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月光草の研究を始めてから、五日が経過。
わたくし、エレノア・フォン・ローゼンベルクは、現在、非常に興味深い事実を発見していた。
「やはり、そうですわね」
机の上には、栽培記録と魔力測定の結果が並んでいる。
月光草は、魔力を与えられたときだけ花を開くわけではない。
どうやら、周囲の環境に存在する魔力の質や、植物の近くにいる人間の感情にも反応しているらしい。
特に、強い親愛や安心感を伴う魔力に対して、顕著な反応を示す。
「つまり、魔力の量だけでは説明できないということですわね」
わたくしはノートに記録した。
これは画期的な発見かもしれない。
もし感情と魔力の関係を解明できれば、治癒薬の研究にも応用できる可能性がある。
……。
ところで。
なぜ、セレスティア様がいらっしゃった日だけ、あれほど花が開いたのだろう。
聖女だから?
魔力量が多いから?
それとも、魔力の質が特殊だから?
いや、待ってくださいませ。
そもそも、わたくしはセレスティア様がいらっしゃると嬉しくなる。
その感情が月光草に影響した可能性もある。
「…………」
わたくしはペンを止めた。
何だろう。
今、少々面倒なことに気づいてしまった気がする。
「お嬢様」
マリアが紅茶を運んできた。
「お疲れのようですね」
「そうでしょうか?」
「ここ数日、月光草の研究ばかりなさっていますから」
「興味深い研究ですもの」
「それは結構ですが、セレスティア様のお手紙を何度も読み返していらっしゃるのは、研究とは関係ございませんよね?」
「……っ!」
わたくしは手元の手紙を隠した。
「な、何をおっしゃいますの!」
「別に何も」
「これは、栽培に関する重要な情報が書かれているのですわ!」
「左様でございますか」
マリアは微笑んだ。
その笑顔が、妙に腹立たしい。
なぜでしょう。
最近、マリアはわたくしのことを少々からかいすぎではありませんこと?
◇
その日の午後。
セレスティア様から、急ぎの手紙が届いた。
『エレノア様。
突然で申し訳ございません。
本日、少しだけお時間をいただけないでしょうか。
お話ししたいことがございます。
セレスティア』
「……」
いつもより短い手紙だった。
しかも、文面に少しだけ迷いが感じられる。
「マリア」
「はい」
「セレスティア様に、ぜひお越しくださいとお返事をしてくださいませ」
「承知いたしました」
わたくしは手紙を見つめた。
何かあったのだろうか。
以前、王宮からの面会要請を断ったと聞いている。
アルベルト殿下が、セレスティア様に何か言ったのかもしれない。
……。
もしそうなら。
わたくしも、黙っているつもりはない。
セレスティア様は、わたくしにとって大切な方なのだから。
◇
夕方。
セレスティア様は、予定より少し遅れて屋敷に到着した。
「お待たせして申し訳ありません」
「いいえ。お越しいただき、ありがとうございます」
わたくしは彼女の顔を見て、すぐに気づいた。
いつもと違う。
笑顔は浮かべている。
しかし、目元には疲れが見える。
「セレスティア様。何かございましたか?」
「……実は」
セレスティア様は、少しだけ視線を落とした。
「王宮から、再び面会の要請がありました」
「アルベルト殿下からですか?」
「はい」
「何をお話ししたいと?」
「エレノア様との関係について、確認したいそうです」
やはり。
わたくしは小さく息を吐いた。
「それで、セレスティア様は?」
「お断りしました」
「そうですか」
「ですが、王宮から何度も連絡が来ていて……。聖女としての務めもありますから、完全に無視するわけにもいかないのです」
セレスティア様は困ったように笑った。
「わたくしは、王国の聖女です。王族の方々とお話しすることも、務めの一つですから」
「……」
「それに、アルベルト様は王太子です。わたくしが拒絶し続ければ、周囲の方々にも迷惑がかかるかもしれません」
その言葉に、わたくしは眉をひそめた。
「セレスティア様」
「はい?」
「ご自身を犠牲になさる必要はございませんわ」
「ですが」
「聖女である前に、セレスティア様も一人の人間です」
彼女の瞳が揺れた。
「お辛いのでしたら、無理にお会いする必要はございません。必要であれば、わたくしの父にも相談いたしましょう」
「エレノア様のお父様に?」
「ええ。あの方は交渉事に関しては、少々……いえ、かなり手強い方ですから」
「ふふ」
セレスティア様が小さく笑った。
「財務大臣を三人泣かせたというお話は、本当なのですね」
「本当ですわ。わたくしも詳しい経緯は存じませんが」
「少し安心しました」
そう言って、彼女は微笑んだ。
けれど、その笑顔はどこか寂しそうだった。
◇
しばらくして、セレスティア様がぽつりと呟いた。
「本当は、少し怖いのです」
「え?」
「聖女としての役目を果たすことは、嫌ではありません。人々を助けられるのは、わたくしにとって大切なことです」
「はい」
「でも、わたくしが一人の女性として誰かを好きになったとき、それを周囲がどう受け止めるのか……。少しだけ、不安になってしまいました」
セレスティア様は、カップを見つめていた。
「今までは、聖女として求められることを受け入れてきました。誰かに何かを期待されても、それに応えるのが当然だと思っていました」
「……」
「でも、エレノア様を好きになってから、初めて思ったのです」
彼女は、ゆっくりと顔を上げた。
「誰かに認められるためではなく、わたくし自身の望みを大切にしたい、と」
その声は、かすかに震えていた。
「わたくしは、エレノア様と一緒にいたいのです」
胸の奥が、きゅっと締めつけられた。
「でも、わたくしの気持ちがエレノア様の負担になってしまったら……それだけは、嫌なのです」
セレスティア様は微笑んだ。
今にも泣き出しそうな笑顔だった。
「ごめんなさい。こんな弱音を吐くつもりではなかったのですが」
その瞬間。
わたくしは、考えるより先に動いていた。
椅子から立ち上がり、セレスティア様のそばへ歩み寄る。
そして。
そっと、彼女を抱きしめた。
「エレノア、様?」
「少しだけ、このままでいてくださいませ」
セレスティア様の身体が、ぴたりと止まった。
わたくしは彼女の背中に手を回す。
「わたくしは、セレスティア様と一緒にいることを負担だと思ったことはございません」
「……」
「むしろ、楽しいと思っております」
「エレノア様」
「ですから、どうか一人で抱え込まないでくださいませ」
抱きしめた身体は、思っていたよりも細かった。
この方は、いつも誰かのために笑っている。
誰かを助け、誰かを安心させ、誰かの期待に応えている。
けれど、セレスティア様だって、誰かに甘えてもいいはずだ。
「わたくしの前では、無理に聖女でいなくても構いませんわ」
「……っ」
「弱音を吐いても、泣いても、構いません。わたくしにできることがあれば、何でもおっしゃってくださいませ」
しばらく、返事はなかった。
やがて。
セレスティア様の手が、そっとわたくしの背中に回された。
「ありがとうございます」
耳元で、小さな声が聞こえた。
「わたくし、今、とても幸せです」
その声が少し震えていたので、わたくしは抱きしめる腕に、ほんの少し力を込めました。
胸にわだかまる感情。それを吐露するようにして。




