24 時代の潮流(前編)
「それで、前職をやめたのはどういう理由で?」
50絡みの面接担当の男は、机上に置かれた面接エントリーシートから目線を上げると、数メートル先でパイプ椅子に座る45歳のエス氏を怪訝そうに見つめた。
「何と言いますか……時代の潮流、ってことですかね」
「時代の潮流?」
エス氏のあやふやな回答に不満を感じたらしい面接者は、黒縁眼鏡のレンズの奥に存在する目を増々鋭くした。けれどもエス氏はそんなことに気付く様子もなく、身に着けた灰色のスーツスラックスの折り目線のようにきっちりとその背筋を伸ばしたまま、真剣な表情を崩さない。
「ええ、そうです。最近はペーパーレス、ペーパーレスってうるさいじゃないですか。私はそれが本当に地球の環境ためになっているのか、あるいは作業効率化につながっているのか、とても疑問なんですよ。ただの“経費節減”のためじゃないかって……ね。まあ、それはそれとしても、そういう流れで私は前の職場をお払い箱になったんです」
「お払い箱ですか。つまり、自分の意志でやめたわけではないのですね」
「ええ、そうです」
「エントリーシートによると、2年前まで建材商社の販売課長だったとありますね。それが、その職を辞めてからは、『コピー機の中のおっさん』という職種――と言っていいのかわかりませんが、それになったと書いてあります。これはどういうことでしょう?」
「どういうことって‥…そのまんまですけど」
それしか言いようがない、という感じで答えに窮したエス氏。
しかし、その目の輝きに嘘偽りはなかった。ただ、言葉にしての説明が、難しいということなのだ。
納得のいかない様子の面接官に、仕方ないとばかりにエス氏が説明を始める。
「まあ、この21世紀の世の中といっても、相変わらず“闇”は存在するってことですよ。最先端の技術を持った一流メーカーとはいえ、欠陥品はごく稀に発生するわけです。私はそういった“欠陥”が世に知れ渡らないよう、メーカーから極秘裏に販売先のオフィスに派遣されて、そこに設置されたコピー機の中で人知れずコピー作業を行うのです」
「ほう……“社会の闇”ですか。それ知ってらっしゃるというのは、わが社にとっても頼もしいと言いますか――興味がそそられますね。ところで、少し突っ込んでお聞きしたいのですが、コピー機の中の作業とは、具体的にはどういった作業で?」
「いや、まさしくコピー作業ですよ。上の方から来た『カラーコピー10枚』とかいう指示に対して、両手に持った極細の6色のインクペンを駆使してその複製を描きあげる、というものです」
「へえ……それは神業というか、すさまじいほどの技術力ですね。きっと目にも止まらぬ速さで手を動かせるということなのでしょう。なるほど……そうですか」
そう言って面接官は納得したように何度か頷いた後、ついに決心したとばかり、声を張り上げた。
「よし。エスさん、あなた採用です! 早速、明日から出社してください」
「ありがとうございます! 頑張ります!!」
こうして、エス氏の再就職は果たされたのだった。
☆
入社から、一週間が過ぎた頃。
エス氏は、朝から苛立っていた。忙しすぎて――というわけではなかった。あまりのやることの無さに、我慢の限界が来ていたのである。
「すみません、課長。私の出番はまだでしょうか?」
「エスさん、そう慌ててはいけませんよ。来たるべき出番のために、今は知識を――いや、自分を磨いておきましょう」
「自分を磨くって……これでですか?」
暇を持て余したエス氏が占領する机の上には、4つの大きなパソコン用モニタと何冊もの分厚い“本”が置かれている。本の中味は、雑学から最新科学に恋愛相談まで、いくつもの分野にまたがっていた。
「今どき、知識を増やすのに“本”なんていうのはないでしょう」
「何を言ってるんですか、エスさん。ネット上の情報なんて、ごくごくありふれたものですよ。我々のお客様が求めるものは、そんなんじゃありません。『唯一無二』な回答です。そのためには、“本”で知識を得た方がいいんです」
何人かの社員の上に立つ、執務室の奥に座る課長が諭すようにエス氏に言った。
しかし、聞き耳を立てて二人のやり取りを聴いていたエス氏の周りにいる人々も、エス氏と同じ気持ちだった。その証拠に、どの人も鼻孔から小さなため息を吐き出すと、渋々、書籍を手に取るとそれを黙読し始めたのである。
と、そのときだった。
エス氏たちの執務室に耳をつんざくサイレンのような音が、うぉんうぉんとけたたましく鳴り響いたのだ。
それを聞き、すっくと立ち上がった課長。
すぐさま、配下の課員に対して勇ましい号令をかける。
「さあ、皆さんの出番ですよ。システムダウンしたAIの代理として、存分のお働きをお願いします!」
――そうなのだ。
エス氏の入社した会社は、生成AIシステムを提供する会社。
そして、エス氏たちはそのAIシステムが何らかのトラブルを抱えて動きを止めてしまった場合にシステムの『中の人』となる、いわば生成AIの“バックアップ要員”なのである。
「了解!」
執務室に、待ってましたとばかりに男たちの力強い声が沸き上がった。
ついに、この新しい会社でその力を発揮することとなったエス氏。
腕が――いや、指がなるとばかりに、キーボードに両手を添えると、エス氏は大きなワイド型のモニタ画面がまるで“棚田”のように4つ並んだ前方を、食い入るように見つめたのだった。
――思えば、コピー機の中のおっさんとして働いていたときは、暗く狭い空間でただひとり汗を流す、とても孤独な作業だった。だがしかし、今は……ともに働く仲間がいる。部屋も明るく、健康的な雰囲気だ。
こんなに恵まれた職場環境を与えてくれた会社に、エス氏は素直に感謝の気持ちを感じざるを得なかった。




