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「お嬢様。本日は、いつもより三割増しでお可愛いでございます」
「マリア」
「はい?」
「その評価基準は、いったい何なのです?」
朝から侍女に若干食い気味に褒めそやされ、わたくしは困惑しておりました。
鏡の中にいるのは、淡い桃色のドレスをまとった、いつもどおりのわたくしです。
髪は丁寧に結い上げられ、首元には真珠のネックレス。
化粧も控えめ。
どこからどう見ても、公爵令嬢として申し分のない装いです。
……ただし。
「マリア。なぜ、わたくしの髪に花を挿したのです?」
「聖女様がお喜びになるかと思いまして」
「なぜ、香水まで変えたのです?」
「聖女様がお喜びになるかと思いまして」
「なぜ、いつもの三倍も時間をかけて支度を」
「聖女様がお喜びになるかと思いまして!」
「全部それではありませんか!」
マリアは、にこにこと笑っておりました。
主の恋路を応援する侍女というものは、どうしてこうも楽しそうなのでしょう。
そもそも、恋路と決まったわけではありませんのに!
「よろしいですか、マリア。今日のお昼は、あくまでも聖女様とお話をするための席です。求婚のお返事をするわけではございません」
「はい、存じております」
「わたくしは、まだセレスティア様をよく存じ上げません。まずはお人柄を理解し、今後のお付き合いについて考える。それだけですわ」
「まあ。つまり、お互いを知るためのお食事ですね」
「言い方が違うだけで、意味は同じではありませんか?」
「そうですわね!」
なぜ、そこで嬉しそうになさるのです!?
わたくしは深くため息をつきました。
いけません。
出発前から疲れていては、先が思いやられます。
本日の目的は、ただ一つ。
聖女様に誤解を与えず、穏便にお話を終えること。
よろしいですわね、エレノア。
あなたは公爵令嬢。
外交交渉も、領地経営も、王太子妃教育も乗り越えてきた女です。
聖女様との昼食会くらい、どうということはありません。
……たぶん。
〜〜〜
約束の場所は、王都でも指折りの高級レストランでした。
白亜の建物に、色とりどりの花が咲く庭園。
大きな窓からは噴水が見え、店内には柔らかな弦楽器の音色が流れております。
そして、入口には。
「エレノア様!」
わたくしを見つけたセレスティア様が、満面の笑みで駆け寄ってこられました。
白を基調としたドレス。
金色の髪には、小さな花飾り。
まるで絵画から抜け出してきたかのような美しさです。
……いけません。
少々、見惚れてしまいました。
「本日はお招きいただき、ありがとうございます」
「いいえ! こちらこそ、お越しいただけて嬉しいです!」
セレスティア様は、わたくしの両手をそっと握りました。
「今日という日を、ずっと楽しみにしていたのです」
「それは、どうも」
今日という日。
まるで数十年ぶりのような口ぶりですこと。
「昨夜は、あまり眠れませんでしたわ」
「まあ。お体に障りますわ。今夜は早めにお休みくださいませ」
「エレノア様のことを考えていたら、眠れなくなってしまって」
「…………」
わたくしは、そっと視線を逸らしました。
いけません。
この方は、平然とそういうことをおっしゃるのです。
いちいち動揺していては、身が持ちません。
「それでは、参りましょうか」
「はい!」
案内されたのは、庭園を一望できる個室でした。
そしてテーブルには二人分の食器しかありません。
個室。
二人きり。
高級レストラン。
なるほど…これは。
わたくしにだけ話したい秘密でもあるのでしょうか。
恋沙汰だと思わせておいて、なるほど。油断ならないお相手。
例えば、王国の財政問題。
あるいは、教会内部の権力争い。
まさか、魔王軍の再侵攻に関する極秘情報……?
「エレノア様?」
「はっ。失礼いたしました」
「どうかなさいました?」
「いえ。少々、考え事を」
「まあ……」
セレスティア様は、なぜか嬉しそうに頬を染めました。
「わたくしとのお食事で、緊張してくださっているのですね」
「違いますわ」
「照れていらっしゃるのも、お可愛らしい」
「違いますと申し上げております!」
だめです。
本日のご昼食。開始からわずか三分。
すでに主導権を握られております。
〜〜〜
「それでは、乾杯いたしましょう」
セレスティア様がグラスを持ち上げました。
「エレノア様と、こうして二人きりでお食事ができる幸せに!」
「……ええ。では、本日の有意義な意見交換に」
「い、意見交換?」
「い、いえ。こちらのお話です」
セレスティア様は慌ててグラスを合わせました。
……意見交換。
なぜ、そんなに驚かれたのでしょう。
やはり、何か重要な話があるのでは?
わたくしは気を引き締めました。
前菜が運ばれてきます。
季節の野菜を使った美しい料理でした。
「エレノア様。お好きなものはございますか?」
「好きなもの、ですか?」
「はい。食べ物でも、趣味でも、何でも!」
「そうですわね……。読書と、紅茶でしょうか」
「まあ! どのような本をお読みになるのですか?」
「歴史書や経済書、領地経営に関する書物などですわ」
「素晴らしいです!」
「……そのようなものをお読みにならないのですか?」
「いえ、わたくしも勉強はいたしますけれど……」
セレスティア様は、少し考え込まれました。
「エレノア様は、どのような物語がお好きなのかしら、と」
「物語?」
「はい。恋物語などは?」
ぶふっ。
危うく、紅茶を吹き出すところでした。
「こ、恋物語!?」
「はい!」
「なぜ、そのような話題に!?」
「エレノア様のことを、もっと知りたいからです」
「そ、それは……」
「好きな男性のタイプなども、ぜひ!」
「男性!?」
わたくしは思わず声を上げました。
「ええと……」
セレスティア様は、なぜか困ったように微笑まれました。
「やはり、殿方のほうがお好きでしょうか……?」
「いえ、そういうわけではなく!」
「では、女性でも?」
「…………」
しまった。
誘導尋問ですわ!
