまですから」
「その『たまたま』でフレンチ作るな!」
また笑いが起こった。
龍も笑っていた。
楽しかった。
こんなふうに、大勢の人に囲まれて笑うことができる。
少し前までの自分には、考えられなかった。
収録は、その後も順調に進んだ。
スタッフからも、
「龍くん、面白いね」
「また番組に出てほしい」
そんな声をかけられた。
*
収録が終わると、龍は末村と次の仕事の打ち合わせをした。
次のドラマのスケジュール。
映画の撮影日。
新しいCMの打ち合わせ。
話が終わった頃には、もう夜になっていた。
「じゃあ、今日はここまでにしよう」
「はい。お疲れさまでした」
末村と別れ、龍は一人になった。
龍は椅子に座り、ペットボトルの水を飲んだ。
「……疲れた」
ふっと息を吐く。
今日一日のことを思い返す。
交差点。
車。
自転車。
そして、料理。
龍は眉を寄せた。
「……味まで、こんなに分かったっけ?」
ペットボトルを机に置く。
さっき食べた鴨肉を思い出す。
皮の香ばしさ。
肉の温度。
脂の甘さ。
ポルチーニ茸の香り。
赤ワインの渋み。
バルサミコの酸味。
ほんの少し加えた蜂蜜の甘さ。
すべてが、まるで今、口の中にあるように鮮明だった。
龍は目を閉じた。
もう一度、味を思い出す。
――分かる。
香りも。
温度も。
舌触りも。
どんな順番で味が広がったのかまで。
はっきりと再現できる。
龍はゆっくり目を開けた。
「……俺の脳、どうなってるんだ?」
返事をする人は、誰もいなかった。
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HAPPY HALLOWEEN
「悪魔AI」は、まだ終わらない――。
TO BE CONTINUED
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