第3話 覚えられる
「……ん」
龍は、ゆっくり目を開けた。
白い天井。
ぼんやりとした視界。
「ここ……?」
ゆっくり身体を起こす。
頭に手を当てた。
指先に、硬い感触が触れた。
「……?」
髪をかき分ける。
後頭部に、小さな傷があった。
その周囲だけ、髪が剃られている。
「……手術したんだ」
指先で傷をそっと触る。
痛みはほとんどない。
ベッドの横には、鏡が置かれていた。
龍は立ち上がり、鏡を見る。
髪はほとんど元のままだった。
後頭部の一部分だけが剃られている。
「……これくらいなら、撮影にはバレないか」
龍は苦笑した。
そのときだった。
昨日のことを思い出そうとする。
すると――
昨日の部屋が、そのまま頭の中に浮かんだ。
机の上に置かれていた黒いペン。
医師がつけていた腕時計。
壁の時計が示していた時刻。
手術室の天井。
照明の位置まで。
「……」
龍は眉をひそめた。
「……こんな細かいことまで?」
昨日までなら、こんなに鮮明には思い出せなかった。
それどころか――
一度見たものが、頭の中から消えない。
龍は鏡の中の自分を見つめた。
「……本当に、入ったんだ」
スマートフォンを見る。
時刻は午前十時。
今日の午後には撮影が入っている。
龍は急いで着替え、部屋を出た。
*
スタジオへ向かう電車の中。
龍は昨日のことを思い出していた。
駅で見かけた広告。
その隣に立っていた女性。
電車の中で流れていたアナウンス。
誰かが話していた会話。
そして――
広告に書かれていた小さな文字まで。
「……」
龍はスマートフォンを取り出した。
検索する。
昨日見た広告の会社名。
商品名。
キャッチコピー。
全部、正確に入力できた。
「……嘘だろ」
自分でも怖くなった。
でも、その怖さより――
嬉しさのほうが大きかった。
*
スタジオに到着する。
「龍くん、おはよう」
「おはようございます」
龍はバッグから、末村から事前に渡されていた台本を取り出した。
「今日、結構セリフ多いから頑張ってね」
末村は優しく微笑んだ。
「……はい」
いつもの言葉。
今までなら、この一言を聞いただけで胃が痛くなっていた。
今日は違う。
龍は台本を開いた。
昨日の夜、一度読んだだけだった。
その瞬間――
目に入った文字が、頭の中へ一気に流れ込んできた。
一行。
一ページ。
その次のページ。
文字の並びも、句読点も、セリフも。
まるで頭の中にコピー機があるように、目の前の文章がそのままコピーされていく。
「……」
龍はページをめくった。
さらに次のページ。
そして最後まで。
数十ページの台本が、あっという間に頭の中へ入っていった。
龍はゆっくり台本を閉じた。
「……え?」
目を閉じる。
最初のページが浮かぶ。
一文字も抜けていない。
次のページ。
その次。
最後のページまで――
すべて、頭の中にある。
「……覚えてる」
龍の手が震えた。
「俺……覚えられてる」
何度も読む必要なんてない。
書き写す必要もない。
録音する必要もない。
一度読んだだけで――
全部、頭の中に入っている。
龍は台本を抱きしめた。
「……これなら」
俳優を続けられる。
*
その日の撮影。
監督が龍を見る。
「龍くん、今日のシーン大丈夫?」
「はい」
「本当に?」
「大丈夫です」
監督は少し不安そうに台本を確認した。
「じゃあ、いこう」
カメラが回る。
「よーい……」
「スタート!」
相手役がセリフを言う。
「お前、本当に何も覚えてないのか?」
龍は相手を見つめた。
少しだけ間を置く。
「覚えてるよ」
相手役の表情が変わる。
「お前が俺に言ったことも」
龍の目が揺れる。
「……全部」
完璧だった。
次のセリフ。
その次。
さらにその次。
一度も止まらない。
監督はモニターを見つめていた。
「……カット!」
スタッフが動き出す。
監督が立ち上がる。
「龍くん」
「はい」
「今日……どうした?」
龍は笑った。
「覚えたんです」
「何を?」
「全部」
監督は冗談だと思った。
「いやいや。全部って……」
「台本、全部覚えました」
監督の顔から笑いが消える。
「……本当に?」
「はい」
監督は台本を閉じた。
「じゃあ、第十七場。最初のセリフ」
龍は即答した。
「『俺は、あの日からずっと後悔している』です」
「続き」
「『もし時間を戻せるなら、あの日の俺を止めたい』」
監督は黙った。
「……最後」
「『それでも、俺はお前を許せない』」
沈黙。
スタッフが顔を見合わせる。
監督は、ゆっくり笑った。
「……すごいな」
龍の胸が熱くなる。
「ありがとうございます」
「これなら、いけるかもしれない」
「……本当ですか?」
「ああ」
監督が龍の肩を叩く。
「もっと仕事、増えるぞ」
その言葉を聞いた瞬間。
龍の目から涙がこぼれた。
「……ありがとうございます」
監督が驚く。
「え? なんで泣いてるの?」
龍は涙を拭った。
「嬉しくて……」
俳優を諦めなくていい。
やっと。
やっと、夢を追える。
*
撮影が終わったあと。
龍のスマートフォンが鳴った。
マネージャーの末村からだった。
『今日の演技、監督がかなり褒めてたよ』
続けて、もう一通。
『次のオーディションも決まりそう』
龍は画面を見つめた。
「……やった」
自然と笑顔になる。
その夜。
龍は部屋で台本を読んでいた。
一度読む。
閉じる。
覚えている。
二度目。
閉じる。
やっぱり覚えている。
「……すごいな」
龍は笑った。
そして、ふと鏡を見る。
後頭部の髪をかき上げる。
剃られた部分。
そこには、小さな傷跡が残っていた。
少しかゆみが出てきた。
「化膿してないし、そのうち治るか」
龍は髪を戻した。
スマートフォンを見る。
闇医者からメッセージが届いていた。
『記憶に問題はありませんか?』
龍はすぐに返信する。
『大丈夫です』
しばらくして、返信が来た。
『それは良かった』
龍はスマートフォンを置いた。
そして、もう一度台本を開く。
次の作品の台本だった。
そこには、こんな一文が書かれていた。
『彼は、母親の死を受け入れられなかった。』
龍は、その一文を読む。
胸が――
きゅっと締めつけられた。
「……?」
もう一度読む。
同じだった。
胸が苦しい。
目の奥が熱くなる。
「なんだ……これ」
龍は台本から目を離した。
しばらくすると、苦しさは消えた。
「……気のせいか」
そう呟いて、台本を閉じる。
その瞬間――
頭の中に、知らない映像が浮かんだ。
病室。
白いシーツ。
泣いている少年。
そして――
「お母さん……」
龍は息を止めた。
「……誰だ?」
映像は、一瞬で消えた。
龍は頭を押さえる。
「……今の、何?」
部屋には誰もいない。
静かな夜。
ただ、スマートフォンの画面だけが光っていた。
そこに、闇医者から新しいメッセージが届く。
『順調です』
龍は、その意味を理解できなかった。
そして――
まだ知らなかった。
あのチップが覚えているのは、
セリフだけではないことを。
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HAPPY HALLOWEEN
「悪魔AI」は、まだ終わらない――。
TO BE CONTINUED
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