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わたしが「婚約破棄」された瞬間。なぜか聖女様がわたしにプロポーズしてきたのですけれど?〜えっ、貴女。そっち側のお人でしたの?〜  作者: ケイ


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 どれほどそうしていただろう。


 やがて、セレスティア様が顔を上げた。


 目元が少し赤くなっている。


「申し訳ありません。お召し物に涙が」


「お気になさらないでくださいませ」


「でも」


「大切な方が泣いているのに、服の心配をする方がおかしいでしょう?」


 そう言ってから、わたくしは固まった。


 ……。


 ……大切な方?


 今、わたくしは何と言った?


 セレスティア様も、目を丸くしている。


「エレノア様」


「な、何でしょう?」


「今、わたくしのことを」


「そ、それは、その!」


 しまった。


 勢いで口にしてしまった。


 しかし、嘘ではない。


 セレスティア様は、わたくしにとって大切な方だ。


 それは、間違いない。


「……大切な方、と申し上げましたわ」


「…………!」


 セレスティア様の顔が、みるみる赤くなった。


「本当に?」


「ええ」


「わたくしが、エレノア様にとって?」


「そうですわ」


「大切な方」


 セレスティア様は、何度もその言葉を繰り返した。


 そして。


「わたくし、今なら空を飛べそうです」


「飛ばないでくださいませ!」


「ふふっ」


 彼女は、涙を拭いながら笑った。


 いつもの笑顔だった。


 けれど、今まで見たどの笑顔よりも、近くに感じられた。


     ◇


 その後、セレスティア様は帰る時間になった。


 玄関まで見送りに出る。


「今日はありがとうございました、エレノア様」


「こちらこそ。お話ししてくださって、ありがとうございました」


「また、お会いしてもよろしいでしょうか?」


「もちろんですわ」


「次は、月光草の様子を見に来てもよろしいですか?」


「ええ。ぜひお願いいたします」


 セレスティア様は嬉しそうに微笑んだ。


 そして、少しだけためらったあと、わたくしの手を取った。


「今日は、もう一つだけお願いしてもよろしいでしょうか?」


「何でしょう?」


「お別れの前に、もう一度だけ抱きしめていただけませんか?」


「……」


 わたくしは、少し驚いた。


 けれど、断る理由はなかった。


「ええ。もちろんですわ」


 わたくしは、もう一度彼女を抱きしめた。


 今度は、先ほどよりも少しだけ自然に。


「ありがとうございます」


「どういたしまして」


 離れると、セレスティア様は幸せそうに微笑んだ。


「次にお会いできる日が楽しみです」


「わたくしもですわ」


 その言葉を聞いたセレスティア様は、またしても真っ赤になった。


 ……。


 最近、セレスティア様はよく赤くなる。


 体調が悪いのだろうか。


 少し心配ですわね。


     ◇


 セレスティア様が帰った後。


 わたくしは自室に戻り、椅子に座った。


「…………」


 何となく、先ほどの出来事を思い返す。


 セレスティア様を抱きしめた。


 彼女が泣きそうだったから。


 安心してほしかったから。


 そして、彼女が笑ってくれたとき、わたくしも嬉しかった。


 ……。


 何でしょう。


 胸の奥が、まだ温かい。


「お嬢様」


 マリアが紅茶を持ってきた。


「はい?」


「セレスティア様は、無事にお帰りになりました」


「そうですか」


「それにしても」


「何ですの?」


「先ほどは、随分と大胆でいらっしゃいましたね」


「……!」


 わたくしは固まった。


「ま、マリア! 見ていたのですか!?」


「玄関の近くにおりましたので」


「いつから!?」


「お嬢様がセレスティア様を抱きしめたあたりからでしょうか」


「最初からではありませんの!」


「申し訳ございません」


 マリアは少しも申し訳なさそうではなかった。


「ですが、お嬢様」


「何ですの」


「セレスティア様を抱きしめたとき、どのようなお気持ちでしたか?」


「それは」


 わたくしは考えた。


 彼女を安心させたいと思った。


 離れたくないとも思った。


 そして、もう一度抱きしめてほしいと言われたとき、嬉しかった。


「温かかったですわ」


「それは、よろしゅうございました」


「それに、もう少し一緒にいたいとも思いました」


 マリアの目が、少しだけ大きくなった。


「まあ」


「な、何ですの?」


「いいえ。何でもございません」


 マリアは微笑んだ。


「お嬢様。少しずつ、ご自身のお気持ちが分かってきたのではありませんか?」


「そうでしょうか」


「ええ」


 わたくしは、窓の外を見た。


 夜空には、月が浮かんでいる。


 庭園の月光草は、今夜も美しい花を咲かせているだろう。


 その花を見るたびに、セレスティア様を思い出す。


 そして、彼女に会いたいと思う。


 ……。


 これは、いったい何なのでしょう。


 まだ答えは出ない。


 けれど、一つだけ分かっていることがある。


 わたくしは、セレスティア様に笑っていてほしい。


 できることなら、その笑顔を一番近くで見ていたい。


 その願いが何という名前なのか。


 わたくしは、まだ知らなかった。


     ◇


 一方、聖教会。


 自室に戻ったセレスティアは、ベッドの上に座り込んでいた。


「…………」


 両手で頬を押さえる。


 顔が熱い。


 心臓が落ち着かない。


「エレノア様に……抱きしめていただきました」


 もう一度、呟く。


 そして、枕に顔を埋めた。


「大切な方、とおっしゃってくださいました……!」


 聖女として、数々の奇跡を起こしてきた彼女。


 どれほどの人々に感謝されても、これほど胸がいっぱいになったことはなかった。


 やがて、彼女は枕から顔を上げた。


「わたくし、もっと頑張れそうです」


 そう呟いて、幸せそうに笑った。


 ただし。


 翌朝、聖教会の関係者たちは驚くことになる。


 聖女様が朝から妙に機嫌がよく、いつも以上に治癒魔法の成功率が高かったからだ。


「聖女様、本日は何か良いことでもございましたか?」


「はい!」


「それは、どのようなことでしょう?」


「秘密です!」


 セレスティアは、満面の笑みで答える。


 その笑顔は、王国中に希望を与えるほど美しかった。


 そして本人は、まだ知らない。


 自分が抱きしめられたことを思い出すたびに、月光草の花がさらに強く輝いていることを。


 どうやら、植物の方が人間よりも正直らしい。

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