EP 4
風呂場の肉椎茸栽培と、人魚姫の恐るべきピッキング技術
ポポロ村の管理するボロアパート『ポポロ・コーポ』のA301号室。
そこが、俺たち――力武義正と見習い女神リリスの、異世界における最初の拠点となった。
「ふぇぇ……義正さぁん、この部屋、隙間風がすごいですぅ……」
「文句を言うな。たかだか家賃3万円だぞ。俺のキャンピングカーはあくまでバックヤード兼、重要インフラの要塞だ。表向きの居住地として、この部屋もちゃんと偽装に使え」
フローリングならぬ、ささくれ立った木の床の上で、ピンク色のジャージを着たリリスが丸まっている。俺はその横で、村の財務担当ニャングルと交わした卸売契約の書面をチェックし、今後の黒字化計画『アナステシアF』と銘打った自作の事業計画ノートに万年筆で数字を書き込んでいた。
……100万円の不良債権を抱えた身としては、ここからが商社マンとしての腕の見せ所だ。
「さて、今日の市場調査と事務作業はここまでにするか」
俺は凝り固まった肩を回しながら立ち上がった。
異世界の土埃と汗を流すため、ポポロ・コーポに備え付けられている共同規格の風呂場へと向かう。もちろん、この世界の水回りは地球の最新設備には程遠いが、汗を流せるだけマシというものだ。
「おいリリス、俺はシャワーを浴びてくる。戸締まりはしっかりしておけよ」
「はぁーい! 私は義正さんのスマホでゴッドチューブ見てますぅ!」
俺は念のため、A301号室の備え付けの鍵を内側からしっかりと掛けた。商社マンたるもの、セキュリティ管理は基本中の基本だ。ましてやここは、何が起こるか分からない異世界である。
脱衣所で皺だらけになったオーダーメイドのスーツを脱ぎ、タオルを肩にかけて、木製の重い風呂場の扉を開けた。
――その瞬間、俺は自分の目を疑った。
「ふふふ〜♪ 育て、育て〜、私の可愛いご飯たち〜♪」
風呂場の薄暗い湿気の中、信じられないほどダサい『芋ジャージ』を着た少女が、しゃがみ込んで何かを熱心に撫でていた。
野盗から助けたはずの、下の階に住む人魚姫・リーザである。
「……お前、ここで何やってるんだ」
「ひゃああっ!? よ、義正様!?」
俺の低い声に驚いたリーザが、びくっと肩を揺らして振り返った。
彼女の足元、風呂場の湿ったタイルの隅には、異世界特有の禍々しい赤紫色の斑点を持った巨大なキノコ――『肉椎茸』がびっしりと栽培されていた。
「お、驚かせないでくださいませ! 今ちょうど、私の可愛い肉椎茸たちが収穫の時期を迎えたところですのよ!」
「いや、人の家の風呂場で勝手にキノコを栽培するな。即刻却下だ、全部捨てろ」
俺が冷徹な商社マンの判断を下すと、リーザは芋ジャージの裾を握りしめ、涙目で抗議してきた。
「そんな殺生な! この肉椎茸は、雑草サラダ生活から抜け出すための、私の貴重なタンパク源ですのよ! これを焼いて食べれば、お肉の味がするんですわ!」
「タンパク源だろうが何だろうが、ここは俺の部屋だ」
そこで、俺の脳内に一つの巨大な疑問が浮かび上がった。
「……待て。そもそも、俺は部屋の鍵をかけていたはずだ。お前、どうやって入った?」
ポポロ・コーポの鍵は、一応は金属製のシリンダー錠だ。魔法でも使わない限り、外から簡単に開けられるものではない。
「あ、それなら簡単ですわ!」
リーザは悪びれる様子もなく、ポケットからゴソゴソと何かを取り出して得意げに見せた。
「義正様が落とした鍵の形を、この『固形石鹸』に押し付けて型を取りまして! あとはその辺に落ちてた『錆びた釘』を使って、カチャカチャっとピッキングしましたの!」
