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「……とりあえず、場所を変えませんこと?」
わたくしは、できる限り穏やかな声で提案いたしました。
何しろ、ここは王宮の大広間。
王侯貴族が勢揃いする社交の場でございます。
その中央で、王国の聖女様が公爵令嬢に求婚している。
しかも、つい先ほどまで婚約破棄騒動の真っ最中だったのです。
これ以上の醜聞があるでしょうか。
いいえ、ありませんわ。
「まあ! エレノア様、お二人きりになってくださるのですか?」
「そのような意味ではございません!」
「では、どのような意味でしょう?」
「騒ぎを収めたいという意味ですわ!」
「ああ……! わたくしったら、つい嬉しくなってしまって……」
セレスティア様は、両頬を押さえて微笑まれました。
……なんでしょう。
この方、わたくしが何を言っても都合よく解釈なさるのではなくて?
「セレスティア! いい加減にしろ!」
とうとう、アルベルト殿下が声を荒らげました。
「君は聖女なのだぞ! そのような……そのような、女同士で結婚などと!」
「あら」
セレスティア様の笑顔が、ほんの少しだけ変わりました。
先ほどまでの花がほころぶような微笑みではありません。
どこか、ひんやりとした。
けれど、恐ろしく美しい微笑みです。
「殿下。わたくしの婚姻について、何か問題でも?」
「も、問題に決まっているだろう!」
「具体的には?」
「そ、それは……」
「王国法に、女性同士の婚姻を禁じる条文はございません。教会法にもございません。聖女が誰を伴侶に選ぶべきかについても、神託は一切下されておりませんわ」
「ぐっ……!」
「それとも、わたくしが先ほどまで殿下の隣にいたことが問題なのでしょうか?」
「そ、そうだ! 君は私の……!」
「わたくしは、殿下の所有物ではございません」
にこり。
「それに、殿下。わたくし、先ほど申し上げましたわよね。殿下と結婚するつもりはない、と」
殿下は絶句なさいました。
お気の毒に。
……いえ、別にお気の毒ではありませんわね。
ご自分で招いた事態ですもの。
わたくしがそう考えていると、セレスティア様がくるりとこちらを向きました。
「それでは、エレノア様。参りましょう!」
「ど、どちらへ?」
「もちろん、お二人でお話しできる場所へ!」
「わたくし、まだ結婚するとは申し上げておりませんけれど!?」
「存じております!」
「では、なぜそんなに嬉しそうなのです!?」
「エレノア様と一緒にいられるからです!」
…………。
だめですわ。
この方、強い。
王国最強と謳われる聖女様の精神力は、魔王軍の侵攻にも耐えうるものなのかもしれません。
わたくしのような、ただの公爵令嬢では太刀打ちできませんわ。
⸻
王宮の小応接室。
わたくしは、セレスティア様と向かい合って座っておりました。
侍女がお茶を用意し、退出していきます。
ようやく、落ち着いてお話ができそうです。
「セレスティア様」
「はい!」
「まず、率直にお尋ねいたします。わたくしの何が目的なのですか?」
「……はい?」
セレスティア様が、きょとんとなさいました。
「わたくしの家は、王国でも有数の大貴族です。領地も広く、財産もございます。王太子妃教育を受けておりましたので、政治や経済にも多少の心得がありますわ」
「ええ。存じております」
「つまり、わたくしと結婚すれば、ローゼンベルク公爵家との縁ができます。領地経営の知識も得られます。政治的な後ろ盾も期待できるでしょう」
「……」
「そのような理由でしたら、どうかお考え直しくださいませ。わたくしは、政略結婚にはもう懲り懲りなのです」
きっぱりと申し上げました。
そうです。
わたくしはもう、誰かの都合で結婚するのは嫌なのです。
今度こそ、自分の人生を自分で決めたい。
それが、婚約破棄によって得られた、わたくしのささやかな願いでした。
ところが。
「……ぷっ」
「……セレスティア様?」
「ふふっ……あはははっ!」
「な、なぜ笑うのです!?」
「申し訳ございません! だって……だって、エレノア様ったら!」
セレスティア様は目元に浮かんだ涙を拭いながら、わたくしを見つめました。
「わたくしが、エレノア様の財産目当てだと?」
「ち、違うのですか?」
「違いますわ!」
即答でした。
「では、領地経営の知識が?」
「必要ありません!」
「政治的な後ろ盾が?」
「わたくし、聖女ですので!」
「……では、いったい何が?」
セレスティア様は、すっと背筋を伸ばしました。
そして、先ほどまでの笑顔とは違う、少しだけ恥ずかしそうな顔でおっしゃったのです。
「わたくしは、エレノア様ご自身が好きなのです」
心臓が、どきりと鳴りました。
「初めてお会いしたのは、五年前。王宮で開かれた慈善事業の会議でしたわね」
