第6話 記憶の檻
翌朝。
龍は、いつもより早く目を覚ました。
カーテンの隙間から、朝の光が差し込んでいる。
昨日見たCMの映像が、まだ頭に残っていた。
幼い頃の自分。
高校生の自分。
そして、今の自分。
「……夢みたいだな」
龍はベッドから起き上がった。
スマートフォンを見ると、末村からメッセージが届いていた。
『龍くん、オーラのCMかなり評判いいぞ』
続けて、もう一通。
『メーカーからも喜ばれてるって。売上も伸びたらしい』
「……本当かよ」
龍は思わず笑った。
『よかったです!』
返信を送る。
すぐに末村から返ってきた。
『最近、本当にすごいな。今日も撮影あるから、遅れるなよ』
『はい』
龍はスマートフォンを置いた。
今日も仕事だ。
そう思うだけで、胸が軽くなった。
*
撮影現場に着くと、スタッフが次々と声をかけてきた。
「神谷さん、おはようございます」
「おはようございます」
「昨日のCM、見ましたよ」
「ありがとうございます」
以前とは違う。
名前を呼ばれる。
スタッフが笑顔で話しかけてくる。
龍は、その変化を嬉しく感じていた。
撮影の合間。
龍は控室で一人になった。
テーブルの上に置かれた台本を開く。
そこに書かれていたのは、今日の撮影とは関係のない、昔のドラマの資料だった。
何気なくページをめくる。
すると――
突然、頭の中に別の光景が浮かんだ。
高校の教室。
夕方のオレンジ色の光。
窓際の机。
黒板に残った文字。
「……?」
龍は手を止めた。
その光景は、一瞬で消えた。
「今の……何だ?」
考えてみる。
高校時代の教室。
確かに、昔そこにいた。
でも――
どうして今、こんなにはっきり思い出したんだろ
う。
*
撮影が終わり、龍は自宅へ戻った。
シャワーを浴び、冷蔵庫を開ける。
飲み物を取り出そうとした、そのとき。
また、何かが頭の中に浮かんだ。
高校の帰り道。
友達と歩いている。
「龍、今日どうする?」
「んー、帰る」
笑い声。
自転車のベル。
夕方の空。
道路脇のコンビニ。
――全部、鮮明だった。
「……」
龍は冷蔵庫の扉を閉めた。
「なんで、こんなことまで覚えてるんだ?」
今までなら、思い出そうとしても曖昧だったはずだ。
高校時代の出来事なんて、何年も前のことだ。
それなのに。
声まで聞こえる。
顔まで見える。
そのときの空気まで分かる。
龍はソファに座った。
目を閉じる。
すると、さらに別の記憶が浮かんだ。
初めて好きになった女の子。
告白した日のこと。
両思いで嬉しかったこと。
その帰り道、二人で一緒に歩いたこと。
「……」
胸が少し痛くなった。
さらに――
父親と喧嘩した日のこと。
『俳優なんて、いつまで続けるんだ』
父親の声。
『俺は絶対に辞めない!』
若い頃の自分の声。
母親が止めに入ったこと。
妹が部屋の隅で泣いていたこと。
全部、鮮明だった。
「……やめろ」
龍は目を開けた。
静かな部屋。
誰もいない。
それなのに、頭の中だけが騒がしい。
「なんで……」
龍は両手で頭を押さえた。
忘れていた。
いや――
忘れたと思っていた。
昔の記憶なんて、時間が経てば少しずつ薄れていくものだと思っていた。
でも違った。
今の龍の中では、何年も前の出来事が昨日のことのように残っている。
「……全部、残ってる」
その言葉が、口からこぼれた。
*
翌日。
撮影現場でも、頭の中から記憶が消えなかった。
スタッフの声を聞けば、昔の誰かの声を思い出す。
香水の匂いを感じれば、学生時代の教室が浮かぶ。
街を歩けば、何年も前に見た風景まで蘇る。
龍は何度も頭を振った。
「……集中しろ」
カメラが回る。
「スタート!」
演技は完璧だった。
それでも、カットがかかった瞬間。
また記憶が戻ってきた。
高校の教室。
夕暮れ。
友達の笑い声。
父親の怒鳴り声。
母親の声。
初恋の相手の顔。
次々と浮かんでくる。
「……っ」
龍は目を閉じた。
もう、何が今の記憶で、何が昔の記憶なのか分からなくなっていた。
*
その夜。
龍はスマートフォンを手に取った。
医師にメッセージを送る。
『先生』
しばらくして、返信が来た。
『どうしました?』
『記憶が多すぎます』
既読がついた。
『具体的には?』
『昔のことまで、全部思い出します』
『どのくらい前の記憶ですか?』
『高校時代です。家族とのことも、初恋のことも……』
少し間があった。
『それが、チップの機能です』
龍は画面を見つめた。
『でも、普通は忘れていくものですよね?』
『人間の記憶は、時間とともに変化します』
『変化?』
『忘れることも、その一つです』
龍は黙った。
さらに入力する。
『俺は……普通に忘れたいです』
しばらく返信がなかった。
やがて――
『それは難しいですね』
龍の指が止まった。
『どうしてですか?』
『あなたは「記憶するため」にチップを入れたからです』
龍は画面を見つめた。
胸の奥が冷たくなる。
『じゃあ……チップを外せば?』
既読。
返信はすぐには来なかった。
数分後。
『外すことはできます』
龍は息を吐いた。
しかし、その次のメッセージを見て、表情が固まった。
『ただし、保存されている記憶も失う可能性があります』
『……どの記憶ですか?』
『すべてです』
龍はスマートフォンを握りしめた。
『全部……?』
『はい』
部屋が静まり返る。
今までの人生。
俳優になったこと。
家族との記憶。
友達との思い出。
好きだった人。
辛かったこと。
嬉しかったこと。
全部。
もし、それを失ったら――
「……俺が、俺じゃなくなるじゃないか」
龍は呟いた。
しばらくして、医師から返信が届いた。
『だから私は、最初に言いました』
龍は画面を見る。
『忘れることは、人間にとって必要なのかもしれないと』
龍は何も返せなかった。
スマートフォンの画面が暗くなる。
黒い画面に、自分の顔が映っている。
龍はその顔を見つめた。
今までなら、忘れていたはずのこと。
時間とともに薄れていったはずの記憶。
それが今は――
一つも消えない。
龍は、もう一度スマートフォンを見た。
そこには、医師とのメッセージが残っている。
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HAPPY HALLOWEEN
「悪魔AI」は、まだ終わらない――。
TO BE CONTINUED
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