「セレスティア様。そもそも、わたくしは恋愛経験がほとんどございませんの」
「はい」
「殿方の好みも、女性の好みも、正直なところ、よくわかりません」
「……そうなのですね」
セレスティア様は、少しだけ目を伏せました。
その表情に、わたくしの胸がちくりと痛みます。
あら。
なぜでしょう。
この方が残念そうになさると、わたくしまで申し訳ない気持ちになってしまいます。
「ですが」
気づけば、わたくしは口を開いておりました。
「一緒にいて、気を遣わずに済む方がよろしいですわね。わたくしはこれまで、誰かの期待に応えることばかり考えておりましたから」
「エレノア様」
「ですから、これからは、自分らしくいられる相手と過ごしたいと思っております」
セレスティア様は、しばらく黙っておられました。
やがて。
「でしたら、わたくしが、そのお相手になりたいです」
真っ直ぐな瞳でした。
冗談でも、社交辞令でもありません。
「わたくしは、エレノア様に何かを強いるつもりはございません。好きになってほしいとお願いすることはあっても、無理に好きになっていただこうとは思っていません」
「……」
「だから、わたくしといるときくらいは、どうか無理をなさらないでくださいませ」
その言葉が、胸の奥に静かに染み込んでいきました。
わたくしは、すぐには返事ができませんでした。
この方は、わたくしに何かを求めているのではない。
少なくとも、家柄でも、財産でも、政治的な利益でもなく。
ただ、わたくし自身を見てくださっている。
そう思ったのです。
……いけません。
このままでは、何か大切なものが揺らいでしまいそうです。
「ありがとうございます、セレスティア様」
わたくしは、少しだけ微笑みました。
「あなたのお気持ちは、よくわかりましたわ」
「本当ですか!?」
「ええ」
「では、次のお休みの日に、二人で王都の街を歩きませんか!?」
「…………」
前言撤回。
この方、やはり勢いがすごいですわ!
〜〜〜
昼食会が終わるころには、わたくしはすっかり疲れ果てておりました。
しかし、不思議なことに不快ではなかったのです。
むしろ、時間が過ぎるのが早く感じられました。
セレスティア様は、わたくしの話をよく聞いてくださいました。
領地の話をすれば興味深そうに質問し、紅茶の話をすれば嬉しそうに頷く。
時折、少し大胆な発言をなさるものの、決してわたくしの気持ちを無視することはありませんでした。
悪い方では、ないのですわね。
「エレノア様」
店を出たところで、セレスティア様が声をかけてこられました。
「本日は、本当にありがとうございました」
「こちらこそ。楽しい時間を過ごさせていただきましたわ」
「また、お誘いしてもよろしいでしょうか?」
その問いかけは、先ほどまでとは違って、少しだけ控えめでした。
わたくしは、思わず笑みをこぼしました。
「ええ。ぜひ」
セレスティア様の顔が、ぱあっと明るくなりました。
「ありがとうございます! では、次は王都の街へ! その次は劇場へ! それから王立植物園と、湖畔の別荘と……!」
「お、お待ちくださいませ! 一度に予定を詰め込みすぎですわ!」
「あっ……申し訳ございません。つい、嬉しくなってしまって……」
「ふふっ」
思わず、笑ってしまいました。
セレスティア様が目を丸くなさいました。
「エレノア様?」
「いえ。あなたは、本当に面白い方だと思いまして」
「……!」
今度は、セレスティア様が真っ赤になりました。
「お、面白い……! エレノア様が、わたくしのことを……!」
「あの、セレスティア様?」
「一生の宝物にいたします!」
「何をですの!?」
「エレノア様に面白いと言っていただいた、この瞬間を!」
「おやめくださいませ! そんな大層なものではございませんわ!」
……本当に。
この方といると、調子が狂います。
けれど。
馬車に乗り込む直前、わたくしはふと思いました。
明日も、またお話しできたら。
そう思ったことは、ひとまず秘密にしておきましょう。
〜〜〜
その日の夜。
王宮では、アルベルト王太子が頭を抱えておりました。
「どういうことだ」
机の上には、報告書が置かれています。
聖女セレスティアが、王太子との婚姻を拒否したこと。
そして、エレノア・フォン・ローゼンベルクとの婚姻を望んでいること。
さらに。
「ローゼンベルク公爵家が、婚約破棄の件について正式な抗議文を提出?」
アルベルトは顔を引きつらせました。
エレノアの父であるローゼンベルク公爵は、王国の財政と食糧政策に大きな影響力を持つ人物です。
その娘との婚約を、自分から破棄した。
それ自体は、王太子の権限で押し通せると思っておりました。
しかし。
「まさか、聖女まで失うとは」
彼は、まだ理解しておりませんでした。
自分が手放したものの価値を。
そして、自分が捨てた女性が、どれほど多くの人々から信頼されているのかを。
「エレノア……!」
アルベルトは拳を握り締めました。
「私は、何かを間違えたのか?」
答える者は、誰もおりませんでした。
ただ一つ、確かなことがあります。
エレノアは今頃、温かい紅茶を飲みながら、こう考えていたのです。
――明日は、何を読もうかしら。
元婚約者の苦悩など、知ったことではないのですから。