「……ええ」
覚えております。
確か、孤児院への支援金を巡って、貴族たちの意見がまとまらなかったときです。
わたくしは予算案を作り直し、寄付だけに頼らず、孤児院が自立できる仕組みを提案いたしました。
「皆様が、寄付金の額や自分の名誉ばかりを気にする中で、エレノア様だけは子どもたちが十年後も暮らしていける方法を考えてくださった」
「……あの程度、当然のことでしょう?」
「いいえ。わたくしには、とても眩しく見えました」
セレスティア様は、優しく微笑まれました。
「それから、ずっとお慕いしておりました」
「……」
「お話しするたびに、もっと好きになりました。凛としていて、賢くて、誰も見ていないところでも努力を惜しまなくて。それなのに、ご自分のことになると、驚くほど無頓着で……」
「お、お待ちくださいませ!」
「はい?」
「それ以上は……!」
顔が熱い。
どうしてでしょう。
殿下に婚約破棄を宣言されたときには、あれほど冷静でいられたのに。
この方に褒められると、どうしてこんなにも落ち着かないのでしょう。
「……ですが」
わたくしは、なんとか言葉を絞り出しました。
「わたくし、女性ですわよ?」
「はい」
「セレスティア様も女性ですわよね?」
「はい!」
「……結婚、ですわよ?」
「もちろんです!」
「…………」
だめですわ。
堂々巡りです。
「わたくし、恋愛というものがよくわかりませんの」
正直に申し上げました。
「殿下との婚約も、家同士で決められたものでした。殿下を嫌っていたわけではありませんが、恋をしていたのかと問われれば……わかりません」
「はい」
「ですから、セレスティア様のお気持ちに、すぐお応えすることはできません」
「……はい」
初めて。
セレスティア様の表情から、勢いが消えました。
少しだけ寂しそうに、それでも真剣に、わたくしを見つめていらっしゃいます。
「それでも、よろしいのですか?」
「もちろんです」
「……え?」
「エレノア様がわたくしを好きになってくださるまで、ゆっくりお待ちします。まずはお友達からでも構いませんわ」
「お友達……」
「はい!」
そして、ぱっと笑顔になさいました。
「明日、一緒にお食事はいかがですか?」
「明日!?」
「明後日でも構いません!」
「いえ、そうではなく……!」
「では、明日のお昼に!」
「お話を聞いてくださいませ!」
⸻
その日の夕方。
わたくしは馬車に揺られながら、窓の外を眺めておりました。
婚約破棄。
聖女様からの求婚。
そして、明日の昼食のお誘い。
……情報量が多すぎますわ。
「お嬢様」
向かいに座る侍女のマリアが、遠慮がちに口を開きました。
「その……聖女様からのお申し出は、お受けになるのですか?」
「お受けするも何も、わたくしはまだ何も決めておりませんわ」
「ですが、聖女様は大変お美しいお方ですし、王国中の殿方が憧れていると聞きます」
「それは存じております」
「そのような方が、お嬢様にあれほど熱烈な求婚をなさるなんて……」
「マリア」
「はい?」
「わたくし、何かとんでもないことに巻き込まれている気がするのですけれど」
マリアは少し考えました。
そして、にっこりと微笑みました。
「お嬢様。人生には、思いがけない幸運が舞い込むこともございます」
「……幸運?」
「はい。婚約破棄されたその日に、王国一の美女から求婚されるなど、物語の主人公のようではありませんか」
「…………」
わたくしは、窓の外へ視線を戻しました。
幸運。
そう、幸運。
きっと、そうなのですわ。
殿下との婚約が破棄されたことで、わたくしは自由になりました。
これからは、自分の人生を歩めるのです。
恋愛だって、焦る必要はありません。
聖女様には、きちんとお話しして、誤解のないように……
『エレノア様がわたくしを好きになってくださるまで、ゆっくりお待ちします』
……。
……あの方、明日もいらっしゃるのですわよね?
わたくしは、そっと額を押さえました。
「マリア」
「はい、お嬢様」
「明日の昼食ですが……」
「はい!」
「わたくし、何を着ていけばよろしいのでしょう?」
「まあ!」
マリアが目を輝かせました。
「それでしたら、先日仕立てたばかりの淡い桃色のドレスはいかがでしょう? 聖女様のお召し物ともよく映えると思いますわ!」
「ち、違います! そういう意味ではございません!」
「では、こちらの青いドレスを?」
「だから、そうではなく!」
馬車の中に、わたくしの悲鳴が響き渡りました。
……神様。
どうか、明日の昼食が無事に終わりますように。
このときのわたくしは、まだ知りませんでした。
翌日の昼食が、王国の歴史に残る大騒動の始まりになることを。
そして。
聖女様が、わたくしの想像を遥かに超える情熱の持ち主であることを。
……本当に。
どうして、こうなりましたの!?




