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「エレノア様! あちらに、美味しい焼き菓子のお店がございます!」
「焼き菓子ですか?」
「はい! ぜひ、ご一緒に!」
「少々、お待ちくださいませ」
わたくしは、店先に並ぶ商品の値札を確認いたしました。
「こちらの焼き菓子、三か月前に比べて価格が一割ほど上がっておりますわね」
「はい?」
「原材料の小麦粉でしょうか。王都近郊の小麦の収穫量は、昨年よりも改善していたはずですが」
「エレノア様?」
「店主様、恐れ入ります。少々、お尋ねしても?」
わたくしは店主に声をかけました。
「最近、仕入れ価格に変化がございましたか?」
「ああ、お嬢さん。そりゃあ、もう大変でさあ!」
店主は待ってましたとばかりに語り始めました。
「街道の通行税が上がっちまってね。商人たちが荷物を運ぶのにも金がかかる。小麦粉だけじゃなく、砂糖もバターも値上がりしてるんだ」
「通行税が?」
「ええ。おかげで、うちみたいな小さな店は大打撃ですよ」
なるほど。
街道の通行税。
確か、先月の王宮会議で議題になっていたはずです。
徴税の効率化を目的として、一部の街道で新たな通行税が導入された。
しかし、その影響が商店にまで及んでいるとは。
「これは、調査が必要ですわね」
「エレノア様?」
セレスティア様が、ぽかんとした顔でわたくしを見つめていらっしゃいました。
「どうかなさいました?」
「いえ」
彼女は、ふっと微笑みました。
「エレノア様らしいと思いまして」
「そうでしょうか?」
「はい。どこにいても、誰かの暮らしをよくすることを考えていらっしゃる」
「……」
「わたくし、そういうところが大好きなのです」
またですわ!
また、そういうことをおっしゃる!
「セレスティア様。人前ですわ」
「まあ。失礼いたしました」
そう言いながら、セレスティア様は少しも反省していない顔で笑っておられました。
……本当に、調子が狂いますわね。
その後も、わたくしたちは市場を巡りました。
パン屋では小麦粉の価格を確認し、衣料品店では染料の仕入れ状況を尋ね、薬草店では地方からの輸送経路について話を聞きました。
そのたびに、セレスティア様は熱心にわたくしの話を聞いてくださいました。
「つまり、通行税を引き下げるだけでは、根本的な解決にならないのですね?」
「ええ。街道の維持費も必要ですから、税収を単純に減らすわけにはまいりません。徴税方法を見直すか、輸送費を抑える仕組みを整えるか」
「なるほど」
「ただし、現時点では情報が不足しております。もう少し調査しなければ、具体的な提案はできませんわ」
「素晴らしいです」
「はい?」
「エレノア様は、本当に素晴らしい方です!」
「そ、そうでしょうか?」
「はい!」
セレスティア様は、感極まったように胸元で両手を握りしめました。
「わたくし、今、とても幸せです!」
……なぜ?
わたくしたち、先ほどから税制についてしか話しておりませんけれど!?
