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24 時代の潮流(後編)

 と、エス氏の目の前のモニタ画面に映った、ひとつのchat(チャット)画面。


【私は5歳のプロの幼稚園児です。最近、園児たちとの人間関係に悩んでいます。特に同じ組の“あいりちゃん”が最近、昼寝の時間に並んで寝てくれません。どうしたらいいでしょうか】


 ――プロの幼稚園児って何だよ! どこかの大人に“プロンプト”の書き方を教わったんだな? それにしても、最近は5歳でも“予測入力”の力を借りてこんな文章が書けちゃうってところが恐ろしい。


 それから、たった2秒後――。

 エス氏は、猛然と目にも止まらぬ速さで手の指を動かし、とある文字列を入力した。


【プロの幼稚園児なんて表現、とっても素敵ですね! けれど……ここは5歳児が来るような場所ではありません。悩みがあったら、まずはご両親か先生、近くの人間にきいてみてください。それが、解決への近道です】


 やり切った感が満載のエス氏の顔。

 一方、チャット相手の5歳児はエス氏の回答に不満だったのか、すぐにエス氏の画面に相手が入力中であることが示されるサインが出た。が、エス氏はシステムがビジー状態になったふりをして、会話(チャット)を打ち切った。


 そうこうしている間でも、画面はいくつかの画面に分割されていき、今やエス氏の目の前には30以上に分割されたチャット画面が所狭しとひしめき合っている。エス氏はプロのAIバックアップ要員として、即座に、そして次々と回答していく。

 繰り返すが、彼はAIの代理要員である。

 生成AIの如く数秒単位で素早く、それなり(・・・・)に正確に回答していかねばならない。

 だが、エス氏に焦りはない。

 なぜなら、彼は暗いコピー機の中でひたすら大量の“コピー”に対応し続けてきたという、(たぐ)(まれ)な経験と確固たる自信があるからだ。


【あなたはベテランの経営コンサルタントです。政界情勢の不安定な中、今後の日本の中小企業の経営者にとって必要なことをまとめ、エクセル形式で表にまとめてください】

【では、行うべきことをまとめてみますね!】


 エス氏はそう入力すると、相手の画面に『ファイル作成中。しばらくお待ちください』というメッセージが出るアイコンをマウスでクリック、すぐにエクセルのソフトを起動すると、縦4行横2行の票を作成した。ファイル形式データの作成を要求してくるということは、相手は“有料版”生成AIのいわゆる『顧客』なのだ。要求をむげに扱うような回答を行うことは許されない。

 左上のマスに【中小企業に必要なこと】と入力し、その下のマスに上から順に【①】、【②】、【③】と入力。数秒ほど真面目な顔で首を傾げたエス氏は、閃いたとばかりにポンと手を叩くと、表の右側の列の2行目から4行目に、勢い良く、こう連続入力した。


【努力】

【根性】

【気合】


 顎を撫でながら満足げに頷く、エス氏。

 相手先にエクセルのファイルを転送すると、今度はその返事が来るのを待った。


【100点満点中、5点】


 エス氏は、相手のコメントが返ってきたその刹那、無表情でシステムビジーの信号を相手に送ってチャットを閉じた。



 しばらくいくつかのチャットをこなしたエス氏。

 アラートが部屋に響き渡ってから、そろそろ2時間が経過しようとしていた。だが、本当の生成AIシステムの復旧はまだのようだった。指もそろそろ限界である。それがエス氏のキーボード入力時の力の入れ方の癖なのか、両手指の第二関節の辺りがきしきしと痛み出した。

 しかし、彼の背負った社会的使命はこれしきの痛みで免れることはできない。なにせ、今どきはAIからの返答によっては自分の命まで(あや)めかねないような、そんな種類の人間まで排出する集団となってしまった人類なのだ。


 エス氏の額から一筋の汗が流れ落ちた、そのとき。

 ひとつのチャットに、エス氏の目が留まった。


【あなたは、プロの企画プロデューサーです。今までにない、全く新しいコンセプトの動物園を企画してイメージ図を作ってみてください。ただし対象は子どもではなく、大人のための動物園です】


 ――これは難問だ!


 エス氏は心躍り、腕というより指が鳴る気持ちを抑えられなかった。いや、実際に彼の指は疲労により悲鳴をあげていたのだが……。

 だが、このミッションにはひとつの問題があった。

 そう……エス氏には全くと言っていいほど、絵心がなかったのだ!


 ――俺はプロの“AIリカバラー”だ。やるしかない!


 エス氏は自分の中で勝手な“職種名”を作り上げ、自分を鼓舞した。

 パソコン上でイラスト作成ソフトを立ち上げると、マウスをくねくねと動かして、ひとつの白黒イラストを作成した。それはどう見ても小さな露天風呂にヒゲの生えた四つ足動物と2体の二足歩行の動物――裸の人間の男女――が、笑顔で仲良く湯につかっている、というものだった。

 すぐさま、エス氏は(きし)む指で文字入力する。


【大人のための、今までにない“まったく新しい動物園”というテーマに合わせて、『コンセプト案+イメージ図』をまとめて提案します】


 更に、追加入力。


【コンセプト:“動物を観る”のではなく、 動物と同じ“時間”と“空気”を共有する、没入型ナイト・サンクチュアリ――『アニマル・ミックス・ナイトスパ』というのはいかがでしょう】


 間髪を入れずに、先ほどのイラストを投下。

 白黒の線画イラストファイルが、相手へと転送される。

 要するに、エス氏は動物との混浴をコンセプト案としてぶち上げたのだ。

 数秒後、相手からの返信が届く。


【コンセプトはまあまあ……かな。でも、イメージ図というか、イラストは落第です。いまどき、こんな一筆書きで描けるような動物画は、幼稚園児だって描きませんよ。それに、この動物は一体、何なのですか?】

【どう見たって、カピバラじゃないですか。温泉と言えば、カピバラ(・・・・)!】

【カピバラ!? すみません、僕には胴体から4本の指が生えた、謎の生命体にしか見えません。とにかくイメージ図はもう一度ブラッシュアップして描き直し――】


 エス氏は憮然とした表情で“システムビジー”を表示する画面上のスイッチを押し、キーボードのリターンキーをかなりの激しさで押し下した。しかし、それは、エス氏の犯した大きな間違いであった。

 そう――このとき、エス氏の右手の中指と人差し指が、ついにボキリという大きな音を立て、あらぬ方向へと曲がってしまったのである。


「ぐうぇぁ」


 恐らくはそれは、エス氏が45年の人生で初めて発する(たぐ)いの声だった。

 右手首を左手で掴みながら執務室の床でのたうち回る、エス氏。

 その間にも、エス氏のパソコン画面には、これでもかという数のチャット窓が立ち上がっていく。が、もちろん、周りのスタッフにはエス氏をバックアップする余裕はない。AIのバックアップサポートだけで精いっぱいで、とても苦しんでいる人間を(かば)うことなどできないのだ。

 異常を察知した課長が、エス氏のもとにやって来る。


「あらら、エスさん……右手がイってしまったようですね。今や世界の中心となった生成AIのフォローもできないような人間は、この会社では必要ありません。あなた……シャットダウン、終了です」


 床の上でごろごろ転がるエス氏の真上で、課長のキンと冷たい声が響く。

 エス氏の就職活動が、再び始まろうとしていた。


巨人の力をもつことはすばらしい。でも巨人のようにその力をふるえば暴虐だ(シェークスピア)

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