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王都にある王立植物園。
そこは、国内外から集められた珍しい植物が展示されている、王国有数の研究施設である。
薬草、毒草、観賞用の花、さらには魔力を蓄える特殊な植物まで。
植物好きにとっては、まさに夢のような場所だ。
そして本日。
わたくし、エレノア・フォン・ローゼンベルクは、その夢のような場所にやってきていた。
「まあ!」
目の前に広がる温室を見て、思わず声が漏れる。
天井は高く、透明なガラス越しに陽光が降り注いでいる。
色とりどりの花々が咲き誇り、見たこともない形の葉が風に揺れていた。
「素晴らしいですわね」
「ふふ。気に入っていただけましたか?」
隣にいるセレスティア様が、嬉しそうに微笑んだ。
「ええ! これほどの規模の植物園は、領地にもございませんわ!」
「よかったです。今日はゆっくり楽しみましょうね」
「もちろんですわ!」
わたくしは力強く頷いた。
今日は一日、植物園を見て回る予定だ。
珍しい植物を観察し、可能ならば栽培方法も確認したい。
特に、最近領地で研究している薬草の品種改良に役立つものがあれば、ぜひ持ち帰りたいところである。
ふむ。
これは、非常に有意義な一日になりそうですわね!
「エレノア様」
「はい?」
「今日は、わたくしと一緒に来てくださってありがとうございます」
「こちらこそ、お誘いいただき感謝しておりますわ」
「あの」
「何でしょう?」
「今日は、その……デート、ということでよろしいのでしょうか?」
セレスティア様が、少し頬を赤らめて尋ねてきた。
デート。
なるほど。
男女が恋愛感情を持って出かけることを指す言葉だ。
ただし、わたくしたちは女性同士である。
そして、わたくしはまだセレスティア様への恋愛感情を自覚していない。
「そうですわね。お互いに楽しく過ごすためのお出かけですもの」
「はい!」
セレスティア様は嬉しそうに笑った。
どうやら、納得していただけたようだ。
よかった。
これで安心して植物を観察できる。
〜〜〜
「こちらをご覧くださいませ!」
わたくしは展示されていた一輪の花を指さした。
「この花、葉の形状が少し特殊ですわ。一般的な薬草と比べて葉脈の分岐が多いように見えます」
「そうですね」
「しかも、花弁の裏側に微量の魔力反応があります。もしかすると、夜間に魔力を吸収しているのかもしれませんわ」
「なるほど」
「もしそうなら、栽培環境によって薬効が変化する可能性もございます。これは興味深いですわね!」
わたくしは展示の説明書きを確認した。
原産地は南方の山岳地帯。
栽培は難しく、現在は王立研究院でも研究が進められているらしい。
「ふむ」
気づけば、わたくしは展示ケースに顔を近づけていた。
そのとき。
「エレノア様」
「はい?」
「お顔が近いですよ」
「あら」
セレスティア様にそっと肩を引かれた。
「ありがとうございます。つい夢中になってしまいましたわ」
「ふふ。お気をつけくださいね」
優しい声。
そのまま、彼女の手がわたくしの肩から離れていく。
……。
……何でしょう。
少しだけ、物足りないような。
いや、気のせいですわね。
「ところで、セレスティア様」
「はい」
「この植物の栽培について、何かご存じありませんか?」
「ええ。聖教会の管理する薬草園でも、似た植物を育てていますよ」
「本当ですか!?」
「はい。よろしければ、後日ご案内いたしましょうか?」
「ぜひ!」
わたくしは即答した。
セレスティア様の表情が、ぱっと明るくなる。
「では、また一緒にお出かけできますね」
「ええ。研究のためにも、ぜひお願いしたいですわ」
「研究のため、ですか」
「はい?」
「いいえ。何でもありません」
セレスティア様は微笑んだ。
ただし、ほんの少しだけ頬が膨らんでいる。
……?