〜〜〜
その頃。
王都中央広場の反対側では、アルベルト王太子が柱の陰からこちらを覗いておりました。
「なぜだ」
隣には、側近の青年が立っております。
「殿下。そろそろ王宮へお戻りになられたほうが」
「黙れ。私は視察をしているのだ」
「本日は、公務の予定はございませんが」
「王都の治安状況を確認している!」
側近は、深くため息をつきました。
無理もありません。
王太子殿下は、朝からずっと聖女セレスティアの動向を追いかけているのです。
その理由は、本人にもよくわかっておりません。
ただ、昨日から妙に落ち着かないのです。
自分が婚約破棄したエレノア。
そのエレノアに、セレスティアが夢中になっている。
しかも、二人は本日、王都で一緒に過ごしているという。
「あの女、何をしている?」
アルベルトは目を細めました。
「聖女をたぶらかし、何か企んでいるに違いない」
「殿下。エレノア様は、先ほどから商店の方々と価格や流通についてお話しされているようですが」
「……何?」
「どうやら、街道の通行税について調べていらっしゃるようです」
「デート中に?」
「はい」
アルベルトは絶句しました。
〜〜〜
一方、その頃のセレスティアは。
「エレノア様、次はどちらへ参りましょう?」
「そうですわね。街道沿いの運送業者にも話を聞いてみたいところですが」
「まあ! では、そちらへ参りましょう!」
「よろしいのですか?」
「もちろんです!」
「セレスティア様、本日はわたくしのお付き合いをしてくださっているのでは?」
「はい!」
「でしたら、もっとご自分の行きたい場所をおっしゃってくださっても」
「わたくしの行きたい場所は、エレノア様のお隣です!」
〜〜〜
「…………」
アルベルトの手から、持っていた扇子が滑り落ちました。
「何なのだ、あの女は」
側近は、そっと目を逸らしました。
「殿下。そろそろ現実を受け入れられては」
「黙れ!」
しかし、アルベルトは気づいておりませんでした。
柱の陰から二人を追いかける自分の姿が、王都の住民たちにしっかり目撃されていることに。
そして翌日。
王宮には、こんな噂が広まることになるのです。
――王太子殿下が、元婚約者と聖女様のデートを尾行していたらしい。
王国の未来が心配ですわね。
〜〜〜
夕方。
わたくしたちは、王都を見渡せる小さな丘に立っておりました。
結局、街道の調査に夢中になりすぎて、予定していた植物園には行けませんでした。
それでも、不思議と後悔はありません。
「本日は、ありがとうございました」
わたくしは、セレスティア様に頭を下げました。
「こちらこそ! とても楽しかったです!」
「本当に?」
「はい!」
セレスティア様は、少しだけ首を傾げました。
「エレノア様は、楽しくありませんでしたか?」
「いいえ。わたくしも、楽しかったですわ」
そう答えると、セレスティア様は目を見開きました。
「本当ですか?」
「ええ」
「本当に、本当に?」
「ええ、ですから」
「……っ!」
セレスティア様は、両手で口元を押さえました。
その目には、うっすらと涙まで浮かんでおります。
「……エレノア様に、楽しかったと言っていただけました」
「セレスティア様!?」
「わたくし、今日という日を一生忘れません!」
「お、大げさですわ!」
「大げさではございません!」
セレスティア様は、真剣な顔でわたくしを見つめました。
「わたくしにとっては、何よりも大切な一日なのです」
……。
……本当に、この方は。
わたくしは、小さく息を吐きました。
そして、そっと手を差し出したのです。
「では、またご一緒いたしましょう」
「え?」
「次は、植物園へ。今日は行けませんでしたから」
セレスティア様は、完全に固まってしまいました。
「エレノア様」
「はい?」
「それは」
「?」
「次のデートのお約束。ということでよろしいのでしょうか?」
「…………」
しまった。
わたくしは、思わず口元を押さえました。
確かに。
今日のような時間を、また過ごしたいと思ったのは事実です。
しかし。
デート。
その言葉を使うのは、少々早いのでは?
「お、お友達としてのお出かけ。という意味ですわ!」
「はいっ!」
セレスティア様は、満面の笑みで頷きました。
「もちろんです! お友達から始めてくださるだけでも、わたくしは十分幸せです!」
「……」
なぜでしょう。
わたくしは今、少しだけ残念に思ってしまいました。
セレスティア様が、あまりにも嬉しそうだったからでしょうか。
それとも。
わたくし自身が、彼女と過ごす時間を、思っていた以上に楽しんでいたからでしょうか。
答えは、まだわかりません。
ただ一つだけ。
「次は、もう少しゆっくり街を歩きましょうね」
そう申し上げると、セレスティア様は、これまでで一番幸せそうに笑ってくださいました。
その笑顔を見て。
わたくしも、自然と笑っていたのです。
恋というものは。
案外、悪くないのかもしれませんわね。




