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「お嬢様。こちらをご覧くださいませ」
「マリア。これは何ですの?」
「お出かけ用のお帽子でございます」
「それは見ればわかりますわ」
朝。
わたくしは、自室のテーブルに並べられた帽子を前に、頭を抱えておりました。
白い帽子。
桃色の帽子。
花飾りのついた帽子。
さらには、どう考えても普段使いには向かない、羽根が三本も生えた帽子までございます。
……なぜでしょう。
先日。
セレスティア様からお手紙が届き、本日、王都を散策する約束をしただけなのですが。
「マリア。わたくしは王都を歩くだけですのよ?」
「はい」
「王宮の舞踏会に出席するわけでも、他国の王族をお迎えするわけでもございません」
「はい」
「でしたら、なぜ帽子が七つも必要なのです?」
「聖女様のお好みに合わせるためでございます!」
「聖女様のお好み!?」
わたくしは思わず椅子から立ち上がりました。
「そもそも、セレスティア様がどのような帽子を好まれるかなど、わたくしは存じませんわ!」
「でしたら、すべてお持ちになればよろしいのでは?」
「帽子を七つも持って街を歩く公爵令嬢がどこにいるのです!」
「お嬢様なら、どのような帽子でもお似合いになるかと」
「そういう問題ではございません!」
マリアは、困ったように微笑みました。
「ですが、お嬢様。聖女様とのお出かけを楽しみにしていらっしゃるのでしょう?」
「……」
「昨日は、夕食の際にも聖女様のお話をなさっておりましたし」
「そ、それは!」
「今朝も、起きてすぐに招待状をご確認なさいました」
「……」
「それに、昨夜は寝る前に三度も鏡をご覧になって」
「マリア!」
「はい、お嬢様!」
「あなた、いつからわたくしの行動を監視するようになったのです!?」
「お嬢様の侍女になった日からでございます」
「正論で返さないでくださいませ!」
わたくしは、深くため息をつきました。
まったく。
最近、周囲の人々が妙に楽しそうなのです。
わたくしが婚約破棄されたというのに。
……いえ。
婚約破棄されたこと自体は、むしろ喜ばしい出来事だったのですけれど。
ともかく。
本日はセレスティア様との約束の日。
余計なことは考えず、ただ街を歩き、お話をし、夕方には帰宅する。
それだけですわ。
「では、この白い帽子にいたします」
「まあ! そちらですか!」
「ええ。最も目立たないものですから」
「聖女様にお会いになるのに、最も目立たないものを?」
「マリア」
「はい?」
「これ以上、何かおっしゃるようでしたら、来月の休暇を一日増やしますわよ?」
「かしこまりました! 白い帽子をご用意いたします!」
まったく。
我が家の侍女たちは、主人をからかうことに全力を注ぎすぎではなくて?
〜〜〜
待ち合わせ場所は、王都中央広場の噴水前でした。
約束の時間より十分早く到着したわたくしは、噴水のそばで街の様子を眺めておりました。
王都の中心部には商店が立ち並び、朝から多くの人々が行き交っております。
野菜を売る商人。
荷車を引く職人。
パンを買い求める子どもたち。
活気があって、よい街ですわね。
ただ、少し気になることもございます。
「あちらの果物屋、先月よりも価格が上がっておりますわね」
市場の入口に掲げられた値札を眺めながら、わたくしは小さくつぶやきました。
「輸送費の高騰でしょうか。それとも、街道の整備が遅れているのでしょうか」
「エレノア様!」
突然、背後から声がしました。
振り返ると、そこにはセレスティア様がいらっしゃいました。
「お待たせしてしまいましたか?」
「いいえ。わたくしも今、到着したところですわ」
本当は十分前から到着していたのですが、そこは淑女のたしなみです。
「まあ……!」
セレスティア様は、わたくしの姿を見て、ぴたりと動きを止めました。
「どうかなさいました?」
「い、いえ」
彼女の頬が、じわじわと赤くなっていきます。
「本日も、とてもお美しくて」
「あ、ありがとうございます」
「その帽子も、とてもお似合いです!」
「そ、そうですか?」
「はい! ああ、どうしましょう」
「セレスティア様?」
「いえ、何でもございません! 本日はよろしくお願いいたします!」
セレスティア様は、勢いよく頭を下げました。
……何でしょう。
本日は、いつにも増して様子がおかしいような。
「それでは、参りましょうか」
「はい!」
セレスティア様が、そっと手を差し出しました。
……手?
わたくしは、その手と彼女の顔を交互に見つめました。
「どうかなさいました?」
「いえ……その、お手を?」
「はい」
「なぜ?」
セレスティア様が、固まりました。
「な、なぜと申しますと」
「歩くのでしたら、普通に並んで歩けばよろしいのでは?」
「そ、それは、そうなのですが……!」
彼女は真っ赤になりながら、言葉を探していらっしゃいます。
やがて、意を決したように。
「手をつないで、歩きたいのです」
「…………」
なるほど。
なるほど、ですわね。
これは、おそらく護衛の問題でしょう。
聖女様は王国でも重要なお立場です。人混みで離れてしまわないよう、互いの手をつないでおくというのは、合理的な判断かもしれません。
少々、距離が近い気もいたしますが。
「承知いたしましたわ」
わたくしは、セレスティア様の手を取りました。
その瞬間。
「ひゃっ……!」
「!?」
セレスティア様が、奇妙な声を上げました。
「セレスティア様!?」
「だ、大丈夫です! 大丈夫ですから!」
「お顔が真っ赤ですわよ!?」
「問題ございません! 少しばかり、幸せすぎるだけです!」
「それは問題ではなくて!?」
わたくしが慌てて手を離そうとすると、セレスティア様は両手でわたくしの手を包み込みました。
「は、離さないでくださいませ……!」
「……!」
彼女の指先が、わずかに震えておりました。
いつもの積極的な態度とは違う、ひどく初々しい反応。
わたくしは、なぜだか胸の奥がくすぐったくなりました。
「わかりましたわ」
わたくしは、小さく微笑みました。
「では、参りましょう」
「……はい!」
セレスティア様は、花が咲いたように笑いました。
い、いけません。
この方の笑顔には、何か人の判断力を鈍らせる力でもあるのでしょうか。
少なくとも、わたくしは今、少しだけ手を離したくないと思ってしまいました。
ふふ。その事実には、気づかなかったことにいたしましょう。