何か気に障ることでもあったのだろうか。
後で確認してみましょう。
〜〜〜
温室の奥には、一般公開されていない特別展示区画があった。
そこには、王立研究院が管理する希少植物が並んでいる。
見学には特別な許可が必要だが、聖女であるセレスティア様は自由に出入りできるらしい。
「こちらです」
案内された区画の中央に、ひときわ大きな植物があった。
白い花弁。
淡い青色の葉。
そして、茎の周囲に漂う小さな光。
「これは……」
「月光草です。夜になると花が開き、周囲の魔力を吸収する性質があります」
「まあ……!」
わたくしは思わず息を呑んだ。
「月光草は、傷を癒やす薬の材料としても使われると聞いたことがありますわ」
「はい。聖教会でも、治癒薬の研究に使っています」
「栽培は難しいのでしょうか?」
「かなり。特定の魔力環境が必要ですから」
「なるほど」
わたくしは展示の説明を読み始めた。
そこには、栽培条件や過去の研究結果が記されている。
ふむ。
土壌の水分量は?
日照時間は?
魔力の供給源は?
これは、調べる価値がございますわね。
「エレノア様」
「はい?」
「こちらに、研究資料もございますよ」
「本当ですか!?」
セレスティア様が手元の資料を差し出してくれた。
わたくしはそれを受け取ろうとする。
その瞬間。
指先が触れた。
「あ……」
「失礼いたしました」
「い、いいえ!」
なぜか、セレスティア様が少し慌てている。
わたくしは首を傾げた。
そして、資料を受け取った。
「ありがとうございます。これは興味深い内容ですわね」
「……はい」
セレスティア様は、わたくしの隣で静かに微笑んでいた。
どうやら、研究資料に興味があるようだ。
聖女様も勉強熱心なのだろう。
素晴らしいことである。
〜〜〜
昼を過ぎた頃。
わたくしたちは温室の外にある休憩スペースで昼食を取ることにした。
庭園を眺めながら食べる軽食は、実に美味しかった。
「エレノア様、こちらの果物はいかがですか?」
「ありがとうございます」
「甘くて美味しいですよ」
「本当ですわね」
セレスティア様は、わたくしの反応を見て嬉しそうに笑っている。
その笑顔を見ていると、こちらまで気分がよくなる。
……不思議な方だ。
「セレスティア様」
「はい?」
「今日は、本当にありがとうございます」
「え?」
「わたくし、こうして好きなことに夢中になれる時間が、とても楽しいのです」
そう言うと、セレスティア様は少し目を丸くした。
「それに、セレスティア様と一緒にいると、気を張らずに過ごせますわ」
「……!」
「王宮にいた頃は、いつも誰かの期待に応えなければならないと考えておりましたから」
王太子妃候補として、失敗は許されなかった。
礼儀作法も、政治も、外交も。
何一つ手を抜くことはできなかった。
もちろん、それらを学ぶこと自体は嫌いではない。
ただ、いつも完璧であることを求められるのは、少々疲れるものだった。
「セレスティア様の前では、そういうことを考えずにいられますの」
「エレノア様」
「ですから、今日はとても楽しいですわ」
セレスティア様は、しばらく何も言わなかった。
そして、ゆっくりと微笑んだ。
「わたくしもです」
「そうですか?」
「はい。エレノア様といると、わたくしも聖女であることを忘れそうになります」
「まあ」
「ただの一人の女性として、笑ったり、緊張したり、嬉しくなったり……。そんな自分でいられるのです」
セレスティア様は、少し恥ずかしそうに目を伏せた。
「エレノア様と過ごす時間は、わたくしにとって、とても大切です」
その言葉に、わたくしの胸がほんの少し温かくなった。
「そう言っていただけると、嬉しいですわ」
わたくしは自然と笑っていた。
◇
昼食を終え、再び園内を歩き始めた。
次の展示区画へ向かう途中、少し人通りが多くなってきた。
観光客や研究者たちが行き交っている。
「エレノア様。人が増えてきましたね」
「そうですわね」
「はぐれないように、手をつないでもよろしいでしょうか?」
「ええ。構いませんわ」
わたくしはセレスティア様の手を取った。
そして、そのまま歩き出す。
……。
あら?