「…………」
俺の思考が数秒間、完全に停止した。
固形石鹸で合鍵の型を取り、拾った釘でピッキング。
それはもはや、極限の貧乏サバイバルを通り越して、一流の空き巣や特殊工作員のスキルではないか。
「お前……恐ろしい能力を持ってるな……」
「えへへ、褒められても何も出ませんわよ? 貧乏生活が長いですから、これくらいの生活の知恵は当然ですわ!」
「褒めてねぇよ」
俺は深く溜息を吐き出し、眉間を揉んだ。
人魚姫という高貴な肩書きを持ちながら、スラムのストリートチルドレン顔負けのサバイバル術を駆使するこの少女。怒りを通り越して、妙な感心すら覚えてしまう。
「……はぁ、仕方ない」
俺は濡れた肉椎茸を指差した。
「その風呂場のキノコ、俺が全部買い取ってやる」
「えっ!? ほ、本当ですか!?」
「ああ。ただし、二度と俺の風呂場で栽培しないことが条件だ。なんか美味いもんを作ってやるから、さっさとキノコを収穫してリビングに持ってこい」
「ふおおおお! 義正様、愛してますわあああ♡」
リーザは歓喜の叫びを上げ、目にも留まらぬ速さで風呂場の肉椎茸を引っこ抜いていった。
数十分後。
ポポロ・コーポA301号室のリビングには、強烈な食欲をそそる香りが充満していた。
俺はユニークスキル『コンビニ』を起動し、現代日本の『特選醤油』『チューブわさび』『最高級バター』、そして『ホカホカのパックご飯』を取り出していた。
フライパンでバターを熱し、リーザが収穫した肉椎茸を分厚くスライスして豪快に焼き上げる。異世界の食材だが、火を通すと確かに極上の牛肉のような脂の匂いが漂ってきた。
仕上げに、コンビニの特選醤油を回し入れ、焦がし醤油の香ばしい匂いを立たせる。
炊きたてのパックご飯の上に、こんがりと焼けた肉椎茸ステーキを敷き詰め、その頂点にワサビをちょこんと乗せた。
「よし、完成だ。異世界キノコと現代調味料のコラボ、『肉椎茸ステーキ丼』だ」
テーブルにどんぶりを置いた瞬間、リーザとリリスが猛獣のような勢いで食らいついた。
「はむっ……! ぁぁぁ……美味しいいいいっ!」
リーザの瞳から、大粒の涙がボロボロとこぼれ落ちた。
「お肉ですわ! 分厚いお肉の味がしますわ! それに、この黒いソース(特選醤油)の香ばしさと、ツンとくる緑色の薬味が、お肉の脂をサッパリとさせて……無限にご飯が食べられますわあああ!」
「ずるいですぅ! 私の分も残してくださいぃぃ!」
涙と鼻水を流しながら、芋ジャージ姿でガツガツとステーキ丼を掻き込む人魚姫。
その姿を見ながら、俺はポケットから『セブンスター』を一本取り出し、ブックマッチでシュボッと火を点けた。
「……ま、原価ゼロの調味料でこれだけ美味い飯が作れるなら、ポポロ村での飲食ビジネスも悪くない」
深く紫煙を吸い込み、天井へ向かってゆっくりと吐き出す。
固形石鹸のピッキングに、風呂場のキノコ栽培。
こんな狂気的な連中を相手にするには、商社マンとしての常識を一度捨て去る必要があるらしい。
「義正様ああ! スポンサー様ああ♡ 一生ついていきますわああ!」
口の周りを醤油だらけにしたリーザが、俺の足元に縋り付いて感涙している。
異世界でのビジネスライフは、前途多難にして、ひどく騒がしい。俺は苦笑しながら、タバコの灰を携帯灰皿に落とした。
読んでいただきありがとうございます。
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