セレスティア様の手が、少し冷たい。
「セレスティア様」
「はい?」
「手が冷えておりますわね」
「えっ?」
「寒いのでしょうか?」
「い、いいえ! 大丈夫です!」
「そうですか?」
「はい!」
しかし、彼女の手は少し震えているように感じられた。
体調が悪いのだろうか。
わたくしは、握っていた手に少し力を込めた。
「無理はなさらないでくださいませね」
「…………」
「セレスティア様?」
「エレノア様」
「はい?」
「今、手を握り直してくださいましたか?」
「ええ。少し冷えていらしたので」
「…………」
セレスティア様が、立ち止まった。
「どうかなさいました?」
「い、いえ」
彼女は顔を伏せた。
そして、次の瞬間。
「好きです」
「はい?」
「エレノア様が好きです!」
「セ、セレスティア様!?」
突然の告白だった。
しかも、周囲には人がいる。
わたくしは慌てて辺りを見回した。
「お声が大きいですわ!」
「あっ……す、すみません!」
セレスティア様は両手で口を押さえた。
耳まで真っ赤になっている。
「申し訳ありません。嬉しくて、つい」
「嬉しい?」
「はい。エレノア様が、わたくしのことを気遣ってくださったので」
「そんなこと、当然ではありませんか」
セレスティア様は、また顔を赤くした。
何でしょう。
どうやら、わたくしにはまだ理解できない感情のやり取りがあるらしい。
恋愛とは、実に難しい。
◇
その後も、わたくしたちは植物園をゆっくりと見て回った。
帰り際、セレスティア様が小さな鉢植えを持ってきた。
「エレノア様。こちらをどうぞ」
「これは?」
「小さな月光草です。研究用に育てていたものですが、よろしければお譲りしたいと思いまして」
「本当によろしいのですか?」
「もちろんです。エレノア様に育てていただけたら、きっとこの子も喜びます」
「ありがとうございます! 大切に育てますわ!」
わたくしは鉢植えを受け取った。
これで領地でも研究ができる。
なんと素晴らしい日だろう。
「セレスティア様」
「はい?」
「また、こうして一緒に出かけてくださいますか?」
言ってから、少しだけ驚いた。
自分から次の約束を求めていた。
セレスティア様は、目を大きく見開いた。
「もちろんです!」
そして、嬉しそうに笑った。
「何度でも。エレノア様が望んでくださるなら、どこへでもご一緒いたします」
「ふふ。では、次は薬草園にもご案内くださいませ」
「はい!」
セレスティア様は、わたくしの手を握った。
わたくしも、その手を握り返した。
その瞬間。
セレスティア様が、幸せそうに目を細めた。
その表情を見て、わたくしも嬉しくなった。
……。
あら?
どうしてでしょう。
帰り道が、少し短く感じられる。
もう少しだけ、一緒に歩いていたい。
そんなことを思ってしまった。
わたくしは、手元の鉢植えに目を落とした。
月光草。
夜になると花を咲かせる、珍しい植物。
もしかすると、わたくしの知らないところで、何かが芽吹き始めているのかもしれない。
もっとも。
その正体が恋心だとは、まだ夢にも思っていなかった。
◇
一方、王宮。
「殿下。報告がございます」
「何だ」
「本日、エレノア様と聖女様が王立植物園を訪れたそうです」
「……そうか」
「大変仲睦まじいご様子だったと」
「…………」
「それから、聖女様がエレノア様に希少な月光草を贈られたそうです」
アルベルトは、ゆっくりと顔を上げた。
「月光草だと?」
「はい。聖教会でも大切に管理されている植物です」
「私が贈った宝石よりも、喜んでいたのか?」
「そのようです」
沈黙。
側近は、そっと視線をそらした。
アルベルトは机に肘をつき、深くため息をついた。
「私は、彼女のことを何も理解していなかったのかもしれない」
その言葉に、側近は何も答えなかった。
そして、王太子はまだ知らない。
ローゼンベルク公爵家から届いた次の書状に、彼自身が頭を抱えることになるということを。
書状の表題は、こうだった。
――婚約破棄に伴う契約上の整理、および王家に対する正式な要請について。
なお、差出人はローゼンベルク公爵。
追伸には、こう記されていた。
『娘の自由な人生を妨げることのないよう、くれぐれもご配慮願いたい』
アルベルトは、まだ知らない。
この公爵が本気で怒ったとき、財務大臣が三人泣いたという逸話が、決して誇張ではないことを